りゅうちぇるの発言から考えた3つの世代のこと@さんま御殿
Twitterのタイムラインでも見かけたから、ちょっと話題になっているのかもしれない。りゅうちぇるとさんま・一茂・良純のやりとり。
ボタンつけの話のところまでちょうど実家で見ていて、私の一言に家族が凍りついたので気になっていた。家族間のジェネレーションギャップなのかもしれない。でも、その背景にあることを少し考えてみたいと思った。この記事は私の考えたことを拙いなりにまとめたものです。
尚、うろ覚えの知識で書いている情報も多いので、真に受けないでほしいということはあらかじめお伝えしておきます(余裕があればいずれきちんと論拠を示したい)。
番組の内容についてはこちらの記事をご参考にどうぞ。
「今の時代ボタンつけくらい男もできるでしょ。家庭科で誰でも習ってるんだから」
私はそう言っただけなのだ。ボタンつけは子どもの頃に男女関係なく、私の世代であれば習っている。出来/不出来はともかく、やろうと思えばだれでもできることだ。ちょっと面倒だから、私も好きではないけど。
私の発言を聞いていた、母(50代後半)と祖母(80代前半)は代わる代わるこう言った。
「なんでそんなに厳しいの」
「ボタンつけくらいやってあげればいいじゃん」
「そういうキツさがあるから、なかなかねぇ(=結婚できないの意)」
えー・・・
なんでそういうことになっちゃうの。
私は、自分のボタンが取れたら自分でつける。そして、相手(いると仮定して)の服のボタンが取れたなら、余裕があれば私がやってもいいと思う。でも、私は結婚したとしても、間違いなく共働きだ。お互い多忙な状況だったら?余裕のある方がやればいいのではないか。そして、私が育児に追われていたら?そんなときは相手に自分でできるなら自分でやってほしいと、たぶん思うような気がする。
家事は女性が率先してやらなければならない。そんな風には思えない。
だけど、私の家族はどうもそうは思っていないらしい。
ジェネレーションギャップだなぁ、で済ますのはちょっと惜しい。
「家事=女性の仕事」はいつ生まれたのだろう
たぶん「良妻賢母」が良しとされた時代からの価値観なんだろうと思う。
たしか「~だわ」「~よ」のようないわゆる「女言葉」が「作られた」のも、良妻賢母のイメージを定着させるための国策だったという本を前に読んだことがある。言葉遣いに限って言えば、「書生言葉」ももともとは女学生も使っていたのに、いつからか(というか戦争に向かっていくにつれて)女性は女言葉を使うものだと教育されるようになったのだということだったはずだ。 *出典は中村桃子編の『ジェンダーで学ぶ言語学』。該当箇所の著者名は手元に本がないので不明・・・
「女性」だけに特徴的な言動や行動であると印づけ(男性との差別化)されたものに、実は男女差がなかったり、意図的に教育されたりしたという歴史が、少なくともこの日本には、あったらしい。
この話を受けて、以下は、私の憶測と当時を描いた近代文学から受けた印象で書いていく。
明治時代、そこそこの田舎に暮らしていた家庭では、まだそこまで良妻賢母というイメージは定着していなくて、家事をするときはお手伝いの女性がいて、力仕事にもやっぱりお手伝いの男性(主に他家の嫡男ではない男性)がいて……というのがスタンダードだったのではないだろうか。
それが「大正デモクラシー」「職業婦人」といった言葉が流行るようになって、女性も「家事手伝い」ではない仕事で働く人が増えた。「若い女性」という但し書きをつけて。
せっかく女性の社会進出が進んでいたはずなのに、結局、外で働いていたとしても、適当な年齢になれば結婚して家庭に入って、出産して子育てして、ってなったのだろうなぁと思う。もちろんそのあともバリバリ働いた与謝野晶子みたいな人もいたけれど。
この「やがて女性は家庭に入る」というのは、「産めよ増やせよ」の戦争期の影響が強いような気がする。
(何度も言ってしまうけど、このあたりの話はあくまでも憶測です。自分でも不勉強だと思う。でも、今の自分の知識で、まずはその背景にある何らかのつながりを探ってみたかった)
戦争を知っている世代と性差別撤廃運動
上記の時代を知っているのが、終戦時に子どもか青年くらいの年齢だった私の祖父母世代。70~80代くらい?
その時代の価値観を持った人たち(この記事では仮に第1世代とする)は、戦後の日本の復興に大きく関わった世代なのだと思う。そして、世界的な性差別の撤廃運動にも中心的に関わった世代のはずだ。
「国際婦人年」は1975年。この時に40歳だった人は1945年に10歳。50歳だった人は20歳。第1世代の人たちが、社会の中堅層、あるいは社会的にもう少し発言力・影響力のある年齢に差し掛かっている。戦争時に「良妻賢母」の価値観を持っていて、それで戦争で大変な目にあって、このままではいけないと思った人たちは、きっと性差別撤廃や女性の社会進出に積極的になったのではないかと思う(どうも女性が中心になって運動していたようだけど)。
とはいえ、日常的にはやっぱり女性の定年退職年齢がすごく早かったり、女性が家事をして当たり前だったり、ということはそれほど大きくは変わらなかったのではなかったか。差別表現ガイドラインのこととか、ちょっと神経過敏になりすぎてしまった時代があったというのも何かで読んだ。
経済成長の背後にいる子どもたちの世代
一方で。
「男たちがしゃかりきに働いた結果、高度経済成長が進み、日本は経済大国になりました」と言えば、それは立派に聞こえるけれど。
その背後には、家庭を顧みずに働く父親と、家庭に入って家事をする母親を見て育った子どもたちがいる。
1975年に中堅層ってことで、引き続き40歳の人を例に挙げると、その子どもは何歳くらいだろう。とりあえずここでは15歳としておく(多感な思春期だ)。ちなみに30歳だったら5歳の子ども。2018年現在、58歳と48歳。
この40~50代、いや60代まで入れておこう。戦後に生まれた「第2世代」が現在、管理職になっているか、なり始めている世代かな。世の中の様々な場面で決定を下す、影響力・発言力を持っている世代だ。
ここでやっと、冒頭の「さんま御殿」の話に戻るけれど、りゅうちぇるに反論しまくっていた、さんま・一茂・良純のお三方がまさしくこの第2世代なのである。「家事は女性にやってほしい、甘えたい」という言葉は社会への影響力がそれなり強い世代から(しかもテレビというマスメディアで)発されたものということになる。ちなみに、私の母もこの世代。やれやれ。
良妻賢母のイメージは、健在なのだ。子は親を見て育つという。「家事は女の仕事」という価値観はそう簡単には覆せないのかもしれない。
違和感や抑圧に声を上げ始めた私たちの世代
そういうことにもやっとし始めているのは、どの世代なんだろう?
私も含めて30代、40代?それだと第2世代と被ってしまうなぁ。年代に限らず、もやっとしている人がいるから、りゅうちぇるの発言が注目されているのだと思う。だから無理やり年代で括ってしまうと矛盾も多いのだけど、ここでは便宜上ということで。そして、もっと若い子たちも声を上げているから一気に10代から40代まで行きますか?「第3世代」は幅広く。
全てがそうということではないけれど、第2世代は従来の価値観を持つ人が多い。一方で、家族や男女の生き方が多様化してる世代でもある。
何といっても「核家族」が定着した社会になっているし、生涯独身という選択をする人も増えている。また、離婚率もそれなりに高い。親戚という強いつながりが少し弱くなって、人とのつながりの単位が小さくもなったのが今の社会。
それらにはいい面も悪い面もあるけれど、いろんな生き方が(受け入れられたかは別として)現れたのもこの世代なのではないか。
そういう親のもとで育った私たち第3世代は、多様化が当たり前の価値観になっている、と私は思っている。
ステレオタイプを強制しなくていい、自由に生きる意志を持つことが比較的受け入れられやすい世代。
#metoo 運動をはじめ、セクハラや男女間の価値観の違いについての、声が大きくなり始めている。抑圧されてきた声を叩く声もまた大きい。根強い価値観とぶつかっているのだから、そう簡単にはいかないだろう。
残念ながら、いきなり世の中は変わらないのかもしれない。いま動き始めたうねりが、今を生きる私たちに恩恵は与えてくれないかもしれない。
だけど、私たちが今の第2世代の年齢になる頃には、多様性がスタンダードにきっとなる。
若い子たちには、確実に伝わっている。
少しずつ、少しずつ時代は変わってきた。これからも少しずつ変わっていく。理不尽な目にあうこともまだまだ多いけれど、気長に、声を上げ続けていくことはすごく大事なのではないかな、と思っている。
最後に。
「男だから/女だから〇〇すべきだ」という考え方が私はとにかく好きではない。私は、「女だから」この記事を書いているのではない。
冒頭のボタンつけに始まる家事の話もそうで、一緒に暮らしている人たちが、それはパートナーでも大人でも子どもでも
「できる人ができることをする」
「困っている人がいれば助ける」
でいいのではないか。それが私の最大の主張だ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました^^
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