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仙台までなら態々新幹線なんて使わない(日帰り鈍行仙台旅行)

 2022年8月25日…………
 蒸し暑い夏の日、来る9月の旅行で18きっぷの余ることが判明してから2日くらい後の日、仙台に行く日。
 余った18きっぷの使い道を考えて、仙台に行くことにした。仙台なら地元(蒲田)からぎりぎり日帰りで行けるし、なにより仙台にまともに訪れたことがなかったから、いい機会だと思った。
 仙台には通過したことならある。新幹線で3回。初めの2回は部活の合宿で青森と岩手に行ったとき、3回目は北海道に行ったとき。東北新幹線は全列車が仙台に止まるので、車窓から仙台駅前の風景を見たりしたことはあるが、仙台に降り立つことはなかった。
 加えて、当時学校で忙しかった私を差し置いて家族が仙台に旅行に出かけたことも、仙台への大きな羨望を得た理由の一つである。そんなときに得た日帰り仙台旅行の機会。使わない手はなかった。
 今回使うのは青春18きっぷである。JRが春と夏と冬に発行している激安切符だ。これがあれば、JRの「鈍行」と呼ばれる列車に乗り放題になる。来たる9月の旅行(あとで書く)に使うのは4日分で、1日余るため、それを仙台旅行に費やそうとした。

往路(JR常磐線)

蒲田(04:22)→水戸(06:58)

 午前3時くらいに目が覚めたと思う。蒲田駅の上り始発列車は4時22分と極端に早い。蒲田電車区から出る、蒲田駅始発の列車だ。いつもなら蒲田始発の列車には徹夜して乗るが、流石に徹夜すると体力が無くなってしまう。前日の22時くらいには寝た。寝るのと寝ないのとでは、やっぱり体力の持ちが違う。

首都圏でも特に早い4時22分発の始発

 初めて仙台に行くという経験は、私に眠気を与えなかった。ワクワクという非常に便利な言葉で表すことができる。
 気がつけば、乗換駅の上野についていた。上野に着いても、まだ5時を回っていなかった。当然、コンビニ以外の店は満足に開いていなかった。JR東日本の駅構内にあるNewDaysも、この時間帯はやっていない。 まあ、蒲田駅を始発で出るのは何回かやったことがあるので、こういったときのために、蒲田駅前のドン・キホーテ(24時間営業)でお茶などを買うのが通例だった。

誰もいない上野駅の歩道橋。
あと3時間もすれば人で床が見えなくなると思う

 日帰り旅行をするときの私の荷物は極めて少ない。泊まり旅行となると、衣服を持っていく必要が出てくるので荷物は途端に嵩張るが、日帰りの場合はそれが必要ない。実際、このときもモバイルバッテリーとペットボトルの入ったショルダーバッグしか持ってきていなかった。旅行に求めるべきは、一に安さ、二に身軽さである。
 上野駅からは、常磐線に乗る。上野から仙台まで常磐線は繋がっている。少し前まで、東日本大震災の被害の大きかった地域では線路が文字通り寸断され、通り抜けできない状況にあったが、全線再開した今では乗り通すことができる。
 常磐線は上野を出ると、松戸、柏、我孫子と千葉県北西部の主要都市を繋いで走る。千葉県北西部は千葉県の中でも人口が稠密な地帯で、特に船橋市は政令指定都市になっていない市の中で最も人口が多く、約64万人の人口を抱えている。
 千葉県北の稠密な人口をもってしても、早朝の常磐線を人で満たすことはできなかった。勝田行きの電車は、取手を抜け、関東平野を驀進する。土浦、石岡、友部…… この列車は勝田行きだが、乗り換えのために水戸で降車した。
 茨城県内では、どこからでも、常に筑波山が見えた。低いながらも日本百名山の一つに数えられる、動かぬ証拠があった。

間違ってなければ筑波山。ずっと見える
上野から水戸まで乗車したE531系

水戸(07:03)→いわき(08:35)

 ここからは、いわき行きの列車に乗車する。特急列車のひたちなどは、常磐線を上野から仙台まで走破する運用を持っているが、鈍行については全線走破する運用がない。東京側から出る列車は、おそらく茨城県の北限にある大津港まで行く列車が最長だ。それ以外のだいたいの列車は、土浦や水戸や勝田までしか行かない。それで十分なのである。

水戸からいわきまで乗ったE501系。
座席が信じられないほどに硬い

 水戸市といわき市の間に、日立市という自治体が存在する。企業名が自治体名になっている珍しい自治体で、ここには世界にその名を馳せる日立製作所の中枢が存在する。
 実際に、日立市内の大甕・常陸多賀・日立では、(通勤時間帯だからというのもあるだろうが)通勤客が多く乗ってきたのを記憶している。

めちゃくちゃ詰め込まれている「大甕」の案内。
バッチリ読めるのですごい

 日立市を抜けると、高萩市や北茨城市に入る。日立・高萩・北茨城の地域は、炭山や銅山が存在していた地域であり、日立製作所も源流をたどれば鉱業を主な商売としていた。常磐線水戸〜いわき間は、そういった地域を走る。茨城県中南部の広大な水田地帯とは打って変わって、トンネルが増える。トンネルが増えると同時に、右を向くと海がちらほら見え始める。
 海を撮ろうとすればすぐ雑木林にかき消され、更にトンネルに視界を遮られる。

う…海……見え……見え……

 そんな行為を繰り返すうちに、列車は大津港駅に到着した。たまに終点になるからどれほど大きいのかと思ったら、15両編成の列車を収めるために長く設置されたホームと、跨線橋があるだけだった。まあ、よくある話だ。札幌駅を早朝に出る然別行きの列車。然別駅はの駅前は何もないのに、そこが終点になっている。おそらく車両の混雑を避けるための措置だろう。
 大津港駅を出れば、いよいよ福島県に入る。ここら辺まで来ると、東日本大震災の痕跡を感じ取ることができる。例えば薄灰色の、新しく見える堤防。隣のいわき市小名浜では、2mの津波が市街地を襲った。ラップクラシックの一つに数えられる『小名浜』のMVに登場した、福島臨海鉄道小名浜駅は駅舎の建て替えを余儀なくされた。

きれいな浜と海。静かで、どこまでも広い
大津港駅

 いわき市は水戸市と並ぶほど大きな人口を抱える自治体である。33万人の人口は同県の県庁所在地である福島市の人口を抜き、仙台市に次いで人口の多い自治体となっている。しかし、複数の自治体が合併して成立した歴史を持つため、市街地が散逸している印象を持つ。
 いわき市では、勿来・植田駅を中心とした旧・勿来市街、泉駅や小名浜を中心とした旧・磐城市街、いわき駅を中心とした旧・平市街などが大きな市街地として挙げられる。スパリゾートハワイアンズのあるいわき湯本温泉には、湯本駅が最寄りである。

フラガールと湯けむりに出逢える町

 いわき市は、平成の大合併が起こるまで長らく日本最大の市であった。今でも広大な市域を持ついわき市を、常磐線は走る。いわき市の南端の勿来駅から、中心部のいわき駅まで26分かかる。蒲田駅から神田駅までの所要時間と同じである。いくつかの駅を抜け、列車はいわき駅に到着する。

いわき駅前散策(08:35~09:22)

いわき駅
合併してからもしばらくは平駅だったらしい

 いわき駅。始めてきた場所。一応、磐越東線と常磐線の2路線が乗り入れているが、常磐線が「幹線」として幅を利かせすぎて、いわき駅に居た時に磐越東線の存在を強く感じることはなかった。

描画可能範囲を目いっぱいに使っている運賃表
いわき駅入口。けっこう綺麗

 いわき駅前は常磐線と磐越東線の交通結節点として、古くから発展してきた。駅周辺には市役所があるし、ホテルもたくさんある。
 駅のペデストリアンデッキの構造は少し独特で、磐城平城跡のある北口と中心市街地に入る南口とで高低差がある。そのため、階段状のペデストリアンデッキをしており、駅の2階の位置が一番広く、そこにコンコースなどがある。
 いわき市には新進のJリーグクラブである「いわきFC」が存在しており、市を挙げて応援している。この間J3に入ったと思えば1年でJ3を突破し、今シーズンはJ2にいる。物凄い勢いでJリーグをかき回しているいわきFCのホームタウンが、いわき市である。

階段状の南口ペデストリアンデッキ。
写真後方にいわき駅があり、ベージュタイルの部分を降りると地平階になる。
この下はバス乗り場になっている
駅のコンコースにたくさん立っているいわきFCののぼり。
エンブレムがいわき市のシルエットで個人的にとてもオシャレだと思う

 ペデストリアンデッキを降り、地平に降り立ってみると、目の前にミニストップがあった。私はその場所のコンビニやスーパーに入るのが大好き。その場所でどんなものを売っているのかを知ることができるから。
 腹ごしらえのためにミニストップに入ると、見慣れない牛乳を見つけた。「酪王牛乳」。福島県を拠点としている酪王共同乳業が発売しているこの牛乳は、福島県内の小中学校で親しまれている。

私は地元の牛乳を飲むのが大好き

 散策、といっても、行き当たりばったりなものが多い。いわきは始めてきた場所だし、どこかあてもなく歩けば必ず列車の時間に間に合わなくなる。私の駅前散策ほど面白くないものはない。全く面白くないのだ。 しかし、そんなことを言っても駅の中でひたすら次の列車を待つよりかはマシだ。身体が強張って、仙台で身動きが取れなくなってしまっては困る。

いわき市の市章が刻印されたたぶん下水道の蓋

 私はその土地のマンホールを撮るのも好き。とにかくその土地にしかないものが好きだ。

七十七銀行。東北地方の地銀

 七十七銀行の看板の右下には、いわきFCの小旗がある。本当に市をあげて応援している。いわき市は合併による成立から既に60年以上経過している為、地域ごとの価値観のバラつきが収束しているイメージがある。私は平人、私は小名浜人、ではなく、私は「いわき人」であるとする人が多いのだろう。

新常磐交通のバス

 市内は新常磐交通のバスが多く走っていた。駅前には新常磐交通のタクシーが停車しており、いわきは新常磐交通の天下であることを知った。

Central Taira

 あとは「市街地」とだけ書いている青看板を見つけたのも印象深かった。右に曲がれば平市街に出られるわけだが、そこに書いてあった英語は「Central Taira」である。あくまでも、平市街がいわき市の中心市街ではないことを示唆している。分散したいわき市の市街のうちの一つが平市街であることを強調しているようにも見える。
 そろそろ原ノ町行き列車が出る時間になる。速やかにいわき駅に戻り、車両に乗り込む必要がある。

いわき(09:22)→原ノ町(10:44)

 この区間は、東日本大震災による東京電力福島第一原発事故の影響で、長らく不通となっていた区間である。発生後しばらくして、一部区間の復旧を繰り返していたが、富岡〜浪江は特に原発に近い区域であったために復旧に時間がかかった。常磐線不通区間では、専らバスによる代行輸送がなされていた。最後の区間である富岡〜浪江は2020年3月に復旧した。
 いわき駅を出て、どんどんと北に向かっていく。草野や四ツ倉あたりまで出れば、真緑に生い茂った稲が風に吹かれて波を作っている。いわきから北に入ると、一気にその様相は「田舎」になる。時折、線路から離れた場所に建物の集まる場所があり、そのさらに中心にはイオンなどの商業施設が際立つ。

稲の海

 列車はしばらく進むと、Jヴィレッジ駅に到着した。Jヴィレッジはサッカーをはじめとした総合的なスポーツトレーニング施設として有名で、2021年の聖火マラソンのスタート地点にもなっている。

Jヴィレッジ駅

 Jヴィレッジ駅は最近になって完成した新駅で、そのためかホームの場所も変わった場所にある。詳しく言えば、坂の端に建設している。そのため駅を出てすぐにトンネルがあるし、坂の上にある改札へは階段を上って行く必要がある。

富岡〜夜ノ森

 常磐線は緑の生い茂る浜通りを驀進する。富岡〜浪江は最後に復旧した箇所だ。ここら辺まで来ると、完全に関東の匂いは消え去り、東北地方へやってきた感じがある。大熊や双葉は福島第一原発に近い場所にあるが、特段人の気配がないといった感じではなかった。そもそもこの時間帯の常磐線は公客が少ないこともあり、1両につき数人しか乗っていなかったことも印象的であった。
 そして列車は南相馬市の原ノ町駅に到着する。

原ノ町(10:51)→仙台(12:18)

原ノ町駅から仙台駅まで乗ったJR701系
原ノ町駅のひらがな駅名標

 原ノ町駅は浜通り北部の南相馬市に位置している。南相馬市は「南」とついているが、北隣にある相馬市よりも人口が多い。また、いわき市と仙台市とのほぼ中間に位置している都市でもある。しかし相馬市も寂れきっているわけではなく、相馬駅には立派な駅舎があり、乗客もかなりの数乗ってきた。
 相馬から少し進むと、新地駅に到着した。新地駅では列車の離合を行うために少し長い時間停車する。駅舎を少しの間観察すると、やけに新しいのが気になった。新地駅は東日本大震災の際に津波の被害を受け、当時の最新車両だったE721系が無惨に潰れていた場所である。「新地駅 東日本大震災」などで検索すれば詳細が分かる。

新地駅前フットサル場・スマイルドーム
かなり綺麗な新地駅

 隣の坂元駅も綺麗に改装されていた。坂本駅からは宮城県に入る。面積の大きな福島県は、南北方向にももちろん長い。いわきから原ノ町へ行く列車は、福島県内で完結する運用なのに、完走するのに1時間半程度を要する。
 しばらく進むと、亘理駅に来た。亘理町は宮城県南部の大きな町で、亘理伊達氏の城下町でもあった。そのためか、亘理駅には城のような建物が併設されている。

悠里館

 亘理駅併設の悠里館には、図書館や郷土資料館が入居している。上層階は展望台になっていて、太平洋を一望することができる。悠里館は東口改札を通ることで利用できる。
 亘理駅を出、阿武隈川を渡ってしばらくすると、岩沼駅に到着する。岩沼駅は東北本線との乗り換えができる駅で、岩沼以北は常磐線と東北本線が並行している区間になる。厳密には常磐線は岩沼駅で終わり、東北本線の区間を間借りしている状態になる。
 岩沼駅からはどんどんと乗客が増えていき、2つ隣の名取を出る頃には701系のロングシートが全て埋まってしまった。南仙台・太子堂・長町からも乗客は乗ってくる。流石に長町まで来ると、車窓がにぎやかになる。長町駅の近くには壁を真っ青に塗った巨大なイケアがあり、海でもないのに視界が青で埋め尽くされる。
 長町と仙台の間はかなり広く離れている。長町〜太子堂が1.0kmなのに対し、長町〜仙台は4.5kmである。一見不便に思えるが、仙台市営地下鉄が東北本線と並走しており、長町と仙台の間に4つの駅を設けることで交通インフラを保っている。
 たくさんの人を載せた電車は、仙台駅へ到着した。

仙台観光(12:18〜15:00)

仙台駅

 仙台に着くまでに6000文字書いてるんですね。お待たせしました、やっと仙台に着きました。

仙台駅に降り立つ

 仙台に着き、改札を抜けると、目の前には「関東フェア」の文字が見えた。関東以外の、簡単に関東に来れない土地に来たなあと感じた。
 通路は清潔に保たれており快適だ。昼食を摂ろうと仙台駅の中にあるレストラン街のような場所に入っていった。昼食と言っても、牛タンなど高価なものは食べられない。来る9月に大きな旅行を控えている関係で、お金を貯めなければならなかったからだ。
 レストラン街のほぼ手前辺りにはずんだシェイクの店があった。前々から気になっていたずんだシェイクを飲んでみようと歩を進めたが、すぐにやめた。真昼の時間帯の店の前には、長蛇の列が並んでいた。私は15時の列車に乗って関東へ戻らなければならないため、行列に並ぶ暇はなかった。泣く泣くレストラン街を後にし、仙台駅のペデストリアンデッキに出る。

 巨大。その一言で片付かないくらい大きいほど巨大なペデストリアンデッキが、私を待ち構えていた。本当にでかい。高崎の10倍くらいある。ペデストリアンデッキを使えば、ロータリーに下りることなく、道路の向こう側に行くことができる。

仙台イオンに行く

 ロータリーを利用して、仙台駅にほど近いイオン仙台店へ行く。お土産を買いに行くのだ。
 イオンは実はあおば通駅が最寄り駅なのだが、仙台駅とあおば通駅は非常に近い位置にある上に、東北本線の仙台駅からあおば通駅に乗り入れる仙石線の仙台駅までのアクセスがよくない。仙台駅での仙石線から東北本線への乗り換えが不便なために、東北本線と仙石線が近くなる場所に線路を新設して仙石線が東北本線に直通する路線ができたほどだ。仙石線仙台駅は東北本線仙台駅の東側に位置している。あおば通駅は、仙台駅西口にアクセスしづらい仙石線利用者のために開設された駅だ。地下鉄仙台駅ともつながっている。
 さて、仙台で有名なものといえば? ずんだ餅? 牛タン? 食べ物以外では? 伊達政宗? 仙台四郎?
 私が仙台イオンへ行った理由は、そのどれでもなかった。大きなイオンの建物の、スポーツ用品売り場の中の、カバン売り場へ行く。黒や紺で統一された売り場の棚の中に、ひときわ目立つカラフルなバッグが並んでいる。
 「仙台の学生なら全員持っている」で有名な、ミカサのバッグを買いに来た。仙台の学生は高校を出たら使わなくなるそうだが、私は目新しさからそれを欲しかった。

イオンで買った青いミカサのバッグ

 イオンでミカサのバッグを購入した際、レジの店員さんがパパパッと手早くバッグを畳んでくれたのが印象的だった。店員さんも、きっと学生時代はミカサのバッグを使っていたのだろう。

まるまつを食べる

 さて、ミカサのバッグを買った後に昼食を摂る。先述の通りお金をあまり使えないので、豪勢な牛タンなどは食べられない。しかし、仙台らしいものを食べたい。青葉通を右に曲がり、中央通りに出る。このあたりに何らかの地下通路の入り口があったが、その屋根に大量の鳩がたむろしていたのが印象的だった。

たくさんの鳩

 中央通りを歩いてしばらくしたら左に曲がり、さかゐ巷路という細い通りに入る。しばらく進むと、目当ての店が見えてくる。仙台のローカルチェーン店、「和風レストランまるまつ」である。
 私はその場所でしか体験できないもの、その場所でしか買えないものに強く惹かれる。可能ならば、全国のローカルチェーンを制覇したいとさえ思っている。「まるまつ」は、その大事な足がかりとなった。

チキンカツがでかい

 私は中華ざる(500円)とチキンカツ(828円)を注文した。中華ざるはざるそばの麺がラーメンになったような感じで、食べごたえのあるワシワシとした麺が特徴だ。そしてチキンカツは私の想像していたよりも大きく、非常に満足できるメニューだった。

商店街と広瀬通を歩く

 まるまつで昼食を食べ終えた私は、正直仙台で何をやるのかを決めていなかった。伊達政宗公の銅像や仙台城を見に行くことも考えていたが、それらは地下鉄を降りてしばらく歩かなければならない位置にあり、しかもこの時は、何らかの理由で銅像を見ることができなかったらしい。半ば路頭に迷った私は、まるまつの入っていた商店街を歩いた。

仙台市章の入ったマンホール

 旅行先での私の行動の行動原理には、「その場所だけでしか体験することのできないもの」という一つの大きな軸があるように思える。旅行先で私が頻繁に写真を撮るのはそれが理由だし、現地の人なら絶対に見向きもしないマンホールの蓋をせっせと撮るのもそれが理由だ。いわきにいた時にも下水道の蓋を撮っている。
 マンホールを撮り、目線を地面から地平に揃えると、商店街に大きな横断幕が掲げられているのが見えた。

めちゃくちゃ賑わっている

 「祝 優勝 仙台育英高校」の文字が目に飛び込んできた。この時季は甲子園の決勝が行われるシーズンで、やれどこが勝った、どこが負けたと連日テレビでも放送していた。テレビは基本的に、サッカーよりも野球が好きである。野球にほとんど興味のない私は、この横断幕で仙台育英高校が甲子園で優勝したことを知った。後日このことを家族に話したら「仙台行きが数日早かったら、お前はパレードの人波にもみくちゃにされていたよ」とのこと。まあ気持ちは分かる。私だって故郷の豊府高校(私は通ってない)が優勝すれば、興味のないスポーツでもそれなりに嬉しい。まして毎年甲子園を追いかけるような人からすれば、狂喜乱舞するだろう。

知らんバス

 大通りには知らない会社のバスが行き交い、商店街には見たことのない店が立ち並び、駅のホームからは聞いたことのない行き先が聞こえる。しかし、それらは現地の人々にとってはいつものことなのだ。旅行とは「非日常」にして「日常」なのだ。

スケベな店があるらしい

 何のあてもなく広瀬通をブラブラ歩いていると、国分町の文字がぶら下がった門を見つけた。当時は物珍しさから撮影したが、後に東北最大の歓楽街であることを知った。スケベな店が立ち並ぶらしい。私はスケベなことに興味はあるが、スケベな店には興味がない。ここは通過し、引き続き広瀬通を歩く。

へ〜
こんな街中にあるんや

 広瀬通の途中には、仙台市立立町小学校がある。かの『荒城の月』の作詞者である、土井晩翠の母校らしい。土井晩翠は仙台では有名人らしく、市内には彼の名を冠した「晩翠通」がある。立町小学校は広瀬通沿いのかなり交通量の多い場所にあり、その場所はかなり都心部に近い印象を受ける。

櫻岡大神宮に行く

 立町小学校の近くの大きな交差点を渡って、西公園通に出る。すると、大きな公園が見える。さらにその奥には石造の鳥居が見える。

おしゃれ鳥居

 櫻岡大神宮は仙台市街の西に位置し、伊達政宗公が創建した神社として知られている。神社の後背には広瀬川が流れ、さらにその後ろには仙台城が存在した。その場所は仙台城のちょうど北東、鬼門の位置にあることが分かる。

右上(北東)の⛩マークが櫻岡大神宮、左下には仙台城

 偶然見つけた神社に賽銭を入れ、来る9月の旅行が上手くいくように祈った。社務所で旅行安全のお守りを購入した。神社の隣には大きめの広場があり、そこで小学生がサッカーボールで遊んでいた。西公園通は、仙台市街に位置してはいるが、そこに建っている建物は店や雑居ビルではなく、マンションなどが主だった。

仙台市営地下鉄に乗る

 広場を横切って、櫻岡大神宮の最寄り駅、仙台市営地下鉄大町西公園駅に入る。ここから仙台駅までは地下鉄で戻る。

大町西公園駅
大町西公園駅の中

 大町西公園駅は非常に現代的で清潔な駅舎を持っており、初めて来た私にも分かりやすいような動線となっていた。地下の長い通路を歩くと、いよいよ券売機と改札が見えてくる。仙台駅までは210円。公営地下鉄にしては良心的な価格だ。
 改札を通り、ホームに降りる。無彩色のホームの中に、駅名標が際立って見えるはずだ。東西線のラインカラーはブルーなので、ブルーの駅名標が見えるかと思いきや、黄色の駅名標であった。勿論、ナンバリングを示すアイコンはブルーだが、次駅標示などは黄色に塗られている。不可解に思いながらも、やってきた電車に乗る。

黄色い

 新しいタイプの車両だった。車内には液晶ディスプレイが搭載され、4か国語で次の駅が表示される。そのデザインは東京メトロのそれを彷彿とさせる。

分かりやすくて良い

 地下鉄と言っても、乗車する区間は2駅のみである。あっという間に仙台駅に着いた。
 ホームに降り、駅名標を確認する。荒井行き、下り列車のホームは黄色の駅名標を持っているが、上りの八木山動物公園行きのホームの駅名標は緑色であった。列車の行き先によって駅名標の色が変わっているのである。

 南北線のホームに出てみると、上り・泉中央行きは青色、

 下り・富沢行きは赤色の駅名標だった。分かりやすく表示されている。「ドコドコに行きたいならナニ色の看板のホームで待ってればいいよ」ができる。

 地下鉄仙台駅の改札を出て、JR仙台駅に行こうとする。地下鉄仙台駅はどちらかといえばあおば通駅に近く、JR仙台駅まですこし歩く必要がある。
 改札を出てすぐのコンコースに待ち構えていたのは、思いもよらない人だった。

可愛(カエ)……

 ああ、あ、青葉あさひちゃんが案内をしてくれてる〜〜〜〜!!!!
 ア〜〜〜〜〜!!!!!

ウオッッッッ………………

 アカン可愛過ぎる!!!!! ギョエ〜〜〜〜〜!!!!!
 鉄道むすめ・青葉あさひちゃんは、仙台市営地下鉄の運転士で、見た目の通り元気いっぱいで明るくて、最高に人間が出来上がっている。何はともあれ、鉄道むすめがこうして大事にされているのを見るとどこか嬉しくなる。地下の長い通路を通って、JR仙台駅に行く。

JR仙台駅を見ている

仙台駅の長い発車標

 青春18きっぷを見せ、仙台駅の構内に入る。また、仙台駅の広いコンコースに戻ってきた。各方面への行き先を見るだけで、テンションが上がる。同時に、そろそろ仙台を去らなければならないという事実に、少し寂しくなる。

仙石線の時刻表

 仙台と石巻を結ぶ仙石線は、一定の需要があるため、本数もそれなりに多い。仙石東北ラインは前述の通りだが、もう一度説明すると、途中まで東北本線の線路を走り、途中で仙石線の線路を走るようになる路線である。これで、石巻から仙台に出て、そのまま名取や仙台空港に行くこと、もしくはその逆の移動が楽になる。

 また、仙台から名取の間は、東北本線・常磐線・仙台空港アクセス線の3路線が乗り入れているため、10分間隔で列車がやって来る。仙台空港アクセス線の分岐駅である名取から岩沼までは20分間隔、そこから分岐する常磐線は1時間間隔、東北本線は毎時2本走るようになる。私はここから、復路として東北本線を利用する。

復路(JR東北本線)

仙台(15:00)→白石(15:48)

24:04

 仙台駅のホームに止まっている列車に乗り込もうとしたとき、ふと出口標示を見た。地下南口へと案内する標示には、開場時間として「7:00〜24:04」と書かれていた。おそらく24時頃に到着する列車に配慮しているのだろう。

ちょい古めですねえ

 仙台から白石までは、701系に乗車する。原ノ町から仙台まで乗った列車もこの型式だった。701系は車窓に対して座席が平行に設置されているロングシートなので、加減速のたびに骨盤に偏った体重がかかる。そのため長時間の乗車には向いておらず、短時間の乗車に向いている。またロングシートは座席が垂直に設置されているボックスシートよりも座席の占める面積が小さいため、都市部の鉄道によく採用される。
 そのロングシートに、私は原ノ町から仙台、仙台から白石まで、本当に長い間乗っているのである。主にロングシートが走っている静岡県が18きっぷユーザーにとって地獄なのは、尻の肉にダメージが蓄積されるからだ。しかし、車両は変えることができない。701系に乗り込み、私は仙台をあとにした。
 仙台から岩沼までは、開いている席がないほど、かなりの人数が乗っていたが、岩沼でごっそり人が降りた。おそらく、岩沼駅利用者か、常磐線利用者だろう。岩沼駅から先は座席にも余裕が出てきたので、早速座ることにした。 この時点ですでに12時間ほど起きている上に、長距離の移動を行っていたために、私は微睡み、そして眠ってしまった。
 気がついたときには、列車は白石駅に着いていた。

白石(15:51)→福島(16:26?)

気づいたら白石

 白石駅の乗り換え時間は3分しかなかったが、ホームの向かい側の列車に乗り換えるだけだったので全く苦労しなかった。しかし、白石から乗った車両がまたもや701系だったことには辟易した。常磐線や東北本線には、701系よりも新しいE721系という車両が大量に投入されており、701系の淘汰が始まっている。運がいいのか悪いのか、私は数を減らしつつある701系に3連続でぶち当たった。仕方ないことだが、甘んじて受け入れるしかない。これに乗らなければ家に帰れないこともないが、とんでもなく帰りが遅くなる。実質的な最終列車だ。

眼下に市街地が見える

 白石の2つ隣、貝田駅まで来ると、田畑の割合が多くなる。坂の縁を走っているのか、市街地が少し下に見える。
 藤田・桑折・伊達と、人口の比較的稠密な地帯を走り抜ける。福島市は県内の人口がいわき市と郡山市に次いで3番目で、度々ネタにされているイメージがあるが、隣の伊達市や二本松市を合わせれば約35万人となり、いわき市や郡山市と肩を並べる。中通りは人口が多いため、東北本線の本数も多い。
 福島駅に着く直前で、福島交通の線路と合流する。美術館図書館前駅・曽根田駅と並走し、福島駅に到着する。

福島(16:39)→郡山(17:26)

福島駅

 何らかの理由で、少し遅れて福島駅に到着した。福島駅前をすこし見たかった気持ちもあるが、遅れてしまったのなら仕方がない。後続の郡山行きの列車は遅れていなかったため、急いで乗り換える必要があった。
 福島から乗った列車は、E721系だった。念願のボックスシートである。ずっとロングシートだった私にとっては天国のような場所であった。
 郡山へ南下する列車には、学生が多く乗っていた。私の乗っていたボックスにも学生が相席してきたが、福島から数駅の片田舎の駅で降りた。

たぶん安達太良山

 しばらく走ると、西側の車窓から大きな連峰が見える。おそらく安達太良山だろう。中通りと会津を隔てる位置に聳えている。
 本宮市を通り抜け、郡山市内に入る。段々と建物が増えてくる。日和田駅を出る頃には乗客も増え、車窓は田畑よりも建物のほうが目立つようになった。福島〜郡山間は、小規模なインターアーバンの機能も果たしているように思えた。一時間も経たないうちに、郡山駅に到着した。

郡山駅前散策(17:25〜17:49)

 郡山駅では乗り換える時間がそれなりにあったため、少し駅前を散策してみる。私は過去に郡山に来たことがあり、この訪問で郡山は2回目となる。

郡山に停車している新幹線

 郡山駅は新幹線の停車する駅である。そのため駅も大規模で、複雑な構造をしている。加えて、郡山駅にはショッピングモールのS-PALが併設されており、駅の中だけでも十分楽しめるようになっている。また西口を出て左側を見ればヨドバシカメラが営業しており、郡山市の商業と交通の中核をなしている。福島県内で最も人口の多い市の中心駅はいわき駅であるが、間違いなくこちらの方が栄えていると言える。そもそも、いわき市と郡山市とでは人口の分布が違うし、成立の背景も違う。単純には比較できない。

郡山駅は基本的に西口が栄えている

 郡山駅西口からは、駅前アーケード商店街が伸びている。アーケードの入り口に商店街に入居している店が看板を出している。時間が許せば行ってみたかったが、与えられた時間は20分強しかない。こんど郡山に来たときにじっくり味わいたいものだ。

故郷かもしれない

 郡山駅の看板は、どこか懐かしさを覚えさせるものだった。漢字のフォントや、「Ō」が少し潰れているところに、えも言われぬ懐かしさがある。暖かく両手を広げてくれている故郷のような、そんな感じがある。

分岐

 郡山市は地理的に福島県の中心部に位置しており、その中心駅である郡山駅は、在来線だけでも東北本線の南北方向・磐越東線・磐越西線・そして水郡線が乗り入れ、5方向に移動することのできる交通の要衝である。郡山市内の人口だけでなく、各方面へ人々を集散させる機能も持つ郡山駅は、福島県内でも人の多い駅だと思う。実際、過去と今回、郡山駅を利用してきたが、どちらも車内の座席は全て埋まり、立ち客が出るほどに混雑している状態だった。
 郡山から新白河まで乗車した列車は、また701系であった。

勘弁

郡山(17:49)→宇都宮(19:51)

 郡山駅を出てしばらくは立ち客も多くいた701系の車内だったが、隣駅のにして水郡線の分岐駅でもある安積永盛、そのまた隣の須賀川あたりで客は一気に降り、座れる状態にまでなった。
 それまでの疲労が溜まっていたのか、須賀川あたりからの記憶はない。気がついたら白河まで来ていた。新白河まで1駅の場所である。

白河

 白河市街は白河駅から新白河駅にかけて連なっている。白河市役所は白河駅のほうが近く、本来は白河の駅といえば白河駅だったのだが、新幹線が新白河駅に乗り入れたことで、知名度が逆転してしまったような感じがある(もっと言えば、市街地が連続しているだけで、新白河駅は白河市ではなく西郷村に位置している)。
 新白河駅での乗り換えは4分である上に跨線橋を渡らなければならなかっため、急ぐ必要があった。新白河から黒磯までの列車もまた701系だった。本数減ってないんかな……

 途中、黒田原駅の駅名標がかなり珍しいものだったので撮影した。現在のJR東日本の駅名標は、白地に緑線が一本引いてある、お馴染みのアレである。私は駅名標に詳しくないが、栃木県内にはこのような型式の駅名標が多い気がする。ここまで来ると暗くなってくるので、車窓の情報は一気に減ってくる。

新しいので液晶がついている

 黒磯から乗車した列車は、東北本線で最新鋭のE131系だった。E131系は関東地方の外縁、相模線や内房線、そして宇都宮線で運用されている。黒磯から先は、東北本線は宇都宮線とも呼ばれるようになる。関東地方の中心部へ向かうに連れ、段々と車窓に灯りが増えてくる。

氏家むつみの元ネタ

 氏家駅にも黒田原駅と同じフォーマットの駅名標があった。「さくら市」という名前の自治体は平成合併で生まれたものなので、白地に緑線のあの駅名標が作られた後に制作された可能性がある。
 黒磯から宇都宮までは想像以上に時間がかかった。私が黒磯駅を実際より南側に見積もっていたのもあるだろうが、清潔で明るいE131系に乗れたのは思いがけない幸運だった。

E131

宇都宮(20:01)→蒲田(22:19)

 宇都宮駅から先は、完全に関東近郊に入る。どんどん家が増えていき、駅ごとに大きなショッピングモールがくっついてくる。
 宇都宮にはE231系が待ち構えていた。奇跡的に誰も座っていないボックスシートがあったので、そこに座る。電車の適度な音と、ボックスシートの心地よい揺れに、仙台までの鈍行旅行を行って疲労した身体はすぐ眠りについた。
 途中、大宮か浦和あたりで目が覚めた気がする。その時はまだそこまで車内は混雑していなかった。まだまだ時間はあると考え、また眠りについた。
 東京駅。想像以上のガヤガヤに目を覚ませば、私の座っていたボックスシートは全て埋まり、所々立っている乗客も見受けられるようになった。浦和との変わりように驚きつつ、起きていようと努力するも、あえなく微睡みに沈んでしまった。
 気がつけば、電車は品川駅に着いていた。ドアは開いており、今にも閉まりそうだった。私は急いで電車を降りた。 やっと、仙台から戻ってきた。そんな安心感が、風と共に寝起きの汗を払った。品川まで来れば、最悪歩いて帰れる。そう思いながら、まだ何本も走っている京浜東北線のホームへ赴いた。
 品川から蒲田までは、特筆すべきことはなかった。いつも見る駅、いつも見る駅、そしていつも使っている駅。22時過ぎの蒲田はまだまだ明るく、眠る気配は無かった。

帰路

 蒲田駅を降り立った私は、自転車を預けていた駐輪場まで歩いた。日帰りなので、駐輪料金は100円で済んだ。本当に日帰りで仙台まで行って、そして帰ってきたのだ。未だに実感が湧かないが、成し遂げたことは事実だ。
 夕食の時間帯はずっと列車に乗っていたため、ここで夕食を頂く。
 ぽぷらーどを通り、ブックオフの脇道にそれる。しばらく進むと東邦医大通りにぶち当たる。その交差点の近くに、京浜蒲田商店街あすとはある。あすとを通り抜けたところに日高屋があったはずだ。そこで食事を摂ろう……と思っていた。

制限

 新型コロナウイルスがまだ猛威を振るっていた。この看板を見つけたときにはもう手遅れだった。22時31分だった。
 仕方なく、あすとで「まだ開いていておいしそうなお店」を探す。 あった。 
 横浜家系ラーメンの大輝家は、この時間でも、このご時世でもまだ開いていた。店内は赤色で統一されていて、回転率を極限まで高めることを目指す店だった。客は私ともう一人くらいしかおらず、頼んだラーメンもすぐに出てきた。

うっひょ〜〜〜!!!

 辛い家系ラーメンだ。今この文章を打っている最中にも、唾液が出て止まらない。私はスープを少し残し、ニンニクを加えた後、おかわり無料のライスを3杯ほど平らげた。かなり満腹になった。
 この旅最後の食事を終えた私は、家路へとついた。ぬるい夏の夜風が、どこまでもついてきた。偶然か必然か、鬱陶しくはなかった。


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