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きのうの日記_2024年7月8日

この日記は、翌日振り返って昨日を書く、交じり行きかう日記


きょうは、出社の日なので、6時に起きて準備をし、7時半には既に外出し、近くのバス停に向かって歩いていた。とても暑い。そしてこういう時、バス停に着いてから気づくのだ。あ、今日タオル持ってくるの忘れた、と。
汗腺トレーニングの行き届いた一流芸能人になりたいと思いながら、汗がぼたぼた垂れる見苦しい姿の自分を恥じる。手の甲で拭うも間に合っているのかどうか。しかし一方で、この炎天下に生きる人間として当たり前の姿に過ぎない、という自負が出る。汗だってかこう、毛だって生えよう、しみも皺もできよう、ならばその生まれた姿を殺さず活かせ、そのまま色気を出せ。維持費だのお金も無駄にしなくて済むぞ。等‥目下、最近の私の目標といえば、上記かもしれない。

五日前に越してきた此処は、谷戸という地形の為か、基本は「冷たい」湿気が朝晩は覆っている。昼からの日差しさへ無ければ、わりと涼しい。恐らく地名的にも考えうるに、冬はとても寒いのではないかな、と今から心配してもいるのだが、現状としては自然豊かな故の虫害だけが心配の種だ。窓を開けてもいないのに、羽虫や蟻が昼も夜も私の隣に気づけばいる状態なので、そういうのが苦手な人は、此処は本当に無理だろう。土日の晩なんて、2階の寝室で、まだ片づけてない段ボールから出てきたのか、エアコン室外機から侵入なのか小さいGの赤ん坊を退治してしまった。二夜連続でだ。参った。
恐らく新築のわりに色々隙間の空いている我が家もいけないのだ。窓の立て付けも言い方は悪いが、ちゃっちい。
そして、私も虫は得意な方ではないからヒステリックになりがちだ。今だって早速不動産屋に窓の立て付け改善要請中の身である。G対策品もすぐAmazonで注文した。全く気が休まらないではないか、と息をつく。

しかし、それでもお釣りがきてやまないと思うほど、周囲の景観が素晴らしい。又、朝夕様々な鳥、そして虫の声がする。木や何かの花の薫り、近隣の住人の生活の息遣いがする、感じられる。なんて芳醇な時間、土地なんだろうと思う。贅沢だと思う。書いている今でさへ、目の前の庭にモンシロチョウやキチョウが舞っている、鶯やイソヒヨドリなのか、ホケキョ、ピチピチ、ホロホロ…。

こちらは近所の藪。あの光の集中点に飛び込みたくなる。

明治の時代から富裕層の避暑地として選定されるだけの風情の魅力が現代も爆発している。住人の方々も、私の旧居があった上大岡とは違い、金銭的にも心理的にも全てにおいて余裕があり、あくせくしていない。電車に乗る時、路を行く時、のんびりしている。実家のある住宅地よりもさらに閑静だ。本当に別荘みたいな環境で、これから暮らしていくのだ。・・・贅沢。と、他人事の様に思う。

この土日までは、どうしても上大岡の旧居の方が「家」だという認識があったのだが、今週に入り少し変わってきた。(まだ1週間経っていないのだけど。)
きょう、この家から出社したことと帰宅後初自炊をキメたことで、自身の中でここが「家」だという認識が強まったのではないかと推測している。ここで暮らしていく、という想像はしても、生活の実行動・衣食住の全てを体験しないと、魂はその土地に落ち着かないのかもしれない。あんなに旧居に対して文句たらたらだったのに、未練というか愛着も少しは育っていたことも分かって、人の感覚というのは面白いものだなとも思った。変化をしないものがないというのなら、その変化が外からもたらされるよりも、自分の望んだ方に変化するように、身を躍らせたいとも。


帰宅時の車窓から一瞬


旧居が良かったところは、新居に比べて一つしか無いと既に確信してもいる

それは、買い物(交通)の利便性。それに尽きる。
上大岡は繁華街でもあり、商店街もあり、大型商業施設あり、のなんでもあり、の場所だったので、物品調達には何も事欠かなかった。それゆえに、くだらない消費や浪費も個人的には多かったように感じている。対して、新居はどうだ。一番近いコンビニでも片道徒歩にて10分以上かかる自然豊かな半ば森(谷)の中の家。買い物だけは一苦労だ、と覚悟をした。車の免許も資金もない、富裕層に紛れて一般市民が紛れて生活をすることの大変さ、かもしれない、とかも思った。

上大岡を出てくる時、もっと部屋や周囲の写真を撮ろう・挨拶しようと思っていたが、そんな暇と気力はいつの間にか浪費され、逃げるように越してきてしまった。下の階にいたあの住人に菓子折りなくともただの挨拶も出来ていないな、と気になっている。新居の方のご近所挨拶は両隣伺ったので、認識している不義理はその人一人だけだ。全く遺憾である、と私の中の審査員が不服そうだ。いつかやろうはバカ野郎とは正直辛辣すぎ・不必要に攻撃的な物言いだなと今は思っているが、確かにいつかやろうはいつやろう?状態になること、その受け止めとか区別の仕方が未だ慣れていない。やるべきことの順番なんて、その最たるもの・私の課題だ。本当は転職してから、余裕のある状態で家探しの予定だったのだが、たまらず家だけ変えてしまった。おかげで出社に要す時間は倍になってしまった。こういうのもタイミング・縁だなぁとまたまた計画性が無いだのなんだの嘆いている自分の中の審査員を宥めている。全部思い通りになんてならないよ、という何度聞いたか分からないセリフが、ここにきて腑に落ちていく。まだ落ち切ってはいないけれど。全部思い通りにしたい、という欲が、私は結構強いのかもしれない。人と比べたことなんてないから分からないけれど。こういう態度は、自分から何か働きかけないと何か掴めない、燃費の悪い生き方なのかもしれない。ふとゆったり構えていれば、外から素敵なことが流れてくるかもしれない。何もしゃかりきに頑張らなくてもいいのかもしれない。

一刻も早く救われたい。 という思いで即時的に行動してしまうことがよくある。そして旧居の環境では、それを止めるどころか、促進するような街の雰囲気でもあった。こうして利便性だけは「不便」になった結果、私は何かを取り戻すのではないかな、という淡い期待をしていることをもう告白してしまおう。スマホを探し求めてしまう手でその窓をあけて、土のにおい、草木の薫り、住人の息遣いを感じて、感動する。写真をまた撮る。人に話したい。

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