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【Traveling】令0603〈06.諫早〉


1.新駅〈諫早駅周辺〉

「(長与圣由)」いいですね。

〈13. 3月3日 12:56~13:30 JR大村線 区間快速シーサイドライナー 長崎行き(千綿~諫早)〉

大村湾と別れ大村の市街地を抜けると,列車は諫早に到着した。
駅名標の表面に光沢を認めた。きれいな駅。
さて,どんな街なんだろうか。改札へ向かう。
初めての土地でのこの動きがたまらなく好き。何回でもできる。

改札を出る。
立派な橋上駅舎。山形駅をコンパクトにした感じに見えた。
ミスド入ってるの,いいな。

東口の方へ向かうとガラス張りになっていて,駅の表側が見渡せる。
駅前一等地の角は更地になっていて,何か大きいもの建っていたんだろうな,という雰囲気。
地平に降りる。

すごい。
東口には大きな吹き抜けの空間があった。

「諫早旅時間」。
諫早市出身の漫画家・草場道輝氏の絵が大きく掲げられている。

バスターミナルが入っている。
長崎に向かう高速バスが毎時一本あるんだなあ。
「長崎・多良見・飯盛方面」はかなり細かく出ていて,諫早駅の西側市街地や,長崎線沿線に続く市街地方面に向かうバスがそれぞれある。
「久山台(くやまだい)」らしい。ヒサ,って読んでしまった。
他にも大村,長崎空港方面や長崎線佐賀方面の沿線,島原半島へ向かう路線など四方八方に出ている。
複数の半島が突き出た特徴的な形状の県土の根元にあって,要衝要衝している県央のまち・諫早のバス事情。

やっと駅舎から出て,諫早の空気を吸い込む。
ちょっとちょっと。大都会景観に狼狽えています。
諫早駅,ホテル,マンションが階段状に並んでいる。

バスのりば。突っ込んでくる形状で非常に良いと思う。

真新しい舗道です。

駅前正面の更地。
22年の5月まで,半世紀もの間長崎県営バスの諫早ターミナルが建っていた土地だそうだ。ターミナルの機能はさっき観た駅に移されている。
駅とターミナルを結んでいた歩道橋も撤去されていた。
雰囲気の濃い地方都市のバスターミナルには行ってみたかったところも沢山あるのだけれど,近年は特に数を減らしている。気になるところは早めに行っておきたい。

駅から中心市街へ歩き出す。
駅前の通りにはなかなか特徴的な街灯が並んでいる。

これはなかなかに見ない形。すごい。

ちょっと逸れてみる。
駅前には飲食店が多い。夜に来るとまた違うのかな。

国道207号とぶつかる「四面橋」交差点。
袂にあったのは「諫早のんのこ節」を踊る像。
「のんのこ」は諫早の言葉で「かわいい」という意味。
「めんこい」とちょっとだけ語感が似ているような気がするようなしないような。
この記事を書いているいま改めて調べてみると,それぞれ両手に2枚の小皿を持って踊るそうで,「皿踊り」とも呼ばれるらしい。
手に何かを持って踊るって,すごく珍しい。観たい。
「のんのこ諫早まつり」は,この諫早で毎年9月に3日間開催される。
西のお祭りも見てみたいなあと思いつつ。

2.中心街〈国道207号,アエル中央商店街〉

「四面橋」交差点を左に折れ,国道207号を東へ。
207号は佐賀市と時津町を結ぶ国道で,武雄・嬉野を経由して大村湾に出る34号と反対に,鹿島・太良町などを経由して有明海を望みながら諫早にやってくる。長崎本線と西九州新幹線,そのまんまだ。

交差点名にもなっている四面橋が跨ぐのは本明川。
多良岳山系に端を発して諫早市街地を抜け諫早湾に注ぐ川で,なんと長崎県内では唯一の一級河川。これは知らなかった。覚えておこう。
しばしば洪水を引き起こしており,直近では1957年の「諫早豪雨」で氾濫により甚大な被害をもたらした。

佐賀75km,鹿島45km。
佐賀まで,八戸から沼宮内くらい。近い。

街中へ向けて粛々と歩いていく。
これが意外に長くて,思っていたのより2倍くらい歩いたような気がする。駅から意外に遠かった。
「諫早市役所」の案内が出たが,もう少しまっすぐ行く。

やっとで現れた商店街の入り口。
「いさはやアエル中央商店街」は,「栄町通り」,「ほんまち通り」,「竹の下通り」の3商店街を総称したアーケード街で,全長は約600m。207号から本明川を跨いで栄町まで連なる,諫早市の中心商店街。
本明川北側の「竹の下通り」は片側アーケード。諫早の竹下通り。

アーケード北側入口はこんな感じ。

左側の歩道を歩いてみる。
2024年3月3日,ひなまつりの日曜日,ちょうど14時を過ぎたころだが,ひっそりとしている竹の下通り。

竹の下通りは緑を基調としていて,路面まで緑色だった。
交差点を囲うように掲げられた諫早の名所たち。

「西シ銀」の諫早支店。
メディアは西シ銀、西シ銀…と略すが,口語では言いづらいことこの上なく,市民は西銀と呼ぶらしい。

竹の下通りを抜け,向こう側には全蓋アーケードが見える。
再び本明川を渡る。この橋は「新橋」。

振り返った竹の下通りと,本明川河岸の街並み。

アエルの真ん中,「ほんまち通り」は青色。
ここからは全蓋のアーケード。

とても綺麗なアーケード。緩やかなカーブを描く。
このほんまちアーケードは2002年,栄町は01年,先ほどの竹の下通りは03年の竣工で,現在あるこのアーケードは21世紀のもの。
屋根の下に入ると,人通りも見えてきた。

カーブを抜けると,栄町まで見通せる。
ホームスタジアムのある,ヴィ・ファーレン長崎の掲示が目立つ。

「アエルいさはや」。
2005年に撤退した諫早サティの跡地に翌06年にオープンした店舗。
「不足業種公募型共同店舗」として商店街自らが大型店撤退後跡地に施設を整備した事例で,商店街の迅速な事業展開に加え地権者の全面的協力や国・市による補助もあり,サティ撤退からわずか1年3か月で開業まで漕ぎつけたという。すごい。

ほんまち通りを抜けると,最後に「栄町通り」。ここのカラーはオレンジ。

栄町に渡る前に,振り返って大きな工事現場を見る。
旧十八親和銀行諫早支店。長崎県の「まちづくり景観資産」に登録されている歴史的な建造物。
昭和6年築の鉄筋コンクリート造2階建ての建物で,当初は旧諫早銀行の本店だったという。令和3年7月に近隣支店に移転するまで,現役の銀行支店として使用されていた。かなり最近。
九州ガスHDが土地と建物を取得していて,2階部分に同社の本社を移転,1階部分は交流の場として開放する予定だという。
今回は姿を窺い知ることはできなかったけれど,工事が完了したらまた来てみたい。

さかえまち。
たちばな信用金庫の広告が掲げられているが,なんと長崎県内に本店を置く唯一の信用金庫だった。長崎市に本店のある信用金庫はないのかな、と思ったら、1999年に諫早信金と長崎信金が合併して生まれたのがこのたちばな信金で,県南部の県央・長崎・島原地域を営業エリアとしているよう。
2010年までは佐世保に本店を置く西九州信金があったが,隣県武雄市の杵島信金と合併して九州ひぜん信金になり,本店は武雄に置かれたのでこうなったみたい。
にしても,信金の越境合併はあまり聞かない気がするけれど,どうなんだろう。
諫早,県内唯一の一級河川や唯一の信金があったり,意外な事実がだんだんと見えてくる。掘れば掘るほど楽しい街。

西九州新幹線の掲示も見えた。
「いさはやとLINK いさはやをLIKE」
動き出して2年目の新幹線は,まだ初々しい空気をこのまちに運んでいるような気がする。
新幹線が走り始めたまちの空気ってなんかいいですね。

まちの文具店。通いたい。
たまにきれいにグラデーションに並んだSARASAとか,眺めたい気分になることがあります。

栄町通りの目抜き。

左に目をやると,アワワワワ…と情緒・心理を刺される通りが見えて楽しくなっちゃった。魚棚通り。

ア~~~~~~エディオン。エディオンですよ。
西だ。西ですね…。デンコードーとかじゃないですよ。

その土地の学校の制服だとか,指定ジャージだとか,指定靴だとか,扱っている旨の掲示を見るとかなり撮ります。

いさはやアエル。
官民問わずこの中心街に対する力の入れようはもちろん,諫早の人の心が詰まった,とても大事にされているのだろうな,という中心商店街の姿。

栄町通りを抜けて,アーケードから出る。

3.理想郷〈昭和通り,東小路町周辺〉

アーケードの一本東側の通り,昭和通りにちょっと寄り道。

東本町から田代町通り。

昭和通りに出て南方面,諫早郵便局前。

諫早の街区表示板はシンプルなタイプ。

島鉄バスのバス停は紅白ツートン。
方形はあんまり見たことがないかもしれない。
ここから島原の先端に行ったりできるのかと思うとまたワクワク案件だ。

これは北東北でも遍く見るやつだけれど,字体が激しい。

この通り,結構好きかもしれません。

いい街灯もあります。

先ほどの魚棚通りの反対側。

南に行って「昭和通り」交差点。
丁字路で,県道55号はここで折れて有喜の町へ抜けていく。
ここの「上町」の読みは「カミマチ」だそう。
バリエーションが豊富なので油断できません。

昭和通りの目抜き。
正面の山は多良岳山系。山との距離感バグが平常運転でお馴染みの長崎にしては程よい山との距離感。

西方面へ。
町名は東小路町に変わる。市役所や図書館,県立諫早高と附属中,NTTビル等々,諫早の大事なものがたくさん詰まっている。

区画整理はむずかしいこともあります。

あっという間に本諫早駅。本八戸だ。仲間ですね。
一駅だけ島鉄に乗ってもよかったのだけれど,まだ見たいものがあったので,諫早駅まで歩こう。

?!?!

突如現れたイーハトーブに動揺を隠せない南部領民。正体バレてますよ。
かの宮沢賢治の生み出したことばで,「心象世界にある理想郷」を指す。
そんな言葉を老人ホームの名称に使用しよう,という流れは想像に難くない。
みちのくから生まれた語をこんなところで目にするなんて,なにか感じますね。

本諫早駅前には市立諫早図書館。きれいですよ。

そしてお隣には諫早市役所。
地上10階,地下1階。立派です。

謎の役所の上部ショットは一生連発しています。
曇り空で,このあとポツポツと水滴を感じた。

4.春,石橋の親子〈諫早公園,眼鏡橋〉

?!?!

マジか。花咲いてますよ。
3月3日,ひなまつり。
地元の寒々しい景色とは正反対の華やかな光景に,びっくりなんてもんじゃないです。花咲ける気候なんだ。
折しも八戸は2月末に珍しく大雪に襲われて,この日も路肩はまだまだ雪まみれじゃなかったかと思う。一足早く,春の訪れを感じさせられた。

諫早といえばこの眼鏡橋,ではなく,これは幾分か小さな「ミニ」眼鏡橋。かわいいね。

との感想で現地では見ていたが,執筆時の今調べるとなかなか数奇な生涯を辿っている橋だった。
詳しい経緯については「ミニ眼鏡橋」で検索していただければと思うが,この橋が今この諫早にあるのは奇跡に近いと思う。
ミニはミニでも,その躯体に収まらないビッグな歴史が詰まっている。すごい。

春??
春すぎる。
桃色の花は入学式の後に咲くもの,として認識してきた土地の人間からすると凄いことに映る。

!!!
ありました,眼鏡橋。
長さ49.25m,長崎の約2倍の長さをもつ諫早の眼鏡橋。
1839年に本明川に架けられた石橋で,現存する江戸時代に作られた二連アーチの石橋では日本一の長さ(!)。
1957年,本明川の話でも触れた諫早大水害後の'61年に現在の諫早公園へ移設されたもので,'58年には日本の石橋として初めて国の重要文化財に指定されている,凄い橋。

本明川に架かっていた往時の姿も偲ばれるけれども,今の木々に囲まれたこの姿も,とても素敵だと思った。

5.もどる〈駅への帰路〉

眼鏡橋も観られたので,再び駅へ向かって歩き出す。
3度目になる本明川も見慣れたものに。

マンションの高さが諫早の都会度を高めていると思っている。

街灯オタクが居る。

四面橋に戻り4度目の本明川。今日はこれで最後。

線路の下に潜って多良見方面へ抜ける207号。

「ニュータウン New Town」。たくましい。

特徴的な街灯が戻ってきた。
たった2時間だったけれど,素敵な「諫早旅時間」だった。
またいつか,諫早。

次はいよいよあの長崎。
行ったことがなくとも予感がする超・激ヤバ都市を前に謎の覚悟を決め,心して列車に乗り込む。

〈14. 3月3日 15:39~16:07 JR長崎本線 区間快速シーサイドライナー 長崎行き(諫早~長崎)〉

〈07〉へつづく。


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