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油たっぷりの唐揚げを

友人との通話。うまい言葉が見つからない。

頭の中を何通りかの言葉が巡る。このモヤモヤを理解してもらおうと。

巡った言葉たちには答えがない。どの言葉も結局回り道をしているような気がしてしまった。

「結局ね、何か作りたいのよ」

その言葉にたどり着くまでの説明はいくらかすることができる。抽象的な思考をしがちな自分を具体に落とし込みたい。何か意味が与えられてから行動するだけではなく、自分で納得する行動を自分でしてみたい。パッケージに当てはめられるだけではなくて、自分で自分を定義してみたい。とか。

ただ、「作りたいのよ」の一言の前では、結局全部当て付けに過ぎないように感じられる。それは衝動であって、それ以上でもそれ以下でもなかった。

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大学から一通のメール。
それはコロナ禍におけるメンタルヘルスに関する調査のアンケートだった。何人かの博士課程の学生が、定期的に学生にアンケートをとってその影響を調査する、という内容のもの。

アンケートに答えるメリット:
記入すればあなたのメンタル状態についてのフィードバックが送られます
アンケートに答えるデメリット:
あなたの時間を使ってしまうことです

と、ご丁寧にそれぞれ書かれている。

フィードバックがもらえるのは面白そうだ、ということで回答に進む。

20分程度アンケートに回答した時点でページの上部に青色のバーを発見。まさかアンケートを進めていくうちにこれが長くなるなんてないよな、なんて思っているとページを進めるごとにその長さはジリジリと伸びていく。

絶望的な長さである。博士課程か...。

なんて思っていると、「ここ1年間で衝動的な食欲に駆られたこと、或いは食欲が減退したことはありますか」という質問が目に入る。

「あります」

これまでに何度か経験したことがある。そのうちの一回は最近のことである。それは衝動的な食欲、というより破壊衝動といったほうが近い。

とにかく何フリ構わず食べる。油たっぷりの揚げ物とか、マヨネーズご飯にかけてみたりとか、それを罪悪感を置き去りにひたすら食べるのである。

すると自分の身体が、心が自分の元に戻ってきたような感覚になる。頭ばかりが先に行って、感覚や感情を置き去りにしてしまっていたような状態の自分が再び均衡を取り戻す。

油のたっぷり含んだ揚げ物たちを欲望に任せて身体に摂取するその過程は、身体に悪い、という言説を簡単に追い越して行く。

言葉でいっぱいになった頭。その暴力的な行為は、頭の中にたくさんに生み出された虚構まじりの想像を破壊した。そして訴える。

今ここに実態はあるのだと。


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