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[小説] 扉の向こう

 ここは山間にある小さなバス停。月の綺麗なある夜、この日最後のバスが今に出発しようとしていた。
 バスが乾いたエンジン音を獣の唸り声のごとくふかしていると、静寂を切り裂くように叫び声がした。
「ちょっ……待ってよ」
 そう言って走ってきたのは卵色のワンピースを着た若い娘だ。彼女は茶色く染めた長い髪を揺らしながら、息も絶え絶えに待ってよと声をあげていた。
「直美、早すぎるよ」
 卵色に続いて走っている青いシャツの娘が言う。
「もう……無理」
 そう辛そうにうめいたのは、そのさらに後ろにいる白いワンピースの娘だ。三人はバス停まで全速力で走ったが、全力の努力も虚しく、バスは三人の目の前で出発してしまった。
「行っちゃった……」
 静かになったバス停の前で、卵色はため息をついた。
「明日会社どうしよう」
「どうしようじゃないよ」
 そう怒った調子で言ったのは青シャツの娘だ。
「そもそも直美が日帰りでここに行こうって言ったのが悪いんじゃん」
「だって……」
 直美と呼ばれた卵色は、子供のようにむくれた。
「前に言ったよね?ここらへん、バスが七時で終わるからで近場にしたらって」
 青シャツの厳しい追求は直美に結構きいたのか、彼女は目をうるませながら相手を見た。あともう少しで、直美の涙腺が爆発というところで、白いほうの娘がこう言った。
「まあまあ、二人とも」
「美優」
 美優と呼ばれた彼女は、こう続けた。
「とにかく、今夜泊まるところを探しましょう」
 すると、直美は泣き顔から急に笑顔になった。
「うん、そうだね」
「はあ……」
 青シャツはため息をついた。

数分後。
「晴香」
 夜の道路をとぼとぼと歩く直美が言う。
「何よ」
 そう答えたのは青シャツの方だ。
「お腹すいたあ」
「子供かよ」
 晴香と呼ばれた彼女は、鼻を鳴らした。
「ここら辺って、ホテルとかないのかな」
 美優はあたりを見回す。
「そうだね。見た限り、そんな感じだけど」
「とりあえず、ホテルや民宿とかなんでもいいから泊まるところ!」
 直美がそう駆け出したその時、彼女の視界に、あるものが入った。
「あったじゃん」
 直美は立ち止まってそう言った。
「まじで?」
 晴香がそう言うと、彼女はどや顔で向こうを指さした。その先には確かにほんのりと灯りが灯っていた。
「よかったあ」
 それを聞いた美優は胸を撫で下ろした。

 直美が見つけた灯りの主は、山奥にポツンと建っている小さな家だった。
「すいませーん」
 直美はガラスの引き戸を何回かドンドンと叩いた。すると、引き戸がガラリと開いた。
「はい」
 そう言って顔を出したのは、黒いシャツを着た中年くらいの男だった。
「あの、すいません……わたしたち、帰りのバスを逃してしまって」
 直美は彼に事情を話した。彼女にとっては泣きたくなるようなことであっても、男は真剣に聞いてくれた。三人の事情を聞いた彼はにっこりと笑ってこう言った。
「そうですか……なら、いいですよ」
「やったー!」
 直美は飛び上がりながら喜んだ。
「本当にいいんですか?」
 そう聞いたのは晴香だ。
「ええ。お恥ずかしながら、こちらはこんな家に一人もんなんでね」
 男はにっと白い歯を見せた。
「ありがとうございます」
 美優は深々と頭を下げた。

「さあ、どうぞどうぞ。ちょっと汚いですが」
 男の家の玄関には農協のロゴが入った泥だらけのコンテナや麦わら帽子が雑然とおいてあった。おそらく彼は農家なのだろう。
「おじゃまします」
 三人は、直美、晴香、美優の順に中に入った。
 軋む廊下を一列になって歩いていると、晴香が小声でこう言った。
「ねえ」
「どうしたの?」
直美も小声で答える。
「なんか生臭くない?」
 彼女は鼻をひくつかせてみた。すると急に血生臭い匂いが鼻腔をくすぐった。
「ああ、そういえば……」
 直美はなんとなく嫌な予感がしていた。

 数分後。三人は囲炉裏のある部屋に通された。
「あれって本物かな?」
「うん」
 子供の頃に読んだ絵本でしか見たことのない囲炉裏に三人がはしゃいでいると、料理が運ばれてきた。
「うわあ、美味しそう」
 ほかほかの白いご飯に、こんがりと焼けためざし。みずみずしい漬物。
「いただきます」
 腹を極限まで空かせた直美たちは、ようやく食事にありつけた。ご飯もめざしも美味しかったが、中でも特別に美味しかったのは漬物だった。
「おじさんの漬物、美味しいです」
 美優がそう言うと、男は嬉しそうな顔をした。
「ふふっ、うちの野菜はいい肥料を使ってるからね」
「へえ、そうなんですか」
「だからこんなに美味しいんだ」
 直美が笑顔でそう言うと、男はありがとうと笑った。

 それからと言うもの、直美たちは、男としばらく談笑した。
「へえ、君たちって東京の人なんだね」
「直美ったら、こんな遠いところまで日帰りで行こうとしたんですよ」
「晴香、やめてよ」
「ふふふ」
「みなさん仲良しだねえ」
 四人は楽しい時間を過ごした。そして数分後。
「あのお、トイレ借りてもいいですか」
 直美がそう気まずそうに言い出したのは、ここに来てから一時間経った頃だった。
「いいですよ。ただ……」
 男は目を伏せた。
「寄り道せずに帰ってきてくださいね」
「はい……」
 寄り道。この言葉が表す意味が、直美にはわからなかった。

 直美は暗い廊下を歩いていた。
 ギシギシ、ギシギシ。
 あたりは静かで廊下の軋む音しか聞こえなかった。
「ええと、ここかな」
 彼女は、わずかな光を頼りに、目の前の扉を開けた。
「あれ?」
 そこにあったのは、便器ではなく、布に包まれた何かだった。中に一歩足を踏み入れると、奥にも同じような物体がたくさん並んでいるのが見えた。
 なにこれ。
 直美はどこか胸騒ぎがした。もしかして。彼女はそっと布をひっぺ返した。

 その頃。晴香と美優は、直美が帰ってくるのを待っていた。
「直美、遅いね」
「迷ってるんじゃないの」
「まったく、世話が焼けるな」
 晴香がそう言った時、廊下からきゃああああああ、という甲高い悲鳴がした。
「今のってまさか」
「直美?」
 二人は顔を見合わせた。

「どうしたの?」
「直美ちゃん!」
 晴香と美優がやってきた時、直美は腰を抜かしていた。
「あ……あれ」
 彼女が震える指でさし示したものを見た二人は絶句した。そこにあったのは、若い女性の死体だった。
「なんでこんなところに?」
 美優は震える声でそう言った。
「は、早く警察を呼ばないと」
 晴香がズボンのポケットの中にあるスマホを取り出そうとしたその時、ひんやりとした手が彼女の肩を叩いた。
「……」
 そこにいたのはあの親切な家主だった。手には猟銃を持っている。
「だから言ったでしょ。寄り道はだめだって」
 その目はどこか冷酷だった。

 次の日。さんさんと降り注ぐ太陽の下、家主は一ブルーシートがかけられた一輪車をひいて家の裏手にある畑まで来た。
「さて、と」
 彼はブルーシートを取った。まだ弾力のある白い肌が艶かしく光った。一輪車に積まれていたのは、若い女性のものらしき手足だった。彼はそれを畑の中に埋めた。
「いい肥やしになるんだぞ」
 家主はにっこりと微笑んだ。

(完)

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