見出し画像

エンディングノートはフリクションで書く。

1年、note書くのをやめていた。
念のためと書き始めたエンディングノートに綴りながら辛くなりページを開けなくなった。
自分で自分をえぐった感じだ。
noteも書けなかった。

この1年での気持ちの乱高下を経て、行きつ戻りつまたここに来て書く。

生命保険など諸々の書類の整理し、家族と共有しておこう。
夫や子どもたちに、私のほうの親戚関係も分かるように書いておこう。
そう考え書店の終活コーナーで書きやすそうなものを探すと、意外と種類が多いものだ。
棚の前に長時間しゃがみこみ10種類以上あるなかから選んだ。

家族がこれを読むときは、危篤とか葬儀とか、通常のメンタルではないのだろうから、項目が見やすく、デザインに凝りすぎない、フォントが硬すぎず、ファンシーすぎないもの。

まずは親族の関係を記すトーナメント表のような図の空欄に叔母たちやいとこの名も書いた。3回戦あたりのラインから上はもうよく分からない。後回し。

「わたしの基本情報」「お金や保険のこと」や
「もしものときのこと」など。

そしてこのページの項目が目に入った。


【 心に残っているうれしかった出来事~これまでにあったいろいろな出来事の中でも、特に心に残っていることを書いてください。いつのことでも、どんなことでもかまいません。】

これは参った。家族の思い出があふれ、次々その光景が浮かぶのだけど、そのすべてをもう思い出すこともできないことになるのか。考えると苦しい。息も苦しいし手も震える。こんな項目を書かせるなんて非情じゃないかと自分で買っておきながら悪づく気すら湧いて、それきり手に取らなくなった。親族表の空欄もそのままだ。


書く時期が早すぎたのだろうな、退院から3ヵ月後くらいだったから。でもあの時は、再発したらと考えると自由に動けるうちにやっておかなければと思ったのだし。また気を持ち直したのだし。

思い出は増やしていけて、書き足していける。これから長く生きていけば環境も考え方も変わっていくだろう。「絵画・宝飾品の譲渡先」はそもそも縁がなく空欄だけどいつか書き込むこともあるのか。「連絡してほしい人」が変わったりもするんだろうか。

そうなっても大丈夫。
フリクションで書いているから。

◆エンディングノートは種類が豊富。ネーミングもさまざま。
◆自治体によりHPからダウンロードもできる。
◆定期的に内容を確認、更新。
◆まずはフリクションで書いたっていい。誰にも見せなくても良いのだし。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?