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髪を切った、誰かにあげた。それはどこまでも与える人だからではなくすべて私のためだ。

2020年10月、4年伸ばしていた髪を切った。
傷んだ毛先だけ切り、手入れがしやすいよう少しだけ梳いて、と数ヶ月に一度は美容室に行っていたが、それでもそれは腰のあたりにまで伸びていた。


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『ヘアドネーションしようと思ったのってなにかきっかけでもあるんですか?』

「いやあ、もう気づいたらって感じですよ。もはや伸ばすことといつか切ることを決めてるだけで、何も考えてないっていうか。」

『へえ。そんな感じなんですかあ?でも、楽しみですね。』

「楽しみですねえ!」

『みんな驚くでしょうねえ。自分で髪、ひと束切ってみます?』


髪の毛を切ることよりも、プロがいつも使っている道具に触れることに緊張した。サクッと耳に響く音のわりに、手にはずしりと重みが残る。
毛先はいつかあのときに染めた色が残った茶色で、ハサミを入れた肩付近の髪色とはしっかり違っていた。右手にハサミを持ったまま、長い髪の毛の束をまるで釣り上げた魚のように持ってしまった。


「髪型を変えるってそういえばこんなにドキドキすることでしたね。」
「染みて痛いのすらも、楽しいです。すごく。」


人生で初めてのショートカット。人生で初めての金髪。

『後ろはこんな感じで切ってみました。さすがに全然印象が違いますね。』

鏡と鏡に挟まれる見慣れない自分にどうも可笑しさがこみ上げて吹き出してしまった。会計を済ませて店を出る。鏡がなくとも、頭の軽さでついに切ってしまったことを自覚する。

4年後にこんなことになっているとはさすがに思わなかった。昼食をとろうと入った百貨店の誰もいないエスカレーターで似合わない自撮りなんかをしてしまった。それをインスタグラムに載せてしまった。ああ、なんて似合わない。

友人たちから来る思い思いのリアクションの知らせに「平日の昼間やろ。仕事中にインスタ見とんか。」とツッコミを入れながら、歩いて職場に戻る。そう、平日の昼間である。


浮き立つ心に少しの愛おしさを感じながら、『ヘアドネーションしようと思ったのってなんで?』という質問が頭を過る。

―結局、ひとのせいにした、自分のため、なんじゃないかな。

わたしが髪を伸ばし始めたのは、2016年のことだった。


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4月、東京のベンチャー企業に就職した。大学生活の4年で住み慣れた関西でも、地元の福岡でもなく選んだ東京は、寂しさよりもずっと、期待と胸の高鳴りが大きかった。

内定者研修のときから「仲が悪い」と諸先輩方に噂されていた同期たちと1週間だけの新卒研修を終えて、いかにも"ベンチャー企業らしい"目まぐるしい日々を過ごしていたある日、珍しく家族のグループラインが騒がしくなった。

「熊本、震度7って。じいちゃん、ばあちゃんは無事だけど、震度6で部屋ぐちゃぐちゃらしいし、家にヒビ入ったみたい。明日仕事休んで片付け行ってくる。」
「そしたらわたしも職場に言って休むし、車運転するよ」
「ごめん、子ども見ないとだし、仕事もいま休めそうにないけど、必要そうなもの買い出ししてくるけんラインして。次の休みは行けるかも」

ようやく帰り着いた家で、テレビの緊急報道を見ながら動揺してしまい、返信できたのは「力になれなくてごめんなさい。よろしくお願いします。」だけだった。

次の日の朝、見えない祖父母の状況への不安や、目の前に積もる仕事を無視してまで動けない自分へのもどかしさ、会社や同僚へ役に立ちたい純粋な気持ち、すべてを押し込めて、できる限りいつもどおりの自分に仕立てて出社した。

当時、80名の会社で九州の出身はわたしだけだった。最も近い出身は経理の先輩の岡山県で、あとはほとんどが関西・関東だった。会話の中で地震のことに触れられなかったのは、平静を装いたいわたしにとって不幸中の幸いだと思った。

そのまた翌日、4月16日(土)、目を覚ますともう一度、震度7が起きたというニュースが飛び込んできた。ラインを見れば片付けに行っていた母も姉も、祖父母も無事らしく安心した。ただ、安心に浸る時間もなく、そそくさと会社に足を運ぶ。

会社までの道すがら、まだ有休なんてないけれど、どうにか帰らなければとスマホで実家のある福岡までの航空券を調べた。今日か明日乗れるもの。片道35,000円。来週なら32,000円。初任給はもちろんまだもらっていない。

日曜はぼうっとテレビを眺めていた。熊本城の櫓が、積み上げられた一本の石垣で支えられている。余震の報道が止まらない。
なけなしの金を寄付にはたく。決済完了の画面を見ながら、こんなちっぽけな金が何になる、となんだか惨めな気持ちになってしまった。

片道、35,000円。

配属後、いつも優しくしてくれていた先輩はいつの間にかぱったり来なくなり、連絡が取れなくなった。まだ遠慮するような間柄の隣のチームのリーダーだけは様子を知っており、連絡がとれるようだった。わたしもここを離れたら、どうなるのだろう。この様子では来週は土日どちらも出社しなければならなさそうだ。

片道、35,000円。気にかけてくれた先輩の役に立てなかった。一言もつらいって聴けなかった。一緒に激務の渦にいたわたしに、大丈夫かどうか毎日確認してくれたのは先輩の叫びの裏返しだったのかもしれない。気づけなかった。家族の緊急事態にも役に立てない。働くってなんだろうか。

そんなことを悶々と考えていたら月曜が来てしまった。

朝、惰性で携帯を開けば、母からわたし個人宛にラインが送られていた。
「あなたはあなたの場所でがんばったらいいから大丈夫よ。こちらにはお父さんもお姉ちゃんもいるから。気にしないで。今日もお仕事がんばってね。」
いよいよ返す言葉が見つけられず、腹だけ括って出社した。いつも以上に働いたと思う。

どれだけ忙しくても、自分のデスクでは昼食を食べないと決めていたわたしは、会社全体が見渡せる休憩スペースでご飯を食べ終え、寝るか、散歩に行くか迷っていた。とりあえずお手洗い、と立ち上がったときに出くわした"仲が悪い"同期のひとりが「熊本、地震あったみたいだけど大丈夫?」と声をかけてくれた。

「じいちゃんとばあちゃんが熊本おるんよね。母と姉も手伝いに行ってて。分からん。大丈夫みたいやけど、分からん。」そういえば東京に来て、この話をちゃんと誰かにしたのは初めてかもしれなかった。聞かれたのは初めてかもしれなかった。

人には役割がある、わたしがいまここにいるのにもきっとなにかの意味がある。ここにいるから役に立てる誰かがいて、なにかがある。いつか転職するとき、もっと九州に近いか、あるいは必要なときに35,000円を払える給与の仕事を、休める仕事を選べばいい。だからいまは、目の前の仕事をやり遂げる。

無理やりかもしれない意味づけとともに仕事を進め、燃え盛ったプロジェクトは「納期」というあっけらかんとした理由とともにゴールデンウィークを過ぎたころに終了した。先輩は帰ってこなかった。


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自分で言うのも憚られる、という壮大な前置きとともに文字にするという茶番を行うが、会社を辞めるまで、成果はそこそこ残した方だと思う。わたしの入社前から累計10年ほど赤字だったプロジェクトを半年と少しで黒字にできた。しかも4〜6人でやっていたプロジェクトを2人で、わたしがいなくてもある程度回る形にできた。会議の仕組みを作って、ファシリテーションして、別のチームでも成果が出るようなサポートもできた。

ただ。わざわざこの世に生を受けて、わたしが健やかに生き続けられるよう支えてくれたひとたちが困っているときに、助けに行けない人間が、数字遊びで出した結果には、どうにも意味づけができなかった。もちろん、チームのみんなは黒字になったことに喜んでくれたし、会社の売上にもきっと貢献していた。ただ、である。


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友人に「ほんまどこまでもgiveの精神のひとやね」と言われた。旅先のホテルでわたしがポーチから取り出した歯磨き粉に「献血ありがとう」と書かれているのを見つけたときだった。

昨年、熊本豪雨があったときに4ヶ月弱、現地で活動していたこと、よく寄付をしていること、ヘアドネーションをしたこと、などを知っており、そこに献血が加わった結果「giveのひと」という表現になったようだった。

その評にはあまりしっくりこず「あ、そう?」とだけ返せば、「注射すごい苦手で毎回やるってわかるだけでお腹痛くなるくらい緊張して、たまに失神するくらいやから献血したいけどできんのよね。」と言っていた。

ふと豪雨災害支援のため、数ヶ月避難所に通っていたときのことを思い出した。もちろん波がないわけではなかったが、寒いときに鼻をすする以外には最後まで心身ともに健康で活動を終えた。ハードな経歴を持ちつつ、期間中に一度は不調が生じた同僚たちを見ながら、もしわたしが強めの心身を持っているのであれば、それをたまたま持った人間として果たすべき役割をこれから選びたいと思った。

友人には「あなたはあなたの場所で、できることを頑張ってるから大丈夫よ。ひとには役割があるから。」と伝えておいた。


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『ヘアドネーションしようと思ったのってなんで?』

「何もできない、役に立てない自分へ差した嫌気だけが髪を伸ばさせたんじゃないですかね。自分のためですよ、自分のため。」

「髪型にこだわりのあるひともいるじゃないですか。あと仕事上変えられないひととか。でもこの世には髪の寄付のニーズはあって。で、ありがたいことにたまたまわたしはこれじゃないといや!とか仕事の規定も無くて、じゃあ別に伸ばして切るだけでお応えできるならやらない手はないっていうか。」

「むしろ誰かに使ってもらう髪の毛だと思うと、ちゃんとケアして、きれいにしとけるしラッキーだなって。でね、ひとのためって思い込むだけで、嫌気とかどっかに飛んでいくんです。結局ひとのせいにした、自分のためなんですよ。」



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准認定ファンドレイザー
坂本紫織

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