読了率について考える
どうして、ライターになんかなってしまったんだろう。とたまに思う。
それはだいたい連日締め切りに追われているときなのだけど、ずっと、こんな思いをしなきゃいけないんだろうかと気が遠くなる。
かと言って、ライターをやめようとは微塵も思わないのだからまあそういうことなんだろうなと思う。
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わたしがライターになったのは、多分「褒められたいから」だ。
ばかだなぁ生きづらいなと思うけど、そうなんだもん。
学生じゃなくなるわたしは、生まれてきてからこれまででいちばん、褒められたことが多かったものを仕事に選んだ。
「文章を書くのが上手だね」のひと言で、ぴよぴよとここまでやってきた。
きっとほんとうに、私はちょろい。
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じゃあ何のために書くのか。
褒められるために、文章をずっと書き続けるんだろうか。
職業としての書き手になってしまったら、所詮わたしくらいでは「褒められる」なんてレベルに達しない。
「褒められたいからライターしてる」自分から脱却しなくちゃ。
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ふと先日、「読了率を知りたい」と人に話した。
読了率。
その記事にたどり着いた人が、どれくらいの割合で最後まで読んでいるのかを示すもの。
人に言ってみてはじめて、自分は最後まで自分の文章を読んでほしいんだなと改めて思った。
最後まで読んでほしいのなら、もっと短い文章を書けばいいのにね。
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誰からの誘いもなく誘いたい人も特段いない金曜日。
小雨で湿った帰路。
読了率が気になる自分の心理とは?
自分は、「読み切るに値する価値」の提供を目指しているのかもしれない。
はたとそんな答えに辿りついた。
「褒められたい」を分解すると、こんなところなのだろうか。
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見ず知らずの誰かから、読むだけの時間をもらう。
それに値する文章を生み出していきたいのかもしれない。
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