小難しそうな本の読み方 ~「はしがき」と「あとがき」から読んでみる。
小難しそうな教養書の類を読むとき、
まずは、
「はしがき(or 序章)」
「あとがき(or 終章)」
から目を通すようにしています。
「はしがき」と「あとがき」
にさえ目を通せば、
著者の言いたいことの8割が分かる
ことが多いからです。
教養書を初めから読んで
全部を頭に入れようとすると、
難しいところ、面白くないところで、
どうしても
読む気が失せてしまいます。
でも、
「著者の言いたいこと」さえ
分かっていれば、
萎えそうなところは、軽く読み流せば
ストレスもかかりませんし、
もし途中で読むことを止めてしまっても、
その本から一定の価値を得ることができます。
今、少しづつ読んでいる本は、これです。
【法学の誕生
近代日本にとって「法」とは何であったか
(内田 貴 著)筑摩書房】
いかにも難しそうなタイトルですし、
分量も、およそ400頁の大著です。
この本の「はしがき」と「あとがき」
の ごく一部を、
抜粋して引用します。
「はしがき」の引用(抜粋)
明治維新後、驚くほど短期間に日本が近代国家の形成に成功したのは、西洋の法と法学の受容に成功したからである。では、どのようにしてそれをなし遂げたのか。
司馬遼太郎は小説『坂の上の雲』で、伊予松山出身の秋山好古、真之という二人の兄弟の活躍を描いている。
本書にも二人の兄弟が登場する。松山の南、伊予宇和島出身の穂積陳重と八束である。
彼らを通して、アジア初の近代国家を樹立しようとしていた当時の日本の姿に新たな光を当ててみようと試みた。
西洋の法や法学という、最も西洋的な文化を受容するということは、当時の日本にとってどのような挑戦だったのだろうか。日本人は何に苦労し何にこだわったのか。
「あとがき」の引用(抜粋)
間もなく、制定以来一二〇年ぶりの民法の抜本改正が始まることになり、私はそちらの仕事に忙殺されるようになった。
そこで私が経験したのは、学問としての法学への評価の低さと実務重視の姿勢だった。学問的理由による改正に対しては強い拒絶反応が見られた。
法継受をリードし、法学教育を通じて日本社会の法的リテラシーを生み出してきた日本の法学が、いま目標を見失っている。そもそも日本にとって法学とはいかなる学問だったのか、どのような学問として西洋から受容したのかを、改めて問い直す必要があるように思える。
実は、この本、半分くらいまで読んだところで
"積ん読" 状態になっていますが、
もう読んだ気になっていて、
「法学が果たす役割は何だろう?」
と考えながら過ごしています。
教養書は、
最初から最後まで一生懸命に読んでも、
頭に残して実用に供しなければ、
せっかく読んだ価値が半減してしまいます。
小説を結末から読むのはナンセンスですが、
実用を目的として読む本は、
結末を知ることが大切だと考えています。
(以上です)
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