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反省すべき出来事

人間の足は2本しかないというのに。
私の下駄箱には靴が何足も突っ込まれ、
さらには下駄箱に入りきらない靴が何足も箱に入っている。
正確には、ずっと箱にしまいっぱなしではなくて、
春から夏もの、秋から冬もので入れ替えているのだけれど。

以前の職場は歩いて20分かかった。
家から職場までの距離が短く、交通費が出なかったことと、
日ごろの運動不足を自覚していたため、
私は「徒歩通勤」を選んだのだった。
徒歩で毎日20分歩くと靴が傷む。
正確には踵がすり減ってしまうのだ。
十代の頃から高いヒールが大好きな私。
もちろん、徒歩通勤の際に履いていたのもヒール靴、そして、革靴だった。
細いヒールの先はとても早くすり減り、
そのまま履き続けると本体も傷んでくる。
踵の交換費用は一足あたりの額は少額でも、
しょっちゅう頼めば出費もかさむ。
少しでも靴を長持ちさせようと、
二足程度の靴をローテーションで履き始めたことをきっかけに、
コレクションよろしく、私の靴収集が始まったと記憶している。
その頃の私は買い物依存症だった。
仕事に来ていく服が無いから買っちゃおう。
(実際はクローゼットにも衣装ケースにもぱんぱんに詰まっている)
足に合うサイズがなかなか無いから見かけたら買っちゃおう。
(間抜けの子足で、足が小さいのだ)
考える暇なく、見かけたら買ってしまう。出掛けるたびに買ってしまう。
日々の虚しさを買い物で埋めていたのだと、今はわかる。
そして、気付いたら、
ムカデでも履ききれないくらいに靴持ちになっていた。

その後、結婚生活が破綻し、実家に戻ってきたが、
実家は一軒家だし、母はあまり物持ちではないため、
家の隙間というすき間は私のもので溢れた。
溢れかえった。
その中のひとつが膨大な靴コレクションである。
母も呆れかえり、履き潰して減らしなさいとの命が下ったが、
駐車場と会社建物との往復だけではなかなか靴は傷まなくなった。
かくして、ムカデ生活はいまだ続いている。

秋のムードが漂い始め、サンダルやミュールから
きちんとした靴へ衣替えしたある日。
いつ買ったかも覚えていない、黒いストラップシューズを履いて出勤した。
その日はお昼休みにも用事があって外出、業後も用事があって寄り道。
まあまあ歩いたと言えば歩いたのだが、
ふと気づくと、歩いている時の音がおかしい。
コツコツ、ではなくて、
ぽっこん、ぽっこん、とまるで木靴で歩いているような音がする。
気のせいかとも思ったが、木で出来ているサボのような靴音に
どうも変だな、何かが挟まっているのだろうかと思い、
道の端によって靴を脱ぎ、その靴をひっくり返したところ・・・

踵の底がない!!

そこには踵の底を覆う蓋のようなものがなくなり、その内部がむき出しになってしまっているヒール部分の姿があった。
どうやら、経年劣化で踵の底の部分がもろくなり、
歩いているうちに少しずつ割れてなくなり、内部の空洞がむきだしとなり、木靴で歩くような音がしていたようなのだ。
よく見て見ると、底の部分も細かなヒビも見られ、
靴自体の革はたいして傷みがないものの、肝心の靴底と踵がダメになっていたのだった。

直して履くか

という考えもほんの一瞬よぎったが、
直す方がお金がかかること、
(修理を引き受けてくれる職人が激減し、費用も期間も大幅にアップ)
在庫処分という名目のもと、「以前は気に入っていた」靴を履いていたことを思い返し、感謝してサヨナラすることにした。

買った時、最高に気に入っていた時、その時にとことん履いていれば、
履いて履いて履き倒してサヨナラ出来たものを。
悔やんでも仕方ない。
この一件から、

  • 気にったものはすぐ使う

  • ものも鮮度が命

  • 使い倒して捨てる

ことを学んだ私。
靴はしばらくは買えない。
ものからの重い思いをかみしめながら反省の日々を送る。


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