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白石、離島に移住したってよ

タイトル古くてすいません。アレ好きなんです。

Covid-19の影響で世の中が大きく変化し始めています。
僕は、幸いと言っていいのか、福岡県福岡市→長崎県五島市へ移住し、リモートワーク+2拠点的に暮らしています。リモートワーク化して半年というところだったので、ある程度慣れてきており、この変化も比較的受け入れやすい環境にありました。働き方も会社員→フリーランス(でも会社員的な側面多い)としました。家族持ちとしては、バランスを取りながらチャレンジすることが必要だと考えての選択です。

で、そもそもきちんと移住した件や、働き方も含めて繋がりのある方にも伝えられておらず、どうやって暮らしているのかという声があったのもあり、この一年間の振返りとして近況報告しつつ、同年代の方を中心になにかの参考になればとご紹介します。

2019年の動き

2019年4月 社会人として最初に働いたイベント・セールスプロモーションの会社からの転職先であり、7年くらい勤めた株式会社ダイスプロジェクトを退職。
月末に奥さんの誘いで初めて五島列島を訪れました。1泊2日でしたが、とてもいい出会いにめ

退職時に書いたnote
41歳、家族有りで会社員辞めてみた

2019年5月 個人事業主として働き始める。
ダイスプロジェクトとは年間での業務委託契約。チームにはスタッフ2名がいて、そのスタッフの管理と営業&プロジェクトマネジメントを行う。要するに外部にはなったけれど、業務はこれまでと同じ。ただ、業務ボリュームとしては週に3日〜3.5日くらいなので、週5日勤務とくらべると60〜70%くらいの働き方。
すごくよくいうと週休3.5〜4日!(ああ、なんとパラダイス感のある響き)
社会保険や年金等の負担が変わったので、経済的に豊か!とは言えない、言い切れないけれど、どうにか普通に家族を養えるくらいの状況です。

2019年6月 奥さんは五島列島へ
奥さんとムスメが4月の旅行で知り合った友人に会いに五島列島へ旅行しました。僕は仕事があるので留守番。フリーランスになってからの書類の提出などの手間に会社員がいかに守られていたかを実感しました。社会保険って恐ろしい。天引きされるって麻痺する。
会社ってありがたいんですよ、ホントに。

2019年7月 家族とともにハウスレス
そもそもの発端は家をなくして、海外で暮らしたいというものでした。とはいえ、英語が話せるわけでもないし、海外で通用するスキル持ちでもない。まずは、どこにいけるか試してみようと思い、行く宛を決めぬまま7月末で家を解約。保育園も退所。荷物は人にあげたり、一部は実家に置いたりして、住所がなくなりました。ハウスレスです。
保育園は名残惜しかった。とてもいい保育園だったのです。

2019年8月 五島に体験移住
五島市の福江島の友人の家に1ヶ月の居候。
海外への思いはまだまだ強かったのですが、空き家バンクであまりにもいい物件があったので、とりあえず賃貸契約。4L+DK(2階に3部屋、1階に和室と15畳のリビングと12畳のダイニングキッチン)の民家です。広い!しかも家賃は福岡のときの半額。ただし、古民家ではない。

五島でお盆を過ごしているときのnoteです
40代でフリーランスになり、ハウスレスになりました

2019年9月 ハノイに3週間の体験移住
海外で暮らすことは人生の重要事項なので、トライアル。子育てを考えると国内でよいのか疑問を持っています。またニュース等をみていても、国内のことしか知らないとメディア報道などの情報や国の進み方がどうなのかを比較することができず、どうしたらよいかと考えていて人生の中で最低2年は海外ベースで暮らすことを希望しています。ハウスレスもそれが発端。
成長著しいベトナムに行きました。若い国と老人の国の違いを明確に感じて、かなり衝撃を受けました。数日の旅行ではわからないので、2週間位いくのはオススメです。心身の芯にくる衝撃があります。若さがもたらす漠然とした”成長”の感覚、明日が今日よりもよくなる感覚を感じられて、それが国内にはないことがよくわかります。
海外で暮らすのは必ずや達成したい。

で、その期間、ムスメは幼稚園に行ってドラゴンフルーツ食べたりしてました。たくましい。

Hanoiで書いたnote
Hanoiに3週間住んでみてわかった仕事と家族のこと

2019年10月 五島に移住
大人だけの暮らしと、子連れでは日常生活ですらハードモードなのに、旅ベースにするとエクストラハードモートになります。というか、ハードになりすぎじゃない?その割にサポート少なすぎじゃない?まぁ、いいいけど。
子連れの中では拠点が必要不可欠だなという結論にいたり、五島で契約していた家に引越しし、今に至ります。
住民票も人生で初めて他県に移しました、いわゆる移住。
ちなみにこの年の五島市、50数年ぶりに、人口が社会増!移住者増えてるみたいです。

2019年11月 合同会社Yerrow設立
かれこれ15年くらいずっと受託で仕事をしているなかで、自分が出資して自分でリスクを追う事業もやってみたいという思いがあり、合同会社Yerrow設立。地域の魅力あるのコンテンツを楽しめる旅を提供する取り組みとして、旅をリデザインする事業にチャレンジしています。このご時世の影響もあり、6月中のリリースを予定。

2019年12月 事業の準備スタート
政策金融公庫からの融資が思ったよりも順調におり、原資ができたので事業スタートに向けて準備。関係してくれているチームYerrowのメンバーが自分の理想とする方々で組めたのがとてもうれしい。自分より優秀な方々にサポートついていただくってこんなにありがたいとは。頼りになりすぎる。島左近クラスで感謝しかない。
発注側の気持ちがリアルにわかりました。

生活が落ち着き始めたときに書いたnote
移住して1ヶ月半。子育て、食事、住まいと仕事のこと

2020年1月 実家の両親が初めて五島に
案内することを通じて、この地の魅力が何かを知ることができる。案内体験って、魅力の言語化や行く場所の選定による魅力の具現化になる。案内するつもりでやってみるって大事なのかも。

2020年2月 保育園が決まって4月からの入園に
これで仕事の時間が確保できる。寂しさも大きいけれど。

2020年3月 五島にずっといる
新型コロナウイルスの影響で下旬から今日までずっと自宅待機。いったりきたりではなく、ずっと五島にいる初めての体験。
子育ての大変さは自宅待機になってようやくわかりました。手伝うレベルではなく、ともにやらないとわからない。通勤しているとおそらくずっと理解できないはず。これからのお父さんは育休取得して、本気で向き合うのが良いと思います。
そして結果的に時代の先取りのような形で移住していたおかげで、暮らしと仕事の距離を近くできており、すごく快適に、楽しく暮らせています。仕事は減ったし、ダメージは大きいけれど、家族としては幸せです。

そうしていると改めて”食”の魅力を感じたときのnote
五島の”食”の豊かさを肌で体感している

ざっくり1年間を振り返ってみました。
これまでにいろいろとあったのだと、書いてみるとわかります。

いまはコロナで五島にずっといるものの、通常時には、僕は月の1/3は福岡にいってます。奥さんはまるっと福岡を出て、娘とともに新たな環境で暮らしを築いてきていて、感謝しかない。彼女はとても感覚がするどく、才能豊かなので、とりわけ感じるものも多く、苦労も大きいに違いない。僕は逆に鈍感でまあいいやと思いがち。
この大きな変化を一緒に乗り越えている奥さんには感謝だなと改めて感じるきっかけになりました。

いやー、それにしても毎月毎月いろいろと変化が多い。
立ち位置の変化、関わり方の変化、環境の変化、時間の使い方の変化、Covid-19による社会変化。
変化がすこしずつ積み重なって、その先がさらに大きくどんどん変わっていっちゃうのだから、生きるのっておもしろい。

これからやっていくこと

ざっくりとこんなことをやっていきます。

2020年のやっていること、やりたいこと です。
・Yerrowの旅をリデザインする事業の開始
 6月目標で絶賛準備中です。影響受けまくって遅れていますが。小さなプロジェクトですが、目標は大きく。
 自主事業と受託事業と考えているけれど、まずは本丸の自主事業をしっかりと。
・Yerrowでのおもしろそうな受託事業の実施
 比較的小規模&新たな取引先との地域をおもしろくする受託事業もしくはレベニューとかでも。
 ※これ、まじでなにか案件あればご協力しますので、なんなりとご相談を。
・ダイスプロジェクトとの業務委託の継続
 これまでのお客様を中心に受託事業はしっかりと継続。新規ももちろんやります。引き続きイベントプロモーションが軸。
 さらに今年は、農家民泊”農泊”とWEBメディアも重点的に取り組みます。
・五島の家で移住者の受け皿となる下宿+民泊事業の開始
 収益性というよりも、来る人を受けいられる場所になるとよいなと思っています。こっちくるなら1泊はウチにおいでよ!といえるような場所。
・五島で奥さんの勤務先の元大学教授が作ろうとしている海の見えるコワーキングスペースのお手伝い など

6月には福岡との行き来が再開すると思います。ダイスプロジェクトのリモートワーク推奨期間も終了するし、いろいろとやらねばならないこともあるので。
ということで、これからもみなさま、引き続きご愛顧よろしくお願いいたします。


サポートいただいた分は離島の暮らしをもっとおもしろくするために使わせていただきます。その成果を観に遊びに来てくださいね。