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[小説]迷光仕掛けのガールフレンド(3)

 バイザーを外すと、むわっとした熱気が頬を撫でた。ハヤテ・セイトーは唯一の生身である顔から噴き出る汗を機械化された腕で拭った。目の前には気を失ったまま連行されるヨシムラの姿があった。この後彼は、事務所に連れてかれ、次の日の朝までぶっ続けで拷問されるのだ。不正をやらかしたものは罰する。古より伝わりしヤクザの決まりだ。顔面蒼白で荷物のように運ばれていく彼を見やりながら、ハヤテは息を整えていた。ふと両手に目をやると、少し血がこびりついていた。先程一瞬だけヨシムラの顔を殴った時に付いたものだ。
(こういうのは好きじゃない)
 ハヤテは、汚らわしいものを見るような目で、それを見た。ヤクザの元で傭兵として働いている以上、このようなことは避けられない。彼もその覚悟の上でやっているのだが、なぜか心の底――唯一改造されていない生身の脳では耐え難いものだと感じるのだ。その感情はいくら身体を機械化しても、心は人間のままである証拠だ。ヨシムラを乗せたバンが離れていく様子をため息をつきながら見ていると、カワムラが声をかけてきた。
「ご苦労様。今日もいい働きだったわよ」
 彼は、顔いっぱいにふざけた笑みが浮かべていた。もし自分が赤の他人だったら一発で殴りたいほどだ。白髪混じりのオールバックに傷だらけの顔。メガネの奥に光るサディスティックな目。カワムラはハヤテの上司に当たる存在だ。
「次もお願いね、ワンちゃん」
 そう言われた途端、ハヤテはたちまち怪訝な顔になった。目の前にいるこの男は彼を道具、あるいはペットのように扱っているのだ。頭を機械化している連中だったら気にはしないだろうが、脳だけは生身のまま――つまり人間であるハヤテには、わずかに残る人としてのプライドを踏み躙るようなものだった。ハヤテは、カワムラにやや反抗的な目線を送った。
「あら、どうしたの。その目」
 カワムラは、右の目を細めた。これは彼が怒りを感じた時によくする癖だ。
「まったく……悪い子にはお仕置きしなくちゃね」
 カワムラは、着ているコートのポケットから端末のようなものを出した。彼は傷とゴテゴテした指輪に彩られた指を画面に滑らせた。その瞬間、ハヤテの身体に電流が走った。右手左手右手右足首。彼は悶え苦しみながらその場に倒れた。
「っ……」
 まだ痺れる身体を引きずりながらハヤテは顔をカワムラに向けた。カワムラはチェシャ猫のような意地の悪い笑みを浮かべている。奴は人をいたぶるのが三度の飯より好きな、真性のサディストだ。
「次に同じ態度取ったら」
 カワムラは、身をかがめてハヤテの顎を掴む。
「今日よりも強くするわよ」
 彼はそう言うと、じゃあねと言ってその場を立ち去った。

 朝七時。ハヤテは未だに痺れる身体で帰宅の途についた。俯きがちで歩いていると、見覚えのある顔が向こうから歩いてきた。向こうから現れたのは、若い女性だ。後ろで一つにまとめた灰色掛かったくしゃくしゃの髪に、細いフレームのメガネ。怒っているのか、そうでないのか、わからない表情。そしてタートルネックにデニム地のスカートという化粧っ気のない格好。ハヤテはこの人をよく知っていた。
(ドクター・サクラギだ)
 ドクター・サクラギ――チグサ・サクラギはカワムラたちの組のお抱えのサイバネティクスドクターだ。彼女はサイボーグの組員の修理やケアを担当している。もちろんハヤテもお世話になってる一人だ。サクラギは、どちらかと言えばドライな性格で、他のヤクザたちからは「面白くない女」だとか「つまんねー女」と評されていた。彼女は、ハヤテとすれ違う瞬間、ちらりと彼の方を見やった。しかし、ハヤテを凝視したのはほんの数秒ほどで、その後はすぐ前を向いてそのまま立ち去った。
(なんだよ、あいつ)
 ハヤテは、ため息をついた。 
 ハヤテの家は繁華街から少し離れたところにあった。高いビルの間にあるボロボロの荒屋。それが彼の家だった。ハヤテは一度は中に入ったものの、まだイライラしていた。
(これじゃ、さすがに気持ちが休まらない)
 そう感じた彼は、気晴らしに外に出ることにした。
 家の周りの路地では幼い子供たちが無邪気に遊んでいた。その傍らでは、彼らの母親らしき女性が微笑みながらそれを見守っている。ハヤテは、その様子を遠巻きに眺めながら目を細めた。今やそれは彼にとって永遠に見れない遠い理想郷だ。

 ハヤテが両親を亡くしたのは五歳の時だった。他に頼るところもなく、天涯孤独になった彼は、十八歳になるまで、<旧市街>にある孤児院で育った。何もかもに心を閉ざしながら成長した彼は、孤児院を出た後、ストリートサムライのチームに入り、クラブやバーの用心棒などして日々を過ごしていた。そんな中、彼はそこでの活躍が耳に入ったのか、カワムラに我々の組で傭兵として働かないかとスカウトされた。何も知らなかった彼は、快く引き受けた。これで暖かい毛布と安定した生活が手に入れられると思ったからだ。しかし、その果てに待っていたのは、辛い生活だった。まず、入って早々にサイボーグに無理矢理改造され、住む場所として粗末な場所をあてがわれた。さらに脳を常時カワムラに監視されるという、悪いことづくめの毎日だった。それからの日々は最悪なものだった。
 訓練でヘマをすると、役立たずと罵られたり、タバコの火を顔に押し付けられたりした。
 カワムラは、滅多にハヤテと他の傭兵たちを褒めることはしなかった。さらに、傭兵たちを人として扱わず、まるで動物のように扱った。そのせいもあって、逃走する傭兵たちも少なくはなかった。結果、現在の時点では、ハヤテ一人きりだった。ハヤテは、なんとか頑張ってきたが、褒められるというよりは、むしろやって当たり前という感じだった。
 要するに、役に立ってる実感がないのだ。なんとかして今の生活から抜け出したい。ハヤテはずっとそう願っていた。
「はあ……」
 ハヤテはため息をつくと、ふと思い立ったように違う方向に向かって歩き出した。行き先は決まっていた。なんの変哲もない、いつもの場所だ。

 <下町>。
 <旧市街>の中心部にほど近い場所にあるここは、捨てられなかったゴミを安く売るジャンク屋や、スマートドラッグを売る店、観葉植物店を装った大麻の店など怪しげな店が立ち並んでいた。この街の住人はニヤニヤ笑いながら路上に寝転がっている依存症患者、真っ昼間から酒を飲んで千鳥足のホームレスなど、イカれた連中が主だった。ハヤテはそんな奴らを尻目にしながら混沌の海を歩いていた。けたたましい笑い声や罵声などを尻目に、彼は道の端にある雑居ビルの中に入っていった。

(続く)

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