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きのうの日記_2024年7月11日

この日記は、翌日振り返って昨日を書く、交じり行きかう日記

*今日の日記は赤裸々かつ愚痴が多いです。注意。

やってしまった。
バスの中でそう思った。

時間通りに家を出て、バスに乗り、一息ついてからどこか嫌な予感がして、バッグの中を終点間近であさった。

財布が、無い。

確かに家から出てくる時バッグのなかにいれたはずなのに、出てきたのは入れた覚えのないポーチ。こんなことって、ある・・・?
まるで狐につままれたかのようで、怖さ半分、ああ私はやっぱりあの会社から心がどんどん離れているのだという確信が半分。
もう一度家に戻り、遅刻して出社する気分ではもう無かった。ああ、休もう。そう思ってしまったが最後、私は家に着くなり、会社に休む連絡をした。

バッグをもう一度漁ると、財布が出てきた。確かにいれた記憶が間違いでなかったことと、どうしてここが見えなかったのだろうと呆れて、再び「こんなことってある・・・?」とひとりごちた。休みになってしまった今日、いったい私はどう過ごせばいいのだろう?「有効活用」はどうしたらできるのか?
罪悪感よりも義務感が強まる。そうだ、もう土日にやろうとしていた用事を全部やってしまおう。気になっていた焼き菓子店や、喫茶店を巡回して、写真撮ったり転職活動したり好きなことしよう。自転車屋も覗いておこう。かくして、私はしなければいけないこととしたいこと(役にも立たないこと)をごちゃ混ぜにした即席休日を生きることにした。

結果として、楽しくも、鬱々とした退屈さが付き纏う、いつもの私の生活だった。(出会った喫茶店たちはそれぞれに独特さがあり、写真は楽しく撮れた。ただいまだに写真を撮っている時の気恥ずかしさは消えない。同じようなカットを撮ってしまうことに歯痒さを感じるが、それより私にとって重要なのは「悪目立ち」しないことだった。これはきっと「仕事」にしたら、よく無い態度なのだろうと思う。前もって武装/人にこう言われるだろうな、ではなく、言われてから気づくような図太さが欲しい。)「集中できる」場所を探しているが、どうも喫茶店にそれを求めるのは辛いように思った。やはり、家、せっかくあの家に移り住んだからには、あの家の可能性をもっと伸ばしていきたい。散財も防げよう。

本当は何がしたいか、を考える。「生き延びるための事務」を使って、自身も円グラフを書いてみたけれど、ひっかかり・重苦しさが消えなかった。私は本当は何がしたかったか・・・?何もしたくはない。欲しい肩書きはあっても、やり続けたいことはないのではないか。そもそも、私一人だけで一から十まで完成させることができるのか?一から三まではできたり、やりたくても、そこから先は人に頼ったりしてようやく形にできるタイプだったとしたら?
私は10年後のとある1日を描けない。坂口恭平さんの著作と相性も悪いのかもしれない?だなんて考える。

会社員として働くことはもう嫌だと考えている。しかし、今より収入が減るのは耐え難い。なぜかといえば、この鬱屈さが終生続くとしたら、お金だけは増え続けてもらわないと割りに合わない(こんな辛いのに)から。正直、本当にしたいことが見つかるなんてもう信じてはいないような気がする。嗚呼、またこんな感じね、といつもどこか冷めている。受動的に熱狂したことなどほぼない。熱狂している時は私個人のこだわりに合致したものを見つけた時や没入しにいっている時ぐらいだ。今はやりのMBTIでは、万年ごりごりのINTPーTである。「今」を生きれない。正直、この日記を書くことよりYouTubeでKPOPアイドルや芸人の動画を見て時間を無意味に溶かすことの方が、誰のためでも無い私だけの時間なような気もするがそうじゃない気もする。本来赤の他人を見つめるだけの時間なんて興味はないし、まず自尊心が弱まる。アイドル見るぐらいなら今から自分もアイドル目指した方がきっと楽しい人生なのは分かっている。

そこで思い出すのは七年ぐらい前に、中華街でふらっと入った五百円占いコーナーでのひとときだ。その時、数秘術で占ってもらった。前職の帰りだった。なんでもいいからお金を使ってしまいたかった。
そこで占い師のお姉さんが、私の式を見て、つぶやいた。
「32まで辛いかもね。がんばって生きてね」
「え、32まで?」
どうやら32から私の本来の人生が始まる式になっていたらしく、そこまで辿り着くのに放浪を重ねるようなことがお姉さんは見えたらしい。大当たりではないか?五百円占い凄まじいな。正しくは五百円で私を暗示にかけられたすごい占い、とでも言える。
嗚呼やっぱりね〜、この噛み合わなさが簡単に解決するとは思わないもんな〜と思った。又、そんな長く苦しまなきゃいけないのか、今もこんなに辛いのに、とは当然思った。

ちょうど一年前の2月に、ある著名な星占い師に対面であった。そこでは2024年今年の9月に「理想の人生」タームに切り替わるらしかった。本当かよ、と言わざるを得ない。なぜなら今まさにまだ、転職活動を再開していないからだ。この2ヶ月ちょっとで奇跡の逆転劇が起きるか?そんな奇跡いままで起きなかった、これからも無いだろう順当に。なにもかもが面倒くさい。傷つきたく無い、がっかりしたくないからだ。自分の理想通りの世界や生き方なんてできないと分かってしまうだけだから。そしていつの日か、というか今まさに理想の生き方を忘れた。また一から作らないといけない、もしくは思い出さないといけない。できないことをできるというダブルバインドな商法にはもう懲り懲りだ。

(去年の6月、とあるコーチングシステムに入会し40万ほど取られたが、不安症状が強まってきた為、途中で退会した。入会する時の相談員に私たちがあなたを助けます、と言われた。胡散臭いな、と思いながらも頼った。あの人たちが私を助けることがあったかもしれないが、どちらかというと私が助けた・出資してあげただけだったんじゃないかという怒りの方が今はすごい。利用された、とも思っている。あとは私自身の「抵抗」も凄まじかったことも認める。おそらくポッと出のコーチングコーチなどに私の人生をどうこうされたくなかったのだろう。気持ちもわかる。今となってはそんなもう一人の私に悪いことをしたな、と思っている。私が変わる必要などないのだから。なお、サービスを始める時にかわした契約書に、当サービスに関して辞めてから批判することは禁じる的な文言があったような記憶があるので名前に関しては明かさない。が、やり方汚くないか?など正直思ってもしまった。)

こんな人生もう嫌だ、ということははっきりしている。退屈でつまらない、特にときめきも新しさもない。焼き直しの日々、いつ死んでも代わり映えがない!誰かのせいにしていきたいが、それには先がないことは頭では分かっている。受け入れて初めて、進めるのだろうことも。

多分私はずっとしぶとく生きる。こんな毎日であって許されるわけがない。私は絶対幸せになれる、と矛盾しているようでどこか強く信じているから。

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