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大量に所持していたものには、意味も価値もなかった

引っ越しをしなくてはいけない期日が迫っている。
それなのに、年末の繁忙期を迎え、全く進んでいない。
6年前の引っ越しのように、
引っ越し屋から提供された段ボールをすべて使い切り、
およそ、家一軒分の荷物を
実家の空いている部屋へ全ての荷物を突っ込んで
あとは見えないふりをして過ごす、ということは今回は出来ない。
なんせ、引っ越し先は2LDKのアパートだからだ。

ここ何年かで趣味のものは音楽関係を除いてほとんど処分した。
母が取っておいた学生時代の教科書もすべて古紙回収に出した。

残るは大量の趣味に関する本と、これまた大量の服だ。

小さい頃から、
教科書や本は大切にしなさい、粗末にしてはいけない、と
言われて育った。
我が家は両親も本好きで、どんどん買って来ては捨てないし、
私も捨ててはいけないと言われて育ったので、
捨てるなんてこれっぽっちも思ったことがなかった。
ひと部屋まるまる本が埋め尽くす部屋があったのだ。
(現在は母がほとんどの本を処分したため、何もない。)
私も実家に戻ってきた際には
ハードカバーに文庫本に漫画の単行本、
もう手に入らなくなった雑誌類、
その頃憧れていた「丁寧なくらし」に特化した雑誌、
料理関係の雑誌にその切り抜き。
箱の底が抜けるくらいにぱんぱんに
こういったものが詰まった箱がいくつもあった。
その後、精神状態が落ち着いて、減らすに減らして
何とか本棚に収まるくらいにはなったものの、
それは単に見て見ぬふりをしていただけの、
すでに過去のものになった書物たち。

それから。

私にはもう一つ見て見ぬふりをしてきたものたちがあった。
それは大量のお洋服たちである。
空っぽな自分を埋めるために、一時期買い物依存だった。
それに加えて、
人より違った服を身に付けたいという気持ちで
お洋服を買い漁っていた時期があった。
思い入れが強くて捨てられない、ということもあるが、
私がお洋服に全力をつぎ込んでいた、
90年代、2000年代初頭のお洋服は
品物が良く、今でもあまり傷みがなく、
加えて私の体型もあまり変わらないため、
普通に着られてしまうのが捨てきれない要因の一つだ。

それでも、背に腹は代えられない。
手放さなければならないのだ。

普通に古紙に出しても良かった。
古着はリサイクルボックスに投入しても良かった。
それでも、本もお洋服もキレイなんだよなア・・・
ここでスケベ根性を出した私は、買取に出すことにした。
しかも、家にいながら箱に詰めて送れば、
査定された金額が入金されるという、なんともものぐさな方法で。
手放した本、53冊。
手放したお洋服、43点。
洋服の中には去年買ったばかりのセミロング丈の重いコートも入れた。
気に入ってはいたけれど、なんせ、重い。
運転する時に着ていると裾がもたつく。
軽いナイロン素材のショートのコートに買い替え、
こちらは下取り対象となった。

引き取ってもらってから待つことしばし、査定結果が出た。

本、0円。
お洋服 1,100円。

理由は古すぎるから。
本に1円も値段が付かなかったことがショックだった。
去年買ったコートもブランド物のショルダーバッグも二束三文だった。
そうなのだ。
買取にも鮮度がある。
一瞬、メルカリの方が良かったかも、と思うものもあったが、
私の持ち物は、他人から見たらほとんど価値がないということを悟った。

その後、片付けは遅々として進んではいないが、
価値のないものを大量に持ち続ける意味を考えている。
あれもこれも、と処分する域にはまだ達してはいないのだが、
目についたものをちまちまと選り分け、
不用品として処分する日々が続く。


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