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自分の軸〜World Viewを活かして生きる〜

先日、友人がWV(world view)を知った人たちの会を開いてくれた。
WVとは「石動祐司くん」が何時間ものセッションを通してその人の人生軸を言葉にしてあぶりだしてくれる『世界をどう見ているか?という自分だけの判断基準で、一生変わらない自分の世界観』のこと。
自分のWVを知った上でみんながどんな人生を送っているか話したり、祐司くんに質問したりで会は3時間にも及んだ。



WVを知ることで、どうなるのか?

自分がどんな人で何に喜びを感じるのか、どうやって生きていけば自分の満足度が上がるのかが嫌でもわかってしまう。

WV以外の事はやろうとしても上手くはできないし、やったとしても幸せを感じるわけじゃないから人生が遠回りになる。WVに忠実に生きることで、無駄なことに時間や労力を費やさないから人生が自動運転モードになって進むスピードも速くなるのだ。
つまりはそれが才能の全てであり、それ以外のところに勝ち目はないから、ある意味あきらめも付くというもの。自分のことがわかっていない人にとっては残酷なのかもしれないけれど、わたしは無駄なことを考えることがなくなって頭の中がスッキリした。

2年前にセッションを受けていて、その直後に書いたnoteがこれ。

あの頃のわたしは医療現場で働く看護師で、自由がなかった。
今とは生きる環境が全く違う。
なのに、今見直してみても、やっぱりやりたいことはこれで、楽しいこともこれでしかない。
置かれている環境が違っても自分の軸は一生変わらないということ。
本当に祐司君はどうやってこれを捻出してくれたのだろうかとびっくりする。すごい能力だわ。
ちなみに、わたしのWVはこれ。

自由に文化祭をしながら、『生きる』ための良質なヒントを渡していく

他人が見たらよくわからないかもしれないけれど、メタファーとして文化祭がまさしくやりたいことでわたしが楽しいこと。
とにかくみんなでワイワイ何かに向かって協力しながら進むことができたら最高。準備も本番も撤収も、数年後に仲間と思い出話を語ることも、ぜ〜んぶこの上なく幸せなのだ。

文化祭をしながら、生きるために必要となる何かを誰かにお渡ししたいのがわたしの人生軸。
「渡したい」というところがミソで、「指導する」とか「教育する」とか「導く」とかじゃなくて『渡していく』だけ。
しかも渡すものもただの『ヒント』というのが感覚的にぴったり。
わたしを使って表現するけれど、受け取るかどうかはあなた次第です…という感じなのです。
控えめにしているわけじゃなくて、その匙加減が好きだし、実際に必ずそうやってきた。



わたしのその後の変化とあきらめからの活用

看護師を卒業後、好きなことをして生きている。
イベントや講座やインタビューやコミュニティーをしているけれど、やっていることの本質はWVそのもの。
このWVに至る下位の3つの文章があるのだけれど、それがこの①②③です。

① わたしの「生きる」を広げ、それぞれの良質な「生きる」をみつけるためのヒントを渡す
② 自由で生きるのを楽しんでいる人を増やす存在になりたい
③ 文化祭を創り上げるようにエネルギーを交流し、目標を乗り越えていく

話は冒頭に戻りますが、石動祐司くんを囲んだWVの会でみんなのWVを共有してもらう中で、正直なところ
”あぁわたしって残念だな〜” ってあらためて感じたのです。
なぜなら人をコントロールできる力が全然ないじゃんって思ったから。人と比べるとそういう感情がむくむくとわくものなのね。

① 良質なヒントを渡していくだけだなんて、影響力弱くない?
② 自分がそういう存在になりたいってそれだけ?ただの自分事にとどまっていてなんだか残念。
③ エネルギーを交流させるのも目標を乗り越えるのも、ただの自分事。影響力なさすぎる・・・(涙)

要するに、集団の長として君臨することもできず、人を導けるわけでもなく、ただ自分がそのような人としてあることがわたしのお役割なんだとしたらあまりにも微力で残念だなあ・・・とあらためて思ったわけです。

しか〜し!
WVを満たすことが自分の人生を輝かせるだけではなく、周囲の人へのギフトにもなるはず。
はず?いやそれは絶対にそう。だって唯一無二なのがWVなのだから。わたしにしかできないことをわたしらしくクオリティを上げるにはWVを突き詰めるのが一番。
さあどうするか?と考えた時に、もっともっと今以上に自分を満たすことに邁進するべきだよねって思い直したのです。
影響力無い・・・っていじけても始まらない。わたし自身がもっと自由にもっと楽しんで生きることに注力することがわたしのWVを活かすってこと。
残念がっている場合ではない。

わたしは死ぬまでできる限り健康できれいで可愛い女性でいたい。
輝く女性を増やしたいと思っていろいろな活動をしているけれど、WVを活かすためにはその前にもっともっと自分なのだ。

週に2,3回ホットヨガに通っているけれど、遠慮せずに自分をイイねと思いたい!と派手なヨガウェアを買った。
周りが地味で控えめなウェアに身を包んでいる中で、関節カチコチなわたしが恥ずかしいほどの派手ないでたちで鏡の前に陣取る。
周りは関係なくて自分に集中してヨガを全身で味わう。ヨガに費やす時間やお金が何になるか?なんてことは1ミリも考えずに、ただ自分の感覚に注目して味わい楽しむ。それがたぶんきっとお役目になるのだから。
着る服、身につけるもの、共に過ごす相手、目に入れるもの全て自分の心が浮き立つものを選ぶ。今まで以上に。
鏡で自分の顔やカラダをガン見して、いいじゃんって感じる。気に入らなければ気にいるように努力する。そうやっているうちに自分がどんどんご機嫌になってエネルギーが上がっていく。究極にご機嫌な人が存在するのは、周りにもいい影響が及ぶもの。

先月スタートしたコミュニティもメンバーさんがどんどん増えていい感じ。自分でもびっくりするけれど20代の若い子からアラカン世代まで幅広い女性に喜んでもらえている。
新しく始めたオンライン診療のカウンセリングのお仕事が、自分らしい関わりをすることでチームの空気感もいい感じ。
フェムケアエバンジェリストとしての活動も、性のことを含めた発信に迷いがなくなり、女性たちへのサポートが深く切り込める良い関わりになっている。

「いい年して」とか「こんなわたしなんて」とか言ってる場合じゃなくてひたすら自分に振り切る。それがわたしのWVを活用するってことだ。

今手掛けていることをもっと楽しむよ。
だってやるべきことは文化祭。
楽しいだけの環境でワイワイできれば仕事であってもそれは遊び。
遊ぶようにビジネスをするってこれだよね。

誰にとっても自分のWVを活用するって楽しいのだ。
皆さんは自分のWVをどんな風に活かしていますか?


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