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海外に住んでみて気づくこと

こんにちは。
私はトルコ人のパートナーと結婚し、現在トルコのイスタンブールに住んでいます。

最近は、やや重度のホームシックを乗り越え、少し落ち着いてきたところ。お正月というものを今年は初めてスキップしたので、こころはしっかりとイスタンブールに根付き始めているのですが、からだが「あれ?お正月はどこ?おせち料理なんで食べてないの?年越し蕎麦は?」という具合に反応してしまった模様です。

そんなこんなでホームシックを乗り越え、慣れない文化に揉まれながら生活をしていくうちに、トルコのいいところを発見できる余裕ができるようになったので、ちょっとした小話をシェアしたいと思います。

トルコの人助け精神について

トルコではとにかくコミュニケーションが活発。ノリのよさとかそういうのではなく、トルコ人の80パーセントは面倒見の良い親戚のおじちゃんDNAを持っているのではないかと思っています。日本のたまにいる近所のおしゃべり好きのおばちゃんとか、なんかそういう気さくな人が日本よりも結構な数でいる、というかほとんどみんながそうなのでは、というような感覚値。いいよいいよ、とこっちが遠慮しても、いいからこれ持ってきなさい〜!というEverywhere実家のような、なんだか温かい気持ちになるシーンが、日常によくある気がしています。

トルコの公共機関

バスにベビーカーや車椅子の人が乗ってきた時には、必ず周りの人が一緒にベビーカーや車椅子を持ち上げるお手伝いをします。トルコのバスは、日本のバスのようにステップがついていないのと、運転手さんが降りてきて、お客さんの乗車を手伝うなんてことは一切しません。そもそもバス内でお客さんと運転手さんが喧嘩していたり、バスの扉開けっ放しで走行したり、突然ガス欠して乗客みんな30分以上寒空の下で待機させられたり・・・などなど、そもそも運転手さんはあくまでバスを運転する人というだけで、日本のように快適にバスに乗ってもらうためのサービスなんてものは存在しません。

日本での私の体験

日本の場合、特に東京にいるとバスに限らず何か困りごとが起きた時って、その場所を管理している人や代表者がやるべきこと、やってほしいという認識がありませんか。少なくとも日本にいたときの私の意識はそうでした。以前道でベロベロに酔っ払っているのか、倒れてる人がいた時に、助けたかったのですが少し怖かったので、交番に行って警察にその人を助けてもらうようにお願いしたことがありました。それは日本にはベロベロに酔っ払っている人がたくさんいる、という前提があるというのもあるかもしれませんが、正直その人がベロベロに酔っ払っているという確証もなかったので、今となれば話しかけてお水など持っていけばよかったなあ・・と思っています。

トルコ人リスペクト!

バスにベビーカーや車椅子の人が乗ってきた際の話に戻りますが、とにかくトルコの人は何も躊躇せず、困っている人がいるとすぐに手を差し伸べます。冒頭にトルコの人助け精神と書きましたが、きっとトルコ人は人助けなんて思ってなくて、あたりまえのこととしてやってるんだろうと思います。もちろん公共サービスが発展することに越したことはないのですが、それだけに頼らず、周りの人の行動1つで、きっとみんなが豊かに生活できる社会になりますよね。もし東京に戻ったら、こういう意識を1段階ギアあげて生活したいなあと思っている次第です。




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