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カラダ の話をしよう〜胸編〜

胸が膨らみ始めたのは確か、小学校3年生か4年生の頃だったと思う。
ブラジャーもまだ付けていないころで、ノースリーブにほんの少しだけ膨らみかけた胸(正確には乳首のさきっちょ)がなんだか大人になった気分で嬉しくて、誇らしげにしていた。

私は周りの子よりも体の成長が早く、生理も来たし胸もどんどん膨らんできた。小学校5年生の頃にはある程度の大きさになり男の子にもからかわれるようになった。他の女の子にも、体育の着替えの時に無理やり服の中に手を入れられて触られたりもした。
お父さんのエロ本を発見したことや、友達のお兄ちゃんのベッドの下から大量のアダルトビデオを見つけたこと、また私はインターネットに触れる機会も早く訪れたため、〝エッチな情報〟もこの頃から仕入れていた。
世の中の女性に対する見方、みたいなものを無意識に自分の中に取り入れ理解したと思う。

そうやって自分の体が大人になっていくことに誇らしさを感じていたはずなのに、だんだん自分の変化していく体が恥ずかしいものだと思うようになった。周りにいつでも見られていて、判断されているモノなのだと。


胸が膨らんできた頃から、スポブラ(カップとかないやつ)を親が買ってくれて付けてて、大人になったからは毎日当たり前にブラジャーをつけてる。
でもそれってなんでだろうね?


胸の形を綺麗に見せたいから?誰に?
乳首が透けるのが恥ずかしいから?誰に?

私たちはそんな問いも知らないまま、当たり前にそうしている。何かに従うように。

最近はブラジャーをつけるかどうか、胸をどう見せるかどうか、を考えて選ぶようになった。
仕事に行く時は、気持ちをシャキッとしたい・姿勢をよく見せたいのでブラジャーをつける。休みの日はブラジャーをつけない。でもファッションによってつける時もある。シャツとかパリッとしたものを着る時は胸も上に上がったように見せたいのでブラジャーをつける。
そうやって〝付けなきゃいけない〟から〝付けるかどうか自分で選ぶ〟ことに少しずつシフトしていっている。

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何かをしなきゃいけない、から自分で選べる自由を得ることは、無意識の中にある精神的な自由を得る。結局はどれだけ自分の心と身体をオープンにできるかどうかで自分が、これを読んでくれてるあなたが幸せになるということを私が実現させたいので、自分の胸(体)を愛することやブラジャーを付けるかどうか選ぶのは他の誰でもなく、自分である、ということ今日は書きました。

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ではまた次回🐥


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