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人間のエゴイズムについて

※あくまで個人の意見です。ここに書いてあるのはすべてが事実とは限りませんのでそのことを承知で読んでいただけると幸いです。
 ヒトには利己心、いわば自分の欲求、嗜好を満たすことを第一とする感情があります。周知の事実ともいえるでしょう。この利己心に従って行動すること、それをエゴイズムといいます。エゴイズムは非常に人としてデリケートな内容であり、難しい内容だと思います。そこでエゴイズムをもう少し身近なものにしましょう。
 エゴイズムを考えるにあたって最も適する例であり、教材は小説「こころ」です。「こころ」は夏目漱石が書いた小説で、高校の現代文の教科書に掲載されるほど、ポピュラーなものだといえます。
 「こころ」では人間の利己心は次の二つの事象に関係すると描かれています。「恋愛」と「金」です。詳しいストーリーの説明は省きますが、主人公はこの二つで自分のエゴに悩まされることとなるのです。そこで、恋と金それぞれでどのような現れ方をするのでしょうか。
 恋では相手に対する束縛感情、すなわち相手を独占しようとする感情が生まれます。そこでもし相手のことを優先するとすれば、相手を自分のものにしようとはしないでしょう。しかし相手に恋愛感情を抱くというのは、その相手に対して、自分の感情を優先させるということを示すのです。すなわち恋とは、エゴイズムの代表例と言えるのです。
 次に金です。金は何をするにも必要ですよね。それが人にとって金に依存させる考え方が強制される最も大きな理由です。そして、金に依存してしま
う、それは自己の表れとも考えられます。ここで、金の存在=自己の存在は飛躍しすぎた話だと思いますか?答えはいいえです。それを体現させるために次の質問への回答を考えてみてください。「あなたは金を何に使いますか?」この質問の回答として様々な回答が考えられますが、それらを総合して根本を見てみると、「生きるため」に行きつくと思います。それは自分のためを第一に思っているという確固たる証拠ですよね?そこで利己心と金は深い関係にあるということがわかりました。
 利己心を考える上で最も重要なこと、それは人間の心の本質、いわば特徴に由来します。人間の心の本質はこの世界のすべての事象の定義に由来します。ではそれは何か?「この世のすべてのものは正負の関係で存在する」ということです。言い方を変えます。特定のあるものにはそれと対になるものが必ず存在する、ということです。もっと具体的な話をするために例を出しましょう。みなさんは占いを知っていますよね?占いでは運気について扱いますが、「人生の運気の総和は0になる」という考え方が存在します。運気は波として例えられます。数学的に表現すると波は極限値をとりません。また、収束も発散もしません。つまりどこまで行っても、現実の物事の総和は0になるように考えられていることがいえます。
 ここでもう一度利己心の話に戻りましょう。人間の心であっても先ほどからの理論が証するように、プラスとマイナスのように絶対的相対する2つ以上のもの(感情や認識の種類)が存在するということです。では利己心において何が対になるのでしょうか。私は親切心、広く言えば「慈愛」だと思います。利己心がある人間は人のことを考えている(親切心を持っている)とは思えませんか?そこで具体例のもとで説明しましょう。
 利己心が表れる場面、恋と金で説明していきましょう。
 まずは恋からです。恋はまず前提条件に相手のことが好きであるということがついて回ります。相手を思っている、誰よりも大切だからこその独占、束縛が生まれるのだと思います。つまり恋はさきほどで挙げた利己心と慈愛の対となる2つが如実に表れる事象なのです。
 つぎに金です。金は現代社会においてなくては生きていけないものです。生活必需品とでも言いましょうか。金は自分も他人も必要としています。では、自分が生きていけないのにも関わらず、他人を生かすことは可能でしょうか。答えは不可能です。要するに、お金を慈善活動に使っている人は、自分の生活を養うことに加え、余裕がなくてはならず、慈善活動は自己満足のために他ならないということです。要するに、他人のことを考えるということは、自分に余裕があることの裏返しであり、同義の事象であるわけです。
 そこで、私が人生のバイブルとして尊敬しているある作品「NARUTO」にこの私の考えの原点が書かれています。「深い愛情は強い憎しみのリスクを負う」という言葉です。詳しくは作品を見てほしいので、ここでは紹介がてらにしておきますが、この言葉には愛情と憎しみは相対的存在であり、互いに同時に存在してなくてはならないということだと思います。ここから人の感情、考えにも±0理論が使えると思います。
 ±0理論からわかることは、我々のあらゆる抽象的概念との向き合い方だと思います。例えば自己中な人がいるとしましょう。自分を大切にできる人しか他人を大切にできる素質があると捉えることができますよね?次に他人思いな優しい人がいるとしましょう。しかしその人は自分が本当に追い込まれたときに、他人を尊重した判断を下せるのでしょうか。そういう風に、この理論は新たな問題点また解決策を明らかにさせる理論でもあります。そこで皆さんも一度自分や周りの人、またニュースで取り上げられている問題も見直してみてください。利己心を悪者として切り捨てるのは誰でもできますが、同時に相対的な立場で考えられる能力が必要です。そこで、一つの例である慈愛と比較して結論付けると、利己心とは、人間の本能に近い心情で、他の人間と協力して生き残ってきた人間の本質的な要素の一つです。そして他人を大切に思える人こそ、強い利己心を持ち得るリスクがあるということなのです。

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