YA【まばたきもせずに】(12月号)
石井知美は目覚まし時計が鳴る前に飛び起きた。ニキビ、治ったかな……。知美は片手で長く伸ばしている前髪を押さえて、恐る恐る手鏡を覗き込んだ。
次の瞬間、
「あーっ」
ため息と供に声がもれた。また、やっちゃった。おでこのニキビは赤くなって、血がにじんでいる。絶対に触らないようにと気をつけていたのに、眠っている間に引っ掻いてしまったのだ。
最近、知美はニキビに悩まされている。生理が近くなると、おでこに小さな赤いぷつぷつが出来る。
母と一緒に、薬局に相談に行った。薬を塗っているけれど、結局、治っては出来るの繰り返しだ。
「トモミ、おはよう、起きてる?」
部屋を覗きに来た母から、知美は顔をそむける。
「顔、洗ってくる」
知美は洗面所へダッシュした。
「あんまり、ごしごし洗っちゃダメよ!」
母の声が追いかけて来る。
そんなこと、言われなくてもわかっている。お肌に優しい石鹸を泡立てて、ふんわり顔を包み込むようにして洗う。
それでも、毎月、必ずと言っていい程、ニキビはできる。肩までの髪の毛が濡れないようにゴムでまとめて……、
「えっ、何、これ」
知美は洗面台の前で硬直した。顎にも赤いぷつぷつが出来ていた。
ショック、おでこだけじゃなくで顎にまで……。
鞄を胸の前に抱きかかえて、うつむき加減で、知美は登校する。寒くもないのに、紺色のマフラーを巻いて来た。こんな顔、男子はもちろん、女子にも見られたくない。
いつもの電信柱の前で、幼なじみの筒井万里と合流する。
知美はおはようと小声でつぶやくと、万里より先をすたすたと歩き出した。
「ちょっと待ってよ! 時間、勘違いしてない? 余裕で遅刻しないよ」
万里が声を上げる。
知美は振り向かないで答える。
「しゅ、宿題、やってないんだよね……」
「へぇ、珍しいね。っていうか、宿題なんて出ていたっけ?」
万里は真ん丸の顔を、知美に近づけて来る。げっ、二重顎……。
一瞬、知美は万里の顔に気を取られた。食べることが大好きな万里は、近頃ますます太ってきた。
「ん? 何?」
「い、いや、別に。寒いなぁと思って」
知美は口元まで、マフラーを引っ張り上げた。
万里は首をかしげる。
空は曇っていけれど風はない。
「ねぇ、風邪ひいたの? 熱でもあるんじゃないの?」
大丈夫と、知美は万里から速足で逃げた。
教室に入って荷物を置くと、知美は小さなポーチを持って、女子トイレに向かった。
顎がちくちくして痒い。マフラーの生地が皮膚にこすれたのだ。早く薬を塗りたい。
トイレの出入口の扉を開けると、先客がいた。
橋本香苗が化粧道具を広げて、洗面台を占領していた。
香苗は、この間の席替えで知美の前の席になった。それまで、知美は香苗とあまり話をしたことがなかったけれど、最近は気軽におしゃべりする。
香苗はクラスの女子の中で一番、背が高く、身体が大きい。おまけに、ずばずばと思ったことを言うので、良くは思っていない子もいる。
でも、知美は香苗を嫌いじゃない。堂々としていて、羨ましいと感じることもある。
「あっ、トモちゃん、おはよう」
香苗は悪びれた様子もなく、鏡の中の知美に、ニコッと笑いかけた。うげっ、すごい色の口紅。口に出しては言わなかったが、香苗は知美の反応に気づいた。
「やっぱり、この色は派手過ぎだよね」
知美は苦笑する。
香苗はウェットティッシュで赤い口紅を拭い取ると、ぽいっと、ゴミ箱に捨てた。それから、はいっと、知美にもティッシュを差し出した。
「おでこ、血がにじんでるよ」
「えっ、あっ、これ、カサブタなんだ……」
知美は前髪を引っ張って、おでこを隠す。
「あー、ダメダメ。そんなことしても、どうせニキビは見えてるから。ニキビは乾燥させた方がいいよ。髪の毛がかからないように、これ使いなよ」
香苗はヘアピンを取り出した。知美が断るよりも早く、腕を伸ばして、ぱちんと、知美の前髪を止めてくれた。
「で、でも……」
鏡の中の知美の顔は、おでこのニキビが丸見えだ。それに、香苗が上に引っ張るようにピンで髪を止めたので、目の端が吊り上がって、まばたきがしにくい。
薬を塗る間だけ借りよう。
知美はポーチから塗り薬を取り出した。
香苗はがらがらっと、洗面台の化粧品をどけてくれた。マニキュアがトイレの床に落ちたけれど、気にする様子もなく拾い上げる。
ふと、知美は疑問に感じた。いつも、化粧なんてしない香苗が、どうして、今日に限って……。
「トモちゃんはいいなぁ、二重でかわいくて。あたしの一重の目を見てよ」
尋ねる前に、香苗は話し出した。
「昨日、林田のやつ、国語の授業中に、橋本、起きてるかって、聞いたでしょう? チョームカつく、ばっちり目を開けていたのに、寝てると間違えられるなんて」
知美は返事に困る。
昨日、授業中、香苗は確かに寝ていた。後ろの席の知美は、香苗の頭が舟をこぐのを目撃した。おそらく本人は気づいていないのだろう。おでこと顎に、知美は薬を塗る。痒みが少し収まる。
すると、香苗は満面の笑みでジャジャーンと、鉛筆のような物を取り出した。
「あっ! それって、一重の目を二重にするやつ?」
「そう! 二重パッチ! 昨日、買っちゃったんだぁ。これで、あたしも、トモちゃんに負けず劣らずのかわいい子になるんだから。せっかく、かわいくなるんだから、化粧もしないとね。けど……」
香苗が化粧品に目を落として、怒ったように息を吐く。
「お母さんの化粧道具をぱくってきたんだけど、うちの母親、趣味悪すぎ!」
「せっかく、二重パッチを買ったのだから、それだけ使ってみたら?」
痒みが収まって、知美も余裕が出て来た。
「そうだよね! よし、やってみる! 林田にアッと言わせてやる!」
香苗は洗面台に乗り上げるように、鏡に顔を近づけた。真剣に顔面と格闘すること三分くらいだろうか。ねぇ、こんな感じ? どう? と振り向いた香苗の顔に、知美はアッとも声を出せなかった。
完全に、香苗はラインを引く場所を間違えている。一ミリでも目を大きく見せたい為なのか、眉毛の下までたっぷりと、二重パッチの液体ノリを塗ってしまった。これでは、ふざけて、ピンポン玉にマジックで目玉を描いたみたいだ。
「いいじゃん! いいじゃん!」
当の香苗は気に入っているようだ。
知美は笑い出しそうになった。
その時、
パチン!
「こっち側も、髪がかからないように止めた方がいいよ」
香苗がヘアピンで反対側の前髪も止めてくれた。知美の両方の眉毛が吊り上がった。まばたきすると、ヘアピンが吹っ飛んでいきそうだ。でも、香苗の言う通り、髪の毛がかかってない方がむず痒くない。
これで、いつもより早くニキビが治ってくれるのなら、今日だけこのまま我慢しようかな……。迷っていると、始業のチャイムが鳴った。
「ほら行くよ」
香苗に引っ張られて、知美は教室へ戻った。
みんなの視線は、知美ではなく、香苗に集まった。
一瞬の静けさの後、女子のくすくすという笑い声と、男子のげらげらという笑い声で、教室の中が大騒ぎになった。
教室のドアが開き、林田が入ってくる。
「騒がしいな……、どうした?」
林田の動きが止まった。教室の中央の席で、香苗は微動だにせず、林田を見つめている。
「は、橋本、目玉のお化けになってるぞ」
くすくすが、爆笑に変わった。
香苗は林田にVサインを送る。
「先生、あたし、今日はお目目ぱっちりで起きてますから!」
「い、いや、おまえ、目が充血してるぞ」
「だってぇ、まばたきができないんだもーん」
香苗はわざとらしく甘えた声で訴える。
知美も我慢ができず吹き出してしまった。
その瞬間、おでこのヘアピンが外れた。まばたきをしにくいのは大変だ。ゆっくりと目を閉じて、十まで数えてから目を開ける。
すると、香苗が振り向いて、知美を見つめていた。
知美はまたしても吹き出した。笑い過ぎてお腹が痛い。ヘアピンを拾って自分でつける。治るまでちょっと我慢しよう。下敷きで仰いでおでこに風を送る。
結局、香苗は顔を洗いにトイレへ舞い戻った。
「化粧なんかしなくても、そのままで充分かわいいぞー 余計な物を学校へ持って来るんじゃないぞー」
林田が呆れて、香苗の背中を見送る。
窓の外は、久しぶりにお日様が顔を出した。
新人さんからベテランさんまで年齢問わず、また、イラストから写真、動画、ジャンルを問わずいろいろと「コラボ」して作品を創ってみたいです。私は主に「言葉」でしか対価を頂いたことしかありませんが、私のスキルとあなたのスキルをかけ合わせて生まれた作品が、誰かの生きる力になりますように。