私が患者だった時思っていたこと

 私は強迫性障害(OCD)や共依存の恋愛を経験しており、患者として精神科を受診していた時期もある。以下は私が当時思っていたこと。

・頭で分かっているのにできないことがたくさんある。だからどうしても認知行動療法(CBT)とか曝露反応妨害法とか好きになれない。
・心の闇みたいな出来事をお守りみたいにぎゅっと握りしめて生活しているので、簡単に処理されたくない。
・この先生は分かってくれるかもしれないという救済を求める願望と同時に、わかるはずないという絶望感が同居。
・すぐに治らないのは分かっている、すぐに治りたくない、簡単にわかったようなつもりになってほしくない、知ろうとするなら正確にわかってほしい。
・先生という健全そうな人間を、性的なあるいはとても暗い話で汚してはいけないという気持ち。
・そういう複雑な気持ちがあるので、大事なことを話したいのに話せない。
・薬だけもらって帰りたいわけではない。薬がどうしても嫌とかではないけど。
・私を回復させたのは先生の専門的知識ではなく、先生のそれ以外の部分。
・初診時に誰か(新米の先生)が生い立ちとかを長々聴取してくれたけど、それを知って先生(主治医)はどう思った?(別な病院へ転医した時→)紹介状を読んでみて先生はどう思った?診たてや診断名ではなく、人としてどう思ったかが知りたかった。
・先生の経歴よりも、先生がいかに積極的関心を向けて話を聴いてくれるかが大事だった。

 ここに挙げた色々な思いや、その他にも色々な現場(精神科病院・クリニック、放課後等デイサービスなど福祉的な機関)を見て感じたことの総体によって、今の自分の治療方針みたいなものができていった。そして、「(精神的な症状を)治そうと思っている時は治らなくて、いつのまにか気にしなくなっている時が来るのかもしれないし、精神科医ってそもそも何かを“治す”仕事ではないのかもしれない」と思うようになった。それは諦めではなくて、もっと別なもっと希望に満ちた見方。でもこういう自分の価値観(かかわり方、回復の理想像)を押し通すことのないように、当事者性と専門性のどちらかだけに偏らないように、カウンセリングしていきたい。

 この業界に居る限り停滞したくないし自己研鑽に終わりはなくて、専門性を追求する旅も続く。コロナが収束したら、以前のように東京方面の勉強会などに行きたい。オープンダイアローグの研修みたいなものとか、訓練分析を受けるとか、お金がたくさんあったらやりたいことが色々ある。今はコロナでどこにも行けないので、本を読んでTwitterに感想を書いているだけ。そうしたら著者や関係者の方とTwitter上で交流できることもたまにあり、とても嬉しかった。開業してからは一人なので孤立感もあるけど、そういう交流によって一人じゃないと思える。

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