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おいしいの意味を見つけた話。


おいしいの正体をずっと考えていた。
まだ言葉にできず胸の奥底に眠っている答えがある気がして。


おいしいが正義だなんてことは思っていない。今この日本でも食事を満足に食べられない人がいる。世界では先進国が出すフードロス、発展途上国の児童労働、畜産が排出するメタンによる温暖化など、食を取り巻く環境はさまざまな重い社会問題を抱えている。


正義とか、正解とか、立場が違えばその見え方は全く異なり意味を無くすから、思考を限定する強い言葉は容易く使わない。わたしに出来るのは"いま、目に見えていない裏側もそっと想像する癖をつけること"だと思っている。


じゃあ、おいしいってなに?
わたしはおいしいを伝えることにどうしてこうも人生をかけているのか。


その答えを見つけた時、静かに涙が頬をつたった。


目の前の"おいしい"に向き合う行為は『足るを知る』ということなんじゃないかと思う。


口に入れた瞬間からじわじわと体中に広がる
"おいしい"の感情は

今この瞬間あなたの心はちゃんとしあわせを感じていますよ。

満ち足りているんです。

あなたは大丈夫。

無意識の中でそう教えてくれている。


元気がない人、怒っている人、傷ついている人、絶望の中にいる人。

どんな人にも平等に、時に言葉よりも深く、心を溶かす。

そして、この言葉にならない感情を胃袋は決して忘れない。





あの日の"からあげくん"もそうだった。

"耳が聞こえていない"
生後4ヶ月の息子にこの診断が確定がされた日、わたし達夫婦は深い悲しみの中にいた。

息子を抱えながら公園のベンチに座り、ふたりで無言で食べた。

5個入りのからあげくんは最後のひとつまで仲良く半分こした。

涙でしょっぱいとか特別美味しく感じたなんてドラマチックなことはなかった。

いつもと変わらぬ味だった。

ただ、いつもと変わらぬおいしさは、未来への得体の知れぬ不安で今にも押し潰されそうだったわたしの心を"大丈夫"という力強い安心感で包み込んでくれた。

目の前には最愛の夫と息子がいる。その事実は変わらない。この瞬間の、足元にあるしあわせを見失わなければ、わたしたちの未来は大丈夫。そう確信できたから、ふたりで声を出して泣き、最後は笑った。

無意識の中でからあげくんのおいしさに救われていたのだ。



おいしいものを食べてほっと気持ちが安らぐのは、どこか遠くに求め続けているしあわせは"いま、目の前にちゃんとある"ということを心が認識して安心するがゆえだと思う。


"今日という日を生きててよかった"
口にした人を無条件に全肯定する。

たった4文字の"おいしい"にはそんな感情がぎゅっと凝縮している。


それこそが明日を生きる活力に繋がる。
おいしいはいつだって生きる味方だ。


そんな毎日が続けば、人は満たされて心に余裕ができて優しくなれる。優しさが循環すれば人間関係がよくなる。その先は安心感から目の前のことに集中できたり、何か新しいことを始めたくなったりする。


ありふれた日常の中から生み出せた喜びや成功体験によって、どんな場所からでも、また一歩前へと、自力で新たな変化を起こしていける。自分でエネルギーを、循環させていける。そうして"おいしい"は優しく前向きな世界につながっていく。


この循環こそがわたしが目指す料理なんだと思う。

だから、わたしは料理を愛し、今日もおいしいを磨き続ける。わたしが信じるおいしいを。


わたしが極めた"おいしい"のおすそわけはこちら。

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