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YA【人生は綱渡り!?】(5月号)


2015/5

 

p1


 一限目の英語の時間が終わるまで、あと十分。壁にかけられた丸い時計で何度も時刻を確認して、山本辰巳は激しく貧乏ゆすりをしている。トイレにいきたい。もれそう。しかも、闘っているのは便意の方だ。腹がきりきり痛む。
 辰巳には挙手をして、先生にトイレに行かせてくださいという勇気はない。そんなことしたら、ぼく、もれそうなんですと、クラスメイトに告白するようなものだ。幼稚園児じゃあるまいし、中二にもなってかっこ悪過ぎる。
 どうしていつも、こうなるんだよ。時計の秒針を見る。早く回れ。短髪の額には、うっすらと脂汗がにじんでいる。次第に猫背になる。ぎゅっと、辰巳は目を閉じる。チクショー。チャイムはまだ鳴らない。
 辰巳は毎朝、トイレにこもることに決めている。家族に文句を言われながらも、トイレごもりをするのは、授業中に便意をもよおさないようにする為だ。しかし、登校前に、すんなりとお通じがあるのは週の半分にも満たない。
 キンコンカンコーン
「よしっ……」
 心の声は、思わず外にもれてしまった。
 英語の今泉先生が不愉快そうに、辰巳をにらむ。
 辰巳はさらに縮こまる。まさか、五分延長とか言わないだろうな、ぼくだけ前に呼び出されて説教とか、無理だ、絶対に腹がもたない。どうしよう……、
 と、次の瞬間、
 カッシャーン!
 斜め後ろの席の横井さんが、机の上からペンケースを落とした。
 辰巳に集まっていた視線が、横井さんに移る。横井さんがペンケースを落とすのは毎度のことだ。今日は一限目の間に二回だ。周りの女子がペンを拾うのを手伝う。
「今だ……」
 辰巳は前かがみのまま席を離れて、教室の後ろのドアから抜け出した。
 トイレは廊下のつきあたりだ。誰もいないことを祈る。
 ダーン!
 力いっぱいドアを開けると、小便器の前の見知らぬ男子が飛び上がった。
 ゲッ!
 しかし、幸い、個室は三つとも開いていた。辰巳は一番手前の個室に飛び込んだ。予め、ベルトを外れ易くしておいて正解だった。便器に腰かけるとほぼ同時に、辰巳を苦しめていたモノは出ていってくれた。
「ふぅ……」
 安堵の息をついて、トイレの天井を見上げる。
 ようやく思考回路が動き出す。横井さんに助けられた。あのタイミングでペンケースを落としてくれていなければ……。想像しただけでも、辰巳は気が重くなった。


p2

 翌朝、辰巳は六時半に起きると、急いでトイレにこもった。途中、父親に邪魔されて一旦トイレを出た。そして、朝食の食パンを口にくわえて、再びトイレにこもった。それでも、ダメだった。
 行ってきますとつぶやいて、玄関を出る。母親はさっきから、トイレでパンを食べたことを怒っている。人の気も知らないで。もちろん相談できる訳がない。傘を忘れたことに気が付いたのは、通学路の半分辺りに差し掛かった時だ。
 ぽつぽつと、大粒の雨が降り出した。
 と、ほぼ同時に、
 ギュルルルーッ
 腹がうなり声を上げた。キターッ、一番多いパターン。登校中、歩いていると腹がグルグル言い出す。しかも、今日のグルグルは激痛だ。通学路を逸れて、コンビニのトイレへ向かうべきか。それとも、学校まで我慢すべきか。
 コンビニか、学校か。
 選択の時は次の曲がり角。
 と、一瞬、痛みが遠のいた。便意をもよおす腹痛に波があることくらい、辰巳はもうわかっている。イケる。このまま学校へ向かって一年生用のトイレに駆け込もう。
 学校へダッシュする。遅刻する訳でもないのに、猛ダッシュで校門を駆け抜けて、早業で靴を履きかえる。一階の男子トイレへ飛び込む。鞄を床に放り投げて用を足す。間に合った……、学校で正解だった。
 そう言えば今さっき、廊下で、笠間仁に声をかけられたような、
「タッちゃん、おはよー」
 仁は小学校以来の友だちだ。親友だと思っているけど、ジンにさえ便意の悩みは恥ずかしくて話せない。
「なんで、そんなに急いでいるんだ?」
 と、毎回、ジンは首をかしげるけれど、深くは追及してこない。
 ジンは物事を深く考えない。ノーテンキという言葉がぴったりな性格だ。
 辰巳は便器に腰かけたまま、雨に濡れた髪の毛を、学生服の袖でぐしゃぐしゃっと拭いた。ため息がこぼれる。学校のトイレの個室は入りづらい。中学生になってからは、特に人の目が気になる。出来ることなら、学校で大便をしたくない。
 しかし、体は思い通りにはいかない。
 と、そこに、
「おい、誰か、うんこしてるぜ!」
 ドアの向こうから、聞きなれない声がした。


p3

 
 コンコココン、コンコン
 ドアを叩く音とげらげら笑う声。
 辰巳は慌てて、ズボンを上げた。
「おい、うんこ君、出てこいよ!」
 そう言えば、今年の一年生の中に、いつも四、五人でつるんでいるガラの悪い連中たちがいる。
 辰巳が息を潜めていると、ドンっと、ドアを蹴られた。ヤバイ。何度か、一年の不良グループが授業をさぼっているのを、見かけたことがある。
 始業のチャイムまで、あと五分。
 ドアの向こうの連中は朝のホームルームに出席するつもりなんてないだろう。このままだと遅刻してしまう。こうなったら、開き直って、出て行こうか。連中も、二年生が個室に入っているとは思ってないだろう。
 待てよ、二年生と言っても、ぼくは体が小さい方だ。確か、連中の中にすごくでかいやつがいたような……。
 トイレのドアの隙間から外を伺うと、またしても、ドコンとドアを蹴られた。辰巳の中の勇気は吹っ飛んだ。
「出てこいって言ってるだろうが」
 辰巳は頭を抱えた。これが、一難去って、また一難と言うやつだ。毎日が綱渡りみたいだ。嫌になる。本当に泣きそうになった時だ。
「おい、おまえらも、うんこか?」
 聞きなれた声がした。

p4

 ジンだ。ジンの声だ。
「な、なんだよ」
 連中の声のトーンが落ちた。
「おれ、うんこがもれそうなんだよ。ちょっと、どいてくんない?」
 バタン!
 耳を塞ぎたくなるような音、水の音、ふぅ、すっきりしたぁ、と、ジンの独り言。
 用を済ませると、ジンはドアを開けた。
「悪いな、先にうんこして。うんこなら遠慮するなよ。我慢は体に悪いぞ……、って、おい、無視かよ、どこ行くだよ」
 連中が無言で立ち去る理由が、辰巳にはわかる。
 悪臭だ。
「うえぇー」
 辰巳は個室から飛び出した。
「なんだ、タッちゃん、おまえも、うんこしてたのかよ」
「おまえ、何食ったの?」
 会話をしている場合ではない。始業のチャイムが鳴った。二人で階段を駆け上がる。
「おれのお気に入りの個室が閉まっているときには焦ったぜ」
「おまえ、一年生のトイレを使っているのか?」
 辰巳が尋ねると、ジンはあっけらかんと答えた。
「だって、おれ、腹が弱いから。コウモンから最短距離の便器はチェック済み。おい、笑えよ、今のジョークだぜ」
 笑えない。辰巳は呆れた。こんなに、危なっかしい綱わたりを楽しめるなんて。階段を上がりきり、二階のトイレに背を向けた時だ。
「きゃっ」
 小さな悲鳴と同時に、辰巳の背中に誰かがぶつかった。立ち止まって振り向くと、横井さんが尻もちをついていた。どうやら、女子トイレから飛び出して、辰巳にぶつかってしまったらしい。
「なんだ、横井も……」
 辰巳はジンの口を抑えた。
 横井さんはまっ赤になった。ごめんねとつぶやくと、あわてて教室に走っていく。
 デリカシーのないジンをこづいて、ふと、辰巳は気づいた。もしかして、トイレの悩みを抱えているのは自分だけじゃないのかも。
「こらーっ、遅刻だぞ」
 後ろから担任の林田先生が歩いてきた。
「せんせ、うんこしてたんです。かんべんしてください」
「仕方ないなぁ、ほら、急げ」
 ジンの言い訳に便乗して、辰巳も頭をぺこっと下げる。席について、ちらっと横井さんを盗み見る。どこかホッとしているようにも見える。
 辰巳はこそっと、自分の腹の上に手をあてた。今日は普通に乗り切れそうだ。

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〜創作日記〜
小学校の時から不思議でした。休憩時間にトイレに行くことが。決まった時間に尿意や便意が来るわけではなく。そう言う意味では社会人の方がトイレ休憩は楽かもしれないですね。職場によっては大変でしょうけれど。人間なんで、みんなトイレ行きますからね(笑

©️白川美古都

新人さんからベテランさんまで年齢問わず、また、イラストから写真、動画、ジャンルを問わずいろいろと「コラボ」して作品を創ってみたいです。私は主に「言葉」でしか対価を頂いたことしかありませんが、私のスキルとあなたのスキルをかけ合わせて生まれた作品が、誰かの生きる力になりますように。