推しのビート板、あなたならどうするね?
ゴールデンカムイが好きだ。
アニメで見てハマって、勢いで漫画も揃えて、
舐めるように何度も読んでいる。
実写映画も劇場まで観に行った。
秋には続編の実写ドラマの放送が予定されていて、とくに今日(8/22)は人気キャラクターの実写キャストの発表があり、ファン界隈は活気づいているのである。
それで思い出した訳ではないのだけど、本当にそういうことだったらすごいなと思ったことが
あったので、書いてみたいと思う。個人の勝手な想像なので、そんなこともあるかもね、と読み流してほしい。
物語を追体験できるすごいグッズ
ゴールデンカムイ、作品自体はもちろんなのだが、キャラクターグッズの展開を見ているのも面白い。
買い集める程ではないけれど、一体ファンにどういう体験をさせたいのだろう、と想像しながら、グッズ情報を眺めている(推しにすら金を投下することを渋るドケチ女の楽しみ方だ)。
グッズの中でも、一番好きだな、と思ったのが、昨年だったか、海の日にちなんだグッズのプレゼント企画があった。
そのグッズとは、ビート板であった。
泳ぎが得意な房太郎というキャラクターのちょっとスケスケな絵が描かれている。海の日だし、泳ぐキャラクターだし、それでビート板なのだろう…と単純に考えていたのだが、それを使って泳いだときに、どういう体験になるのだろう、と妄想してみて、気付いた。
このビート板は、ゴールデンカムイの物語を追体験させるすごいグッズだったのだと…!
推しのビート板であるが故の葛藤
あなたもぜひ、自分の推しがビート板に描かれていたら、と想像してみて欲しい。
愛しい推しが目の前にいる。私は推しに向かって一生懸命泳ぐのだろう。しかし、ビート板というのは、腕をピンと伸ばして使わないといけないのだ。
つまり、
どれだけ推しに向かって進んでも
一生推しに追いつけない。
だけれど、やっぱり自分のものにしたい。
この胸に、推しを抱いてしまいたい。
そんな欲望に駆られた私は、きっと使い方のルールを破って、ビート板ごと抱き寄せてしまうことだろう。
そして、案の定、プールの底にブクブクと沈んでいくのだ。。。
「欲しいものを自分のものにした途端、消えてしまう」
ゴールデンカムイのキャラクターたちは、それぞれに信念を持っている。それを別の誰かや何かに投影し、期待をかけて、手を伸ばし続ける。そして欲望のままに触れれば、たちまち消えてしまう。
手を変え品を変え、そういった関係性が繰り返し描かれているように思う。
そして、この房太郎のビート板は、そんな作中のキャラクターたちが体験(体現)する物語を、使うファンに実体験させるかのような悪魔のグッズなんじゃないか。
腕を伸ばしたまま、永遠に眺めて進み続けるか。
それとも、胸に抱き寄せて一緒に沈んでいくか。
あなたなら、推しのビート板、どうしますか。
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