気がつくと悲劇のヒロイン全開の悲しみに浸ってしまう自分と決別した。 わたしの心は晴れて元気だ。 不安が無いと言ったら嘘になる。 それでもわたしたち家族はいま 元気に笑って前だけを見て進んでいる。 息子の成長を喜び その愛おしさを噛みしめながら。 ーーーーーーーーーーーーーーー 2019年12月4日。 もう少しで3ヶ月を迎えようとしている息子は病院にいた。大きすぎるベットに、広さを持て余しながらちょこんと小さく寝かされていた。 耳には大きなヘッドホンをし、 額には脳波
私は長い間、自分に自信が持てませんでした。 「SHIORIは料理の基礎が分かってない」 「いつまで経っても初心者みたいなレシピ」。 今から10年以上前、度々目にするレシピ本への批判にひどく傷付きながらも、そんな気持ちとは裏腹に〝彼ごはん〟シリーズは200万部、300万部と版を重ねていきました。 料理は独学。情熱だけで突っ走ってきた自覚もあるがゆえに、どれだけ本が売れても調子に乗るどころか実力不足を痛感する日々でした。デビューが早かった分、20代半ばを過ぎると同世代のフレッ
おいしいの正体をずっと考えていた。 まだ言葉にできず胸の奥底に眠っている答えがある気がして。 おいしいが正義だなんてことは思っていない。今この日本でも食事を満足に食べられない人がいる。世界では先進国が出すフードロス、発展途上国の児童労働、畜産が排出するメタンによる温暖化など、食を取り巻く環境はさまざまな重い社会問題を抱えている。 正義とか、正解とか、立場が違えばその見え方は全く異なり意味を無くすから、思考を限定する強い言葉は容易く使わない。わたしに出来るのは"いま、目に見
2度目の緊急事態宣言が発令された。 それぞれが違う立場にあり、守るべきものがあり、この決断やタイミングが正しいのかどうかわたしには到底わからない。 ただひとつ言えるのは再びのstayhomeで食事が家中心になることに頭を抱え、しんどい思いをする人が確実に増えるということだ。 前回の自粛期間中はインスタLIVEでたくさんのレシピを紹介した。 当時コロナよりも大きな不安を抱えていたわたし自身も、SNSを通し人と触れ合うことで自分の居場所と救いを求めていた。 無我夢中で駆け抜け
今日、ひとつ歳を重ね、 わたしは36歳になった。 35歳は特別な年だった。 はじめての出産 しあわせの絶頂から 息子の先天性難聴が発覚し 悲しみの涙にくれる日々。 ようやく前を向きはじめた頃 コロナによって暮らしは一変した。 総じて、この1年で学んだことは "人は前進できる、強い生き物" ということだ。 息子の難聴発覚の悲しみを乗り越えて 前を向けたとき、ようやく先の暮らし方や仕事について考えることができた。 療育の先生からは、仕事を休んで専念することを勧められた。
オットは本職美容師 ときどきプロアシスタント 毎日ロマチの顔を持つ。 ロマチとは ロマンチストの略だ。 最大級の敬意を込めて、そう呼んでいる。 わたしという人間は、いつも少し先の未来を見ている。夢や目標、未来のしあわせの為に、とことんがんばることが好きなタイプだ。時に"いまを犠牲にすること"に目をつぶることがある。 一方のオットは、今この瞬間を存分に楽しみ、大切にしたいタイプである。 どちらがいいとも悪いとも思わない。 互いを尊重し、仲良く暮らして来た
里帰りはせず、東京で産むことにした。 退院後、自宅に戻った後は母に約1ヶ月ほど、泊まり込んで手助けをしてもらった。近所に住む妹もよく手伝ってくれた。 母が帰ってから、新米とうちゃんとかあちゃん、息子の3人暮らしが始まった。 オットの仕事中は赤ちゃんとふたりきり 髪を振り乱し、乳を投げ出し 私の人生史上最大の大変な暮らしが幕を開けた。 ところがどっこいだ。 2ヶ月半が過ぎようとする今、 どう記憶を呼び戻してもあたふたしていたのは、わたしだけである。 オットは、いつも
9月のはじめに息子が産まれた。 産まれて間もない小さい赤ちゃんとの暮らしがこんなにも余裕のないものだとは知らなかった。この2ヵ月、知らなかったこと尽くしの新しい毎日を過ごしている。 産後すぐは、上(胸の張り)も下(会陰切開の傷)も痛い。骨盤から腰周りのどんよりとした痛み、頑固な便秘も続く。 体調が著しく不完全だ。 それなのに、違和感でしかなかったあの痛みを二ヶ月を過ぎた今はもう思い出すこともない。 出産したら勝手に出るものだと思っていた母乳も最初はそう簡単には出