YA【変じゃないって、恋だって】(9月号)
月ノ島中学校の三年一組の教室にクスクスと笑いが広がる。
英語の授業中、一番前の席で、清水大和がコックリコックリ船をこいでいる。
西本先生はあきれて大和を見つめている。大和が居眠りで注意されるのは、もう何度目か解らない。それに、今日は午前中、雨が降ったせいもありとても蒸し暑い。
「ヤマト、おまえ、気持ち良さそうに眠るなぁ……」
西本先生が教壇から身を乗り出し、大和の後頭部をつつく。寝ぼけているのか、大和は片手で払う仕草をした。
「変じゃないって、うん、うん、いいんじゃないの」
大和はリアルな夢を見ていた。
昨日、妹がデートに着ていく服を見て欲しいと、大和の部屋に入ってきた。その時の会話が、夢の中でよみがえる。
「おいっ、こらーっ、ヤマト!」
西本先生が叫ぶと、クスクスという笑い声が爆笑になった。
「ヤマトくん、朝ですよ、朝!」
後ろの席の津本和己が丸めた教科書で、ヤマトの肩をポンポン叩いている。
時刻は朝どころか、もう六時間目だ。
「竹内、窓をぜんぶあけてくれ」
西本先生が、大和の隣りの席の竹内葉月に窓を開けるように頼んだ。
かなり強い雨が降っていたので、窓は半分閉めた状態になっている。
雨は止んだが強い風が吹いている。
葉月が窓をあけた瞬間に、わーっと風が吹きぬけた。
大和の鼻先を甘い香りがかすめた。
突然、大和の体に電気が流れた。
石鹸と花の香りの混じったなんとも言えない良いにおいだ。
大和は鼻の穴を広げて深呼吸した。
(気持ちがいい)
思わず、隣りに引き寄せられて、葉月と目が合った。(あれっ? 葉月って、こんなに美人だった?)
大和の心臓はドキドキした。気まずくて視線を逸らしたものの全身に変な汗をかいた。
その晩、大和は布団に入っても寝付けなかった。いつもなら五分もしない内に眠ってしまうのに、布団をかぶってごろごろしていた。目を閉じると、瞼の裏に、葉月の顔が浮かぶのだ。うとうとしかけると、葉月が笑いながら手伸ばした。
大和はびっくりして目を開けた。ダメ、眠れそうもない。
「お兄ちゃん、寝ちゃったの?」
妹が部屋を覗いた時、大和は飛び起きた。
「あぁ、どうしよう、妹よ! 眠たいのに、ぜんぜん眠れないんだ。オレ、頭の具合が変になっちゃったみたいだよ……」
大和と一歳違いの妹は、とても仲がいい。大和は学校での出来事を、親友の和己ではなくて、先に妹に相談した。
「ふふふ。病気かもしれないね」
大和の話に妹は笑った。
「おまえ、笑いごとじゃないよ」
「それではテストをしますね!」
学校で三つのことを試してくるようにと、大和に命じた。
ひとつ、葉月に挨拶すること。
ひとつ、葉月とおしゃべりすること。
ひとつ、葉月に笑顔になってもらうこと。
「葉月さんの瞳を見つめて香りをかきながらね。眠れない対策を練るのは、そのあと。お兄ちゃん、この問題、教えてよ」
妹は大和に数学の宿題を教えてもらうと、お肌の手入れをするといって洗面台にむかった。のんきでうらやましい。
大和は布団の上に突っ伏した。
翌朝、大和は葉月に挨拶した。葉月も普通に返してくれる。
次は、おしゃべりだ。大和は頭を抱えた。共通の話題を思いつかない。共通でない話題だと、大和は漫画の話くらいしかできない。
(あっ、そうだ)
葉月は吹奏楽部で、打楽器を演奏していると聞いたことがあった。
「あのさ、打楽器って楽しい?」
唐突に、大和は葉月にたずねた。
葉月は大きな瞳で、大和を見つめた。そりゃあそうだ。今の今まで、おしゃべりどころかろくに挨拶すらしてない。大和はたいてい机に突っ伏して寝ていた。勉強や宿題は和己のノートを写させてもらう。
「楽しいけど……、どうして?」
葉月は不思議そうな顔をした。
「いや、あの、親戚のオジサンが和太鼓をやっていてさ、なんだか、すごく楽しそうだなぁと思ってさ。あはははは……」
またしても、大和は変な汗をかいた。
葉月は返答に困ったふうに、首をふった。肩までの髪の毛がふわーっと揺れる。
「あっ、また、この香りだ……」
大和は鼻と口をおさえた。声とよだれがこぼれるのを必死に防ぐ。
「吹奏楽には、和太鼓はないよ」
それだけ言うと、葉月は授業の用意をはじめた。
「アァウン、ソウ、ソウダヨネ」
それだけの会話なのに、大和は耳の端まで赤くなった。
一時間目の授業は、大和の苦手な国語だ。昨日の夜ほとんど寝てないのに、大和は眠くならなかった。
それどころか、隣りの席の葉月が気になって仕方がなかった。
結局、大和は授業中に一度も居眠りしなかった。
家に帰ると、さっそく、妹に報告した。
「挨拶とおしゃべりした、でも」
兄の報告に、妹は大笑いした。
それから、不思議なことを言った。
「その内、お兄ちゃんの頭にもお花畑が咲くわよ。葉月さんの香りのお花がたくさん咲いて、ふわーって香りはじめるの」
「えーっ、なんだよ、それ……」
「三つ目の宿題をやってきたら教えてあげるわよ。そんなことより、この髪型と洋服、変じゃない? ちゃんと見てよね」
まだ週の初めだというのに、妹は週末のデートの準備に余念ない。
「変じゃない! 変じゃない!」
変なのはオレの頭だ、どうにかしてくれ。
熟睡できない日が三日間続いた。
登校中、歩きながら頭がふわふわした。それでも、大和は教室に入ると目が冴えた。
葉月は今日もしっかりと英語の授業の予習をしている。ピンクの大学ノート、消しゴム、花柄のペンケース。左利きだから英語を書くの大変そうだな。大和は葉月をちらちらと盗み見た。
と、突然、
「目の下にクマさんがいるぞ!」
大和は和己に顔を覗きこまれた。
「マジ? クマなんていらないよ」
大和は教室を飛び出して、手洗い場で顔を洗った。
鏡を見ると、確かに両目の下に影がある。あぁ、そこそこハンサムな顔が台無しだ。
「おぉ、ヤマト、眠気覚ましか?」
授業開始のチャイムが鳴って、西本先生が階段を上がってきた。
昼休み、大和は和己に眠れないことを話した。すると、
「うん、知ってる」
そっけない答えが返ってきた。
「なんで、知ってるの? オレの頭が変になったことも?」
和己はパンを頬張りながら頷く。大和はパンを半分食べて残した。
「それは変じゃないよ、恋だよ!」
何それ。恋って、あの恋? 歌の歌詞とかにある、あの恋?
「なんで、解るんだよ?」
「オレにはとっくに抗体ができているんだ。恋して、失恋したことがあるんだよ」
照れ臭そうに、和己は教えてくれた。頭の中にぱーっとお花畑が広がって、さーっと花が散ったことを。
しかも小学生の時だと笑う。こんなことなら、妹じゃなくて和己に相談すれば良かった。
恋……、眠れない原因は解った。
「恋はお花畑が咲いている間が一番楽しいんだ。花が散る前に、お花畑で寝てみろよ。サイコーに気持ちいいぞ」
「お花畑で寝るだと!」
想像しただけで、大和は眠たくなってきた。花が咲いている内にしかできない特別な眠り。
残りのパンを口に押し込む。腹は膨れた。
五時限目は国語だ。気持ちのいい風が吹いている。窓を開けて深呼吸して。葉月の香りが漂う。
「今夜の為に授業中は寝るなよ!」
「あははは、はぁ、頑張るよ……」
大和は大あくびをして制服のシャツで涙をぬぐった。
雲のない真っ青な空が広がっている。葉月の笑顔みたい。まだ夢の中じゃない。
新人さんからベテランさんまで年齢問わず、また、イラストから写真、動画、ジャンルを問わずいろいろと「コラボ」して作品を創ってみたいです。私は主に「言葉」でしか対価を頂いたことしかありませんが、私のスキルとあなたのスキルをかけ合わせて生まれた作品が、誰かの生きる力になりますように。