無能がスタートアップに挑戦した結果。

2019年の12月末に創業した。
登記したのは1月20日だったが、本格的に動いたのはその前の12月だった。
PRを変える。グレーな広告換算をぶっ潰す。
2020年は大きく成功すると信じていた。

2020年2月にPR効果測定サービスをローンチした。
コロナ報道の始まりを調べたプレスリリースはバズった。
PRTIMESのランキングにしばらく載ってくれた。

昔から私は飽きっぽかった。
思いつきでやり始め、気が変わって放置する。
飽きっぽかったという自覚がなかった上に、
成功するというイメージだけは一人前だったし、
飽きる前のやる気はすごかった。
めんどくさいやつだ。
一瞬のやる気だけはすごかったので、
社長はその頃は私をとても信じてくれていた。

何かに手を付け、妙なこだわりで完成できずやめる。
ずっとその繰り返しだった。
だからバズってもうまく活用できず結局登録者はほとんど増えなかった。
以前勤めていた会社が義理で半年使ってくれたが、
コロナで契約を見直され切られた。

楽観的な上にプライドだけは死ぬほど高いから、私は完成できない自分が認められなかった。
また、そんなキャラでいることもできなかった。
何かやらなければ→認められなければ→完成できない→放置→何かやらなければ(最初に戻る)・・・
ずっとこれをループしていた。正直今でもこのループの渦中かもしれない。

2020年の秋頃になるとアポが取れることが増えた。
CTO兼社長は文字通り寝ないでサービスに新機能を更新し続けていた。
私は営業だから売らなければならない。しかし売れない。
毎日きっちり2時間社長から怒鳴られた。
彼からしたら詐欺みたいなものだから、当たり前だろう。
あまりにも怒られるから、後で振り返ろうとZoomを録画していたら1TBのHDDがすぐにいっぱいになった。
申し訳なかった。

ただ、それだけ怒られても何をしていいかわからない。考えても出来ないループに陥る。
もともと白髪が多かったが、気がつけば頭の半分が白髪になっていた。
営業のくせに稚拙な営業資料、営業スクリプト。
機能説明に28分間も一方的に喋り続けていた。
機能を全部説明しようとしていたわけだ。
長い時間かけて、スゴイツールです。としか言っていない。
こんな商談では契約が取れるはずがない。
それでも何十社と話しているとやっと初めて1社契約してくれた。
2020年が終わろうとしていた時だった。1年かけて、やっと1社だ。
怒られる事以外で久々に泣いた。

ここから右肩上がりになる、なんてことはなかった。
プライベートがズタボロだった。会社に迷惑をかけまくった。
コロナを機に当時住んでいた江古田から埼玉県の実家周辺に引っ越したが、
そこで両親と我々兄弟のトラブルに関わってしまった。
特に母親は急性の間質性肺炎で生死が危ない時があった。
人間が骨と皮だけになるということがどういうことかを知った。
目が離せなかった。タイミング悪くトラブルの渦中に祖母が亡くなった。
祖母の死に顔は母とそっくりだった。母は軽い後遺症は残ったが入院だけで済んだ。
母親は熟年離婚後、2人の弟たちと暮らしていたが、お互いがストレスになっていた。
その中、弟は夢を追いかけ正社員を辞めて3人暮らしから出ていった。
もうひとりの弟は彼女と同棲を始めて出ていった。
まだ1年も立っていないのに、このあたりは時系列も含めてよく思い出せない。
父親が母名義で勝手に借りて隠していた借金も見つかった。
弁護士に相談したが父が勝手に名義を使ったという証拠を出せず支払いを免れられなかった。今でも悔しい。
この頃は常に金のことを考えていた気がする。不義理な付き合いもした。
急いで母親をマンションから家賃の安いアパートに引っ越しさせた。
恐らく東川口で最も安いアパートだ。
初期費用がなかったから、不動産屋を10件以上回って安いところを探した。
隣のボリビア人家族がしょっちゅう喧嘩してるが、夜中は静かだ。
一人で暮らすことでストレスがなくなり母は精神的に安定した。
さらに時給200円くらいで働かされていた弟が夢を諦め再就職した。
こうして夏の終わりのころにやっと落ち着いた。今では月1回連絡する程度だ。

落ち着いたその頃になると契約社が20社を超えた。
サービスはPMFを繰り返し非常に良いツールになっていた。
社長凄すぎるwww
1時間かかっていた商談は改善され30分で済むようになった。
営業資料は相変わらず稚拙だが、自分で必要な箇所を付け加えたり修正を続けることによって話にまとまりができていた。
サービス説明に28分かかっていたところから5分に改善できたので空いた時間が生まれ、
PR分析コンサルタントがその企業レポートを個別に作り説明するようになった。
これによって明らかに成約率があがった。
アポさえ取れれば成約率は30%を超えていた。
いいときは50%近くあった。

しかしこの頃には完全に私が無能だと社内にバレていた。
なんの言い訳もできなかった。無能ならまだましかもしれない。無だった。
商談があればまだいいが、明らかに仕事をしてない時間が多い。
その時間何をやっているかというと、しょうもない資料を作っては捨て作っては捨て、という無駄な行為をしていた。
バックオフィス業務から外され、営業だけしていればいい、としてもらっていたのにも関わらずだ。
気持ちだけは常に忙しい、何とかしなければという気持ちで焦っていた。
冷静に考えればしょうもない資料なんていらないし他にやるべきことがいくらでもある。
しかし無能がバレていたのにも関わらず、一発逆転を狙ってあーでもないこーでもないと時間を浪費していた。
仕事のフリした現実逃避のようなものだ。
どこかにこの苦境を反転できる誰かが作りし素晴らしいサービスがあると思い込んでた。そんなものはない。
結局、自分の無能を認められてなかった。
向き合うべきはどこにもないサービスではなく自分だった。

2022年に近づくと、私に諦めた社長が最近あまり怒らなくなって、代わりに自分だけで考える時間増えた。
いま、隅田川の土手を歩きながら振り返っている。

今日、2月1日は定時株主総会だった。
弊社は3期目に入った。創業当初に思い描いてた3期目とはだいぶ違う。

私は何もできないし、できなかった。無能だった。白痴すぎる。

そもそも私は何をしたかったのか?
PRを変えようとしていたのではなかったか。
データに基づくPRを日本に根付かせようとしていたのではなかったのか。
今まで私が苦しんでいたのは、全て私自身のことだ。
ゲームチェンジャーになれない苦しみではない。
わかってもらえない苦しみでもない、というかビジネス自体は皆よく理解してくれる。
そう思うと私の悩みなんてレイヤーの低い苦しみなんだ。
どうでもいい苦しみだ。やっと気づけたかもしれない。

2022年は世の中を変えることに手を尽くそう。
否定されるたびに落ち込むのはやめよう。
つまらない人の言葉の棘にイチイチつまずくのはやめよう。
ワクワクすることをやろう。楽しくやりたい。

今年は100社を目指す。来年は200社だ。
聞くところによるとスタートアップには1000社に壁があるらしい。
逆にいえば1000社まではすんなり行けるんじゃないか。もっと行けるはずだ。

胸の内をこんなに書いたのは初めてだ。
ナマナマしいな。。後で笑って読み返せるといいな。それも自分次第だ。
昨年ご迷惑をおかけした皆様本当にごめんなさい。
ありがとうございました。感謝しかございません。
今年もきっと迷惑をかけると思います。

3期目に入りました弊社をよろしくお願いします。
精進してまいります。

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