組織系フリーランスの生きる道
お前が死にたいと言って無駄に過ごした今日は、昨日死んだ奴が一生懸命生きたかった明日なんだ
という言葉は、あまりにも有名だ。
2chで広まったみたいだけど、元ネタは「カシコギ」という小説の一説だそう。
このあいだ家でてきとうなお味噌汁を作りながら考えごとをしていたら、ふとこの言葉が浮かんで「そうだよね、」とひとり納得してしまった。
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フリーランスでこのままやっていくことが、果たしてわたしにとってベストな選択なんだろうか。
ここのところそんなことを考えてばっかりだったから。
予期せぬピンチから逃げられてしまう
わたしがカフェでレアチーズケーキをつつきながら原稿を書いているときに、会社員をしている同世代の友人達は億単位のお金が動くプロジェクトを担当していたりする。
上司から理不尽な指示を出されているかもしれないし、意地悪なクライアントに嫌味を言われてるかもしれない。
でも、それも含めてきっと納得して、プライドを持って生きているはずだ。
「会社に縛られている」という表現もある。
だけどそれがネガティブだとは思わない。
おとなになったのだから、本当に嫌だったらいつだって環境を変えることはできるんだもの。
「縛られている」は自虐を込めたあえての表現で、本当は「守られている」し、「利用できている」んだと思う。すばらしいことだ。
一方で、わたしたちのようなフリーランスは「自由だ」と言われる。
それと同じくらい、「でもすごいですよねぇ、全部自分で決めて、責任もあるわけだし」とも言われる。めちゃめちゃ言われる。
でも、「全部自分で決められちゃうことは、実はおっきなリスクなのでは?」と最近すごく思っていた。
自分の判断軸を主にして働くことは、自分の思考の外にある、想像もできなかった事態との出逢いを減らしてしまっていることにならないか?
もちろん、フリーランスとして複数の企業さんと関わらせてもらっていれば、ちょっとしたドタバタ事件みたいなこともあるはある。
だけど、関わる人たちはわたしの上司や先輩でもなければ、後輩でも部下でもない。
要するに、組織に属していない以上、本当の意味での仲間になることは難しい。
それってすごく、もったいなくないか?とここのところ思っていた。
人は、人と関係を持つことでさまざまなことを学び、豊かに生きていくすべを身につけていくものだと思う。
だとしたら、一つひとつの関係が深く、強くあるといいはずなのに。
でも、ここで冒頭の「お前が死にたいと言って…」をはたと思い出したのです。
なんでもきっと表裏一体だ
わたしが中学生のころ、『13歳のハローワーク』という本が大ヒットした。
子供たちに向けて、世の中にはどんな仕事があるのかを分かりやすく解説してくれている本で、当時高校の推薦入試を控えていたわたしは、志望動機や将来の夢をきちんと答えられるようにするために、何度も何度もこの本をめくった。
「文章を書きながら、茶道を極めて、たまに小説も書きたいです。できれば一軒家に住んで、友だちと家でご飯を食べたりする予定です」
そんなことを面接試験で言ったら一発アウトだったと思う。
ところが今のわたしはまさにあれ↑なのだから、人生わからないものだなぁとつくづく。
そうなのだ、「会社員じゃない自分」に迷いながらわたしが生きてる今日は、「フリーで働きたい」と夢見る会社員の誰かの生きれない今日なんだと思う。
(ちょっと無理やりだけど)
ここに気がつけて、お味噌汁をつくりながらなんだか「ただいま」と思った。
自分の意思で働くことと、組織に属さないことは同じじゃない。
わたしはそれを体現したくて、今のキャリアを選んだんでしょう?って。
ここのところのわたしは今「ここにある」環境を疎かにしていたのかも。
会社員じゃなくても組織人にはなれるよね
わたしは、フリーランスの編集者にしては珍しい働き方をしている。
大きな企業のオウンドメディア担当をさせてもらっていて、だいたい毎日オフィスに出社して、チームがあって、超有能で超変人なリーダー、同年代の愉快なメンバーとたのしく働いている。
(ちなみにこの記事のTOP画像は出社してない間にイタズラされた私のデスクです笑)
よくぞこんなに自由度の高い働き方をさせてもらえているなぁとありがたさしかない。
タスクさえこなせば出社時間と日数は自由だし、「そこにいてくれるなら」とすこしくらい他の作業をしていても大丈夫で、納会や事業部懇親会などの「会社っぽい」イベントにはちゃんと参加させてくれる。
同じ社員でないと、上司じゃないのか、先輩、後輩じゃないのか?それはちがう気がしてきた。
組織の一員であるかどうかは、雇用形態じゃなくてそれこそ「意思」の問題だ。
チームの誰かに何かあれば本気のフィードバックをするし、困っていたら出来ることを精一杯して支えるし。そういうことの積み重ねで、自分に落ち度があればちゃんと指摘してもらえるし、評価されれば新たなチャンスを用意してもらうことだってできる。
もちろん「予期せぬピンチ」にも望まずして出逢える。笑
ただ、正社員と業務委託は雇用形態が完全に違うので、会社の人からしたら「外で活躍してる人」と思われがちでもある。
そこの垣根をなくす努力は、フリーランスを選んだ自分がやるべきことだ、とも。
「心の仲間」になること
フリーランスだけど組織人、をこれからも体現できるようにがんばろうと思うのだけど、もしもこれから同じような働き方をしたいと思ってる人がいたなら、わたしがやってみてることが参考になれば嬉しいです。
なるべく姿を見せる。だいたいそばにいる
呼ばなくても来ると信じてもらえるようになればなるほど、契約内容の出社義務などはある程度寛容に設定できます。信頼関係第一◎
心で会話する
何を思ってどう働きたいのかを、仲間や目上の人に本音で伝えると信頼してもらえます。フリーでも会社員でも同じことだけど、でもフリーだからこそ、これを手間だと思わないこと。あと、飲み会好きは得をします笑
もっとあるかなーと思ったけど、案外このふたつがすべてかも?
いつでも自由、いつでも離れられるし離れさせられるからこそ、「人」としてのあり方を常にたいせつにしていきたいなぁ。
ここから下はおまけです。
ひとりくらい変な人いてもいいかしら
思い出したのだけど、そもそもわたしがフリーランスになろうと思ったのは茶道の存在がかなりあるのでした。
お茶のお稽古やお茶会、茶道具の展示や勉強会などには、正直言って週休2日8時間勤務の生活では太刀打ちできない。
それ故に、仕事を引退したご年配の方々の嗜みになってしまっているのも事実です。
でもさ、お茶ってお金がかかるし、若いうちからきちんと修行してこそ実りある文化だと思うのです。
だからわたしは、自由度の高い働き方でしっかり稼いで、お茶も本気で頑張って、いつかお茶の先生しながら文筆活動するんだ☺️
なんだか昔の人みたいな生き方かもしれないけど、そんな人がいてもいいと思うし。
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