【2023年振り返り①】転職を全く考えてなかった自分がLLMにハマり気づいたらtwitter転職していた話。
みなさんお久しぶりです。つじちゃんです。
3年ぶりのnoteです。今回は、一点ご報告があります…!!
\\この度、3年間働いていた会社を退職し転職することになりました!👀//
ということで、
今回はベンチャー界隈で流行りの”退職エントリ”の流行にのって、
皆様にご報告しつつ、前職の学びを噛み締めようじゃないか、
新しいスタートに向けて覚悟を磨いていこうじゃないか!
というnoteでございます。
超自己満noteなので読みづらいは思うんですが、
もし興味があれば最後までお付き合いくださいませ。
前職はLINEマーケと行政DXのSaaS企業
って方もいるかと思うので簡単に説明すると、
株式会社アローリンクに入社し、ソーシャルデータバンク株式会社に出向し、新卒から3年間の間ITプロダクトの開発とインターン運営のお仕事をしてました。
ソーシャルデータバンクはLINE×マーケティングの領域SaaS会社で、
業界のパイオニア的存在の会社です。また、行政のDXにも手を広げ、コロナ禍に入ってからは、コロナワクチン予約システムや GotoEatの利用システムなど国レベルのDXをやっている会社です。
僕が入社した2期目から6期目まで、毎年倍々に成長し、自分が在籍中で10倍近く売上を伸ばす、非常に勢いのある会社でした。
シリコンバレーで学び、顧客起点の開発者を志す
もともと受験の劣等感から「自分は理系では輝けない。」という謎の思い込みから、院に行かず、学部卒で就職することを決めており、自分に向いていること・やりたいことを探し続ける大学生活でした。
ただ、なかなかやりたいこと・自分に向いていることは決まらず、
苦しみ続けました。精を出せることがない生活は毎日15時間以上勉強しかしない浪人生活よりも圧倒的に苦痛でした。
当然授業にもやる気が出ず、テスト前に友人に教えてもらって、なんとか単位を取得するだけの不毛な大学生活。
そんな授業は優秀な同期のおんぶにだっこの中、唯一人に教えられる授業がプログラミングの授業でした。
「自分にはプログラミングしかない…!」
そう意気込んで、情報系の東大生がゴロゴロいるようなインターンに応募。しかし、そこに待ち受けていたのは、小さい頃からPCを触れて続けてきた天才的な東大生達。
あまりの格差に挫折をしてしまいました。
「結局自分が輝ける場所なんてないのか…」
そう思ってまた”やりたいこと探してる病”に戻ってしまいました。
そのままズルズルといき就活もうまく行かず、
そのタイミングで第一志望に落ち、彼女にも振られました。
絶望の状況の中、それでもどうしても自分の人生を何かを変えたくて、
「そうだ、滝行とシリコンバレーに行こう!」
となりました。(?)
「でもお金がない…なら借りよう!」
これまではお金を借りる=良くないことだと思って敬遠していたんですが、このときはタガが外れていて、気づいたら金融機関から100万円借り、滝行とシリコンバレーに行きました。
シリコンバレーでは、デザイン思考という、「技術をどう使おう?」ではなく「この課題を解決するにはどんな技術が必要なのか」という”課題ドリブン”で人間中心の開発手法を学びました。
現地の方から上の言葉を聞き、これまで「技術では敵わないから自分は輝けない」と思っていたが、1開発者でも技術一本ではなく、顧客に向き合える開発者という選択肢もあるんだ。これだったら自分にもチャンスはあるのかも知れない。
「顧客に向き合える開発者になろう」とそう決めました。
日本に戻ってから就活を再スタートし、一番それが実現できると感じた前職の会社に運良く入る事ができました。
プロダクト開発×教育に目覚める
前職の会社では主に、
自社SaaS(LINEを使ったマーケティングツール)の開発
地方交通をDXするプロジェクトの社内の責任者
学生インターン生のエンジニア組織づくり
をやっていました。
最初はガチの開発は初めてだったので、呪文のようなものが飛び交い、エラーに悩まされ、泣きそうになりながら仕事をしてました。
早く会社に貢献したい一心でプライベートを捨てて開発に没頭していました。
このときは、「仕事以外の時間って何してる?」と聞かれても
「仕事のこと考えてるか・仕事のための勉強している」と答えていました。
こちらの頑張りが報われたせいか、自分の始めて携わった機能が後に、学生支援緊急給付金』LINE申請サービスに使われ、三谷大臣政務官賞を受賞したり、地方交通をDXするLINEバス定期券のプロジェクトがgooddesign賞を受賞したり、一定の成果を収める事ができました。
また、開発プロジェクトと平行してエンジニアインターン組織づくりを行っていました。最初は会社に同世代がいなくて寂しいと思って、同期の友達を誘ったことからスタートしたのですが、気づいたら50名程度の組織にまで膨れ上がってしまっていました😂(笑)
最初は初心者で技術においても、仕事そのものにおいても右も左も分からず、仕事に対してネガティブな印象を抱いていたり、自分に自身がなく将来に不安な学生達がたくさん訪れました。
そんな学生達がぐんぐん実力を伸ばしていって、プロジェクトをこなせるようになり、自社の開発で活躍したり、メガベンチャーやビックテックのインターンに参加して優秀賞を取ったり、内定を勝ち取るメンバーがゴロゴロ生まれてました。
そんなメンバー達が
「西辻さんにあって人生変わりました!」
「仕事ってこんな楽しいものなんだと知りました!」
冗談でもそう言ってくれるメンバー達がいてくれました。
「自分が天才エンジニアになるよりも、天才エンジニアになるきっかけづくりがしたい。」
そう思い、プロダクト開発×教育で戦っていこうと決めて、どうやったら目の前のメンバー達が輝けるかを必死に考え抜く期間を過ごしました。
直近のキャリアをLLMに全BET
プロダクト開発×教育に勤しんでいた、2023年春自分の中に衝撃が走りました。そのとき登場したのはLLMでした。
自分はそれまでにAIの研究を行ってきましたが、ある程度革新的な便利なものではありましたが、そこまでインパクトがあるもののようには感じてませんでした。
しかし、LLMの登場により、「あ、これは人類に革命が起こる」と悟ったのです。
それから毎日twitterに張り付き、朝から晩まで情報収集をしていました。
朝に衝撃的なニュースが舞い込み、人類はどう変わるのか?自分はどういきるべきか?を考え始め、答えが出ずに夜を迎え不安なまま眠り、朝になるとまた前提が変わるような大きな発表が舞い込んでくる。
新しい技術にワクワクすることを超え、目がぐるぐる回って疲弊困憊状態になってしまいました。
「だめだ、このままでは置いていかれてしまう。仕事している場合じゃない仕事を手離してLLMに全BETしよう。」
そう思いLLMを使って仕事ができる場所を探そうと動き始めました。
Twitterから2時間で転職を決断
LLMについて勉強していくうちに自分の中での方針が見えてきました。
この軸で何をすべきか考えていたところ、twitterである投稿を見つけました。
この投稿を見て、ビビッとくるものを感じ連絡しました。
平岡氏の「生成AIで非エンジニアでも開発ができる世界線を作りたい」という想いを聞いたときに、自分がこれまで向き合ってきたプロダクト開発、教育の経験、そして今興味のある技術が全て重なり、「自分の次のキャリアはここにしたい。」と思いました。
30分のzoom面談+一回の飲みで平岡氏とは意気投合し、幹部として立ち上げ期から関わることになりました🔥
自分は結構不安を感じやすいタイプの人間で、転職することに対してもリスクばかりを考えてしまい最初はかなり後ろ向きでしたが、この瞬間だけはものすごい直感が働いて一切の迷いなく決断してました。
冷静に考えるとtwitterであった見ず知らずの人に2時間程度でえいやで転職してしまうのはやばいですよね😂
ここまでが2023年の1月〜5月転職するまでの話。
新しい会社での6月以降は人生で一番激動の時間を過ごすことになります。
それはまた次回のnoteで。
最後までお付き合いしていただきありがとうございました!
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