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『present from snow crystals』

 雪が嫌いだ。
 僕は世界で最も雪とは相容れない人物だと信じて疑っていない。凍った雪に足を滑らせたことは数え切れないほどあるし、電柱のそばを通りかかれば高確率で落ちてきた雪を頭からかぶる。果てには家族で遊びに行った帰りに大雪に降られて車が立ち往生したこともあった。僕には雪に対するいい思い出がまったくと言っていいほどなかったのだ。
 小さい頃は……どうだったろうか。たしかに雪だるまやかまくらを作ってわいわい楽しんでいた記憶はあるが、もはや今はそんな歳ではない。ともかく、大きくなるにつれて雪との相性が絶望的に悪くなってしまった。

 そして、今日も朝から見事に雪のありがたくない恩恵を受けているわけである。
「雪によるポイント故障で運転を見合わせております、再開の見通しは立っておりません……」
はあ、と放送を聞くたびにため息をつく。学校への遅刻は確定だ。ベンチに座り込み、単語帳を開いてぼーっと見つめてみたが、何も入ってこない。せっかく少し早めに寝て早めに起きたというのに、庭が一面銀世界だったときは絶望した。
「嫌われてんのかなぁ……神様に」
と柄にもないことをつぶやく。神なんぞいないに決まってるのに。
 「今日、楽しみだったんだけどなぁ……」
「え、何が楽しみなの?」
独り言の返事に思わず顔を上げた。そして思考が一瞬停止した。
「……なんでいるの」
よりによって脊髄反射で最初にかけた言葉がそれか、と我に返ってから反省する。見慣れたその顔は、他でもない……言いづらいが、僕の想い人だった。
「えへへ、今日は寝坊しちゃってね……それで、ちょっと急いで行こうとしたんだけど、この雪でしょ?おかげで時間かかっちゃって、そしたら電車止まってた」
「寝坊なんて珍しいな、いつも僕より早く来ているのに」
「それはお互い様でしょう、どうしてそっちこそこんなところで」
「あー……逆にちょっと早めに家を出たらこのザマだった」
「ほーう」
気の抜けたような、納得しているかわからない返事をして、彼女は僕の隣に座った。
「ちょ、なんで隣に座るのさ」
「え、ダメだった?」
「いや、ダメ……じゃないけど」
「そう、よかった」
安心しているような笑顔にドキリとする。あぁ僕もうダメだな、と目を伏せながら思う。
 「それで、何が楽しみだったの?」
ぐ、と言葉に詰まる。彼女に一番聞かれたくないトピックだったからだ。さすがにこの場で核心を突くことはどう考えても言えないので、口を滑らせないよう慎重に話す。
「えっと……今日、修学旅行のグループの話し合いあるじゃない?」
「あー、あるねぇそういえば、同じ班じゃん」
僕が浮かれて早寝早起きした理由はこれだった。修学旅行の自由行動で、どういうめぐり合わせか僕は彼女と同じ班になったのである。もちろん付き合ってどうのこうのということは一切考えていないのだが、好きな人と一緒にいられることのうれしさと言ったら、何にも代えがたいものだった。
「それが……うん、楽しみだなぁって」
「なるほどー……」
そこで会話が切れた。やってしまった、と心のなかで頭を抱える。もっと他に言うことないのかよ自分、とボディブローをかます。
「あはは……なんでこんなことにウキウキしてんだろ」
「えー、こんなことって言わなくたって、私も楽しみだもん。それなのに学校遅れそうでさ、ツイてないね」
「……そっか」
ちゃんと笑えてるかな、僕は。彼女の言葉にホッとしながらも、自分のことの方にやけに不安になった。
 「ねぇねぇ、雪は好き?」
「え、どうしたの急に」
おもむろに聞かれるものだから僕はそう言った。嫌いだ、なんてストレートに言うべきか、わからなかった。
「ふと気になったから」
「そういう君はどうなの」
真意を測りかねたので質問を質問で返した。ずるいな、と少し後悔した。
「んー、私は案外嫌いじゃないかも」
「どうして?」
「なんか非日常みたいな感じで、楽しいじゃない?そりゃあ転びそうになったり、電車が止まったりもするけど…….でも、ずっと晴れとかずっと雨とかよりも、たまにこんなことがあったら、生きているの面白いなって。今日も、あぁ遅刻しそうだなって不安になったけど、運良く君に会えたし」
え、と思わず声に出してしまった。それは僕と会えたことをうれしく思ってくれているのか。そうだといいな、とか考えてしまって、どうしても次の言葉が紡げない。
 「はい、これが私の答え。それで、どうなの?」
パスを出されて一瞬固まった。何を言おうか、どうしようかなと考えて、少しずつ口を開く。
「えっと……僕は、正直なところあんまり好きって感じじゃないけど……でも、話を聞いてたらたしかにそうかも、って思った。暗い気持ちになってたけど、たまたま会えたし、話もできたし。結構悪くないな、って。どう、かな?」
全部喋り終えてから、ああ随分と恥ずかしいことを言ってしまったかもしれない、とまたもや自分の心にボディブローをかます。これでよかったのかな、と不安になったが、頑張って彼女の顔を見る。
「そっか……ふふっ、よかった、私とおんなじだ」
微笑む彼女のその言葉に、冷え切っていた心がちょっとあたたかくなったような気がした。
 まだ、雪は止みそうにない。

 訂正。
 雪は、案外悪いものではないのかもしれない。
 なぜなら、あの子と少しだけ、いつもより長く触れていられたから。


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