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ようやく筋膜リリース&骨盤矯正4日目、ほっとひと息

筋膜の記憶は侮れない


初施術から一週間以上が経ち、綺麗な姿勢を取り戻しつつある最近。
この施術を受けるきっかけになったたぬきちさんの記事のなかで、筋膜剥がしを始めてから、過去の記憶と向き合ったというお話がありました。

筋膜が覚えている“いっちばん生き辛かった”過去の記憶が悪夢とともによみがえり、対峙せざるを得なかったとのこと。

「ほんまにそんなことあるんかい…」と関西ことばが移りつつ、半信半疑のツッコミを入れましたが(すみません)、いや…筋膜の持つ記憶は侮れない。

今のところ湧きあがるのは、“いっちばん生き辛かった”記憶ではないものの、そこそこ生き辛かったけどがむしゃらに生きたと言っても過言ではない、むき出しでひりひりの青春時代の夢を、毎朝のようにみるようになりました。

高校時代に仲良しの友達にふざけ半分で向けたものの、言った直後に「こんなに酷い言葉を言わなきゃよかった、やっちゃった…」と気まずくなり後悔したけれどタイミングを逃し未だに謝れていない、その瞬間のフラッシュバックの夢だったり、

当時付き合っていた人と大人になってからばったりと再開し、彼の家の近所を散歩しながらまったりと思い出を語る夢だったり(すっかり忘れていたけれど、偶然にも整体院のあるあたりだった)、

ピアノの発表会で着る服を母親に相談したら、予想より女子女子してる服を選ばれて不服そうな面持ちで当日を迎えたものの、舞台上ではその服は曲のイメージにピッタリ合う上品なもので、「ほんとにセンスいいよなー」って更に母親が好きになったときの夢だったり、

大学進学で東京を離れる際に、見送りに来てくれるはずだった友人は寝坊し会えなかったけれども、「寝坊した ごめん」のメールが、今生の別れの様に思えて心許なく、新幹線の車内でずっと泣いていたその場面の夢だったり、

浮き沈みはあるものの、夢にみるのはやはり、10代の記憶でした。

“いっちばん生き辛かった”ころの悪夢はみませんが、それでも、ぐっと堪えて気持ちの深掘りや追及すら諦め、かつては無視した感情を一つひとつ手に取り、ようやくすらすらと言語化できるようになった感覚はあります。

「心も体もほぐれる」と同時に、往年の感情の整理整頓をしているようです。

一生に何回、こんな風に気持ちに余裕ができてゆっくり考えるタイミングに恵まれるのかと思うと、そう何回もあることではないような気もするので、これまでの筋膜リリース記録を無料マガジンにまとめました。

ほぐれた今だからこそ、より大切にしたいことがある


それは、「日常を楽しむ努力」を怠らないこと。

美味しいアイスコーヒーを見つけたり、誰かとおしゃべりをしながら商店街に焼き鳥を買いに行くだけだっていい。
そのふとした瞬間の楽しさや幸せの積み重ねこそ、後から振り返ったときに、かけがえのない一瞬だったと思えます。

欲張りが必ずしも悪いわけではないけれど、そうなった瞬間に取りこぼしてしまったり見過ごしてしまうことが、必ず出てくる。
“足るを知りつつ”“欲も満たして”、バランスよく生きていきたい。

少し検索すれば、様々なハウツーやライフハック、教育系の動画や情報が出てくる昨今。
それらに影響された日々がなくもないのですが、その時期を通り越えてひとつ思うこと。

“理論や理屈も大切だけど、五感や自分の感じ方も大切にしよう”

あの動画ではこう言っていたけれど、私自身は違和感を覚える…こうゆう割り切り方がいいとは頭では分かっているけれど、釈然としない…こうゆうことがあるとき、この直感はかなりの確率で当たっています。

とある情報を活用することは大事だけれども、それに振り回されたり鵜呑みにして押し通す必要は絶対にないし、それで大切な知人との関係に軋轢ができたら元も子もないのですから。

その情報に不十分さ(不完全さ?)を感じたときに、そこにプラスするものは何か、そこからマイナスするものは何かと自分で考えて判断できる素養は既に磨かれているはず。
価値観も考え方もこまめにアップデートしながら柔軟に生きていけるのが理想です。

目の前の相手や事象と丁寧に向き合っていく姿勢があれば、そんなに悪い事には巻き込まれない、むしろいい循環しか生まれないでしょう。

そんなことを、緊張がほぐれ楽になった体で改めて考え直している、最近でした。


余談ですが、「SPRIGGAN」アニメ化をついさっき駅の広告で知り、世代ではなく途中までしか後追いしていないけれども懐かしい気持ちでいっぱいです。
個人的には皆川さん「PEACEMAKER」もアニメ化されたら嬉しいです。

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