見出し画像

Un petit feu

このことについても早いうちに文章にしておこうと思いながら、
終わってしまって2日も経てば、私にとっては既に昔のことになっていて、
ちなみに今日で2週間経っているので、大昔にあったような気持ちなのですが、
それにしても、時間を言語化する2週間って短いような気持ちにもなります。

というわけで、遅すぎるタイミングですが、でもやっぱり、
次々と、言葉が思い浮かんでしまって仕方がないので、
それらをつかむためなのか、それらにとらわれないためなのか、
どちらとも言えないのですが、書いてみようと思います。

機会に出会えた時に、その場に立つということ
今、習っているアルゼンチンタンゴのスタジオの発表会に参加出演しました。
指導いただいている先生が芸歴20周年というメモリアル的な機会だったので、
どことなくお祝いの気持ちもあって、当日の2ヶ月前に縁があって決めた参加で、
それから当日まで、そのことを中心に生活を動かしていました。

その先生は12人の生徒さんと出演することが既に決まっていたので、
今回はそのスタジオで指導をサポートしている、アシスタントの先生に
振付とパートナーをお願いすることになりました。

そして当日のパフォーマンスは本当にとても楽しかったし、その後で、
日頃知っている方からも、顔しか知らない方からも、面識ない方からも、
沢山のお声がけいただけて、とても嬉しい気持ちになりました。
機会に出会えた時に、その場にいることを選ぶ自分でいて良かったと思います。

いろいろあるけれど、いつでも、
機に出会った時に立ち向かえるような、感と勘は整えておきたいです。

区切り
さて、今回の私はそれで良かったのですが、
その後で、Twitterを眺めていると、こんなつぶやきに目が止まりました。

”多分、タンゴの発表会ってソシアルダンスの流れを汲んだ日本独自の文化(?)なんだけど、出演者のかたが発表会を「区切り」にしてタンゴを辞めてしまうことが非常に多いです。発表会に出演するという目的意識を持つことをモチベーション維持に悪くない部分もありますが是非辞めないでもらいたいと思います。”

(無断で原文ママ、引用...しばらくこの方主催のイベントには行けない...)

ちょっと、これを読んで考えてしまいました。
本当に発表会を「区切り」に辞める人って「非常」に多いんだろうか?

今日はこのことについて、思ったことを書いてみたいと思います。

燃やしていた存在はなに?だれ?
まず、大小さておいて発表会のような機会を
理由はともあれ「区切り」にしてしまうということは、
アルゼンチンタンゴに限ったことではないはずです。
そしてそれは、どんなジャンルであれ、踊りに限ったことでもない気がします。

実は、私は社会人になってすぐの頃に、ジャズダンスを習っていたのですが、
発表会出演を機に1年くらいで辞めてしまいました(笑)。
あの時辞めていなければ、ものすごく踊りがうまくなっていたかもしれませんが、
それを続けていたら、今アルゼンチンタンゴを踊っていたかもわかりません。
しかも、そのアルゼンチンタンゴはかれこれ10年続いています。
人生は本当にミステリーに満ちています(笑)。

ジャズダンスをやっていた当時は、発表会に出ることには興味がなく、
定期的に淡々と体を動かすことを楽しんでいたのですが、
習い始めて、確か3ヶ月くらいで、
クラス全体で発表会のリハーサルが始まって、先生にものすごく諭され、
強制的に参加させられたことでした。楽しくないことはなかったけど。

言われるままに、練習のためのスタジオ代や出演料やチケットノルマを払い、
化粧品や衣装も統一したものを、半ば強制的に買わされて、作らされて、
本番が終われば、欲しくもないビデオや写真などの購入もあれこれとあって、
社会人初のボーナスはほぼ、発表会に消えてしまった気がします。

今ならわかるけれど、あの時に指導くださったジャズダンスの先生は、
生徒を踊り手として捉えて、プロに近い意識など過剰なものを要求することは、
指導者としてわからないでもないけれど、お仕着せが強かったと思います。
そしてそれをやたらと特別な記念として残そうとしていたとも思います。
一方で私にはそのことに応えられる余裕が、いろんな意味で少なかったのです。

「燃え尽きる」という言葉や「燃え尽き症候群」なんて言葉がありましたが、
まさに当時の私にはその言葉を当てはめて、当時を語ることがたまにあります。
でも、今はそのことにもう一つの分析を付け加えることができます。

「燃え尽きた」のは当人だとして「燃やしていた」存在は誰なのか、何なのか?
そもそも、その「火種」を仕込んだ存在は誰なのか、何なのか?

大きな炎で燃え上がるよりも、小さな火であたためつづける価値
ちなみに私が初めて、アルゼンチンタンゴの発表会に出演したのは一昨年で、
そのきっかけは「母にアルゼンチンタンゴを観てもらいたい」だけでした。
日頃、好きでやっていることを、続けていることを、そこに関わる場所や人達を、
私の生活の一部として、観て知っておいてもらいたいというだけでした。
「私は今、この人達とこの場所でこんな踊りをしていて、日頃出かけているけど、
これからもこういう私でいるので、どうぞよろしくお願いします。」
そんな気持ちだけでした。

だから、派手さや華やかさは求めないで、日頃の踊りができればいいと思って、
自分で好きに選曲をして、振付をお願いすることにしたのでした。
でも振付に関しては、先生に対して創作に制限するのも申し訳なく思ったので、
「言われたことは何でもやります。」と、結局おまかせしたのですが、
私が選んだ先生はさすがだなと、今改めて思うことに、
与えられた振付は難しかったけれど、きちんとそれなりに超えられるように、
最後まで導いてくれたことには、本当に感謝しかありません。
最初に「火種」を用意したのは私だけれど、
それを丁寧に先生が私と一緒になって「燃やしてくれた」ということです。
結果的に先生の意図を受け入れて、踊ることを私が選んだのです。
しかも、きちんと消えない「残り火」も残してくださっていました。
そこには、かつてのジャズダンスで感じたお仕着せは全くなかったのです。

”Mieux vaut un petit feu qui rechauffe qu'un grand qui brule.
(proverbe gaelique)
 より価値があることは大きな炎を燃やすよりも小さな火であたためつづけること
(南アフリカの諺)”

どんなに素晴らしいダンサーや指導者でも教えられないこと
発表会を「区切り」にしてしまうということの裏側にあるのは、
「最後に、ずっと踊りたかったけれど、踊れなかった踊りをする」と、
何となくですが、そんな思いもあるような気がします。
なぜ、ずっと「踊れなかった踊り」が存在するのかというと、
アルゼンチンタンゴはひとりで踊る踊りではなく、
リードとフォローがあって実現する踊りだからです。

「ミロンガで踊ることを、楽しむこともいいけれど、
その時の相手にできる範囲の中で踊ることの繰り返しだけでなく、
たまにはダンサーの力を借りて、チャレンジすることも大事」というのが、
私の今の先生の考え方で、これはいろんな考え方のうちのひとつだと思います。
普段やらないことをやるって、なにかしらの感動があるし刺激もあります。
ただ、チャレンジと目標を、与え続けられるのではなく、
チャレンジすることは、自分で決めることでなくてはいけなくて、
その芯にあるのが、自分の直感とセンスだと思います。
ジャズダンスの時の私には、それが全くなかったと思います。

自分自身を満たし続けることができるのは
「自分がどう踊りたいのか」という意志の「火種」を温め続けること。
「どう踊りたいのか」ということは誰にも教えられることではなく、
ある程度踊れるようになったら、自分で見つけなければいけないことだと、
1年くらい前に、とあるダンサーから指摘されたことがあります。
技術的なことは、すぐに実現しないでも、今の自分がどんな風に踊りたいのか、
決して人を真似るのではなく、自分で見つけることだと言われました。
そのときは、その意味がなじまなかったけれど、今でも忘れられない言葉です。

毎日気持ちは変わるし、カラダの調子も変わるのは事実だけれど、
意志は変えることもできるし、変えないこともできるんだと思います。
私にとっては、そのことが今回3回目となる発表会の経験で、
今まで以上にリアルに近づいてきて、自分の中にすんなりと入ってきました。
なぜかというと、この時に初めて意志を持って踊ることを経験したからです。
そして、経験してしまえば、それは今まで特別に感じていたけれど、
概ね、当たり前のことばかりを積み重ねていくことに似ていると思います。

自分で決める、受け入れる。
発表会で先生と踊ることでも、週末のパーティで出会う人と踊ることでも、
自分で決めればいいし、その結果も自分で受け止めればいいと思います。

結局、なにが書きたかったかっていうと、
私も最近になって、自分で決められるようになってきたので、
今まで以上に、この踊りを踊ることが楽しい...ってことです(笑)。
そのことが本当の意味での「自由」だと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?