もしも願いが叶うなら
毎月の、大好きな大きめの仕事が昨日ひと段落ついた。
校了や〆切の翌日は、いつも不思議な穏やかさに包まれている。
急ぎの用事もないし、今日は無計画に出かけて、気が向いたカフェで原稿を書こう。なんて思っていたのに、そんなときに限ってAirPodsの充電がない。文字起こしをしないと進まない原稿だっただけに、いまひとり、青山のブルーボトルコーヒーにぽつんと座ってトーストを食べている。
まぁ、これも予期せず天からプレゼントされたお休みということで。これくらいのドジをポジティブ変換できるのは、わたしのいいところ。
ということで、久しぶりに私信を綴ることにした。七夕だしね。
*
「もしも願いが叶うなら」
というフレーズがすきだ。特に、雨が降っていたり、ぱっとしない天気のときに脳裏に浮かんでくる。
もしも願いが叶うなら
吐息を白いバラに変えて
逢えない日には部屋中に飾りましょう
小林明子さんの『恋におちて』は、カラオケに行くようになってからちゃんと知った歌。世代じゃないけど、しっとりした空気感が雨の日に合うなぁと思っている。
「もしも願いが叶うなら」
思えば、昨日校了した冊子のショートストーリーにも、このフレーズを使っていた。それくらいすきなことば。
他力本願なわけでもなく、強く願うわけでもなく、ある種の諦めというか、叶えばいいな、でもまぁ叶わなくてもいいか
-くらいの願い。
人生には、そんな軽やかさがほしいと常々思っている。
無責任に願っちゃだめなんてことはない。必ず自分が努力をして、手に入れなくちゃいけないわけでもない。
叶わなくてもいいくらいの願いを、そのときどきで口にしては、叶ったときに大喜びをして、叶わなかったら忘れてしまってもいいのかもしれない。
今日は七夕なので、「もしも願いが叶うなら」の先を、ふと考えてみる時間をつくろうと思う。
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