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雑巾がけの思い出

わたしが小学校5年生のときの話。

担任は県内の高校から赴任してきたという
若くてひょろりと痩せた男性教諭。
いつもウエストがぶっかぶかのジャージを着ていた印象がある。

当時、今のわたしより若かったはずの先生は
本当に生徒みんなへ愛情と情熱を注いでくれた。
そんな先生が何より大事にしたのは掃除だった。
特に雑巾がけについては、並々ならぬ力の入れようで
あれほど雑巾のことを考えた一年はあとにも先にもないと思う。

先生は新学期が始まって早々、こう宣言した。
「ここのトイレをこの1年で、臭いのないきれいなトイレにしよう」
そう、このクラスは校舎北側な上に、くの字型になった角に位置していて
風通しが悪く、教室の目の前にあるトイレはものすごく臭かった。
教室にまで臭いが漂ってくる。

わたしたちが汚した訳でもないのに、なんでそんなことを・・。
クラスのモチベーションはだだ下がりだ。
しかし、先生は全く意に介す様子もなく、さらにトイレとそれ以外の場所も含めた具体的な掃除方法を伝えた。
その方法はシンプルで、とにかく「雑巾で拭く」こと。
そして拭き方にはこんなこだわりがあった。

① 半分に折って、4面に分けて使う。
② 床に置いた雑巾に片手を添えて、真横に拭く。
  右に拭いたら、一歩下がって、その下を左に拭く、を繰り返す。

この方法はいまだに実践している。
折って使うと手に収まるので力が入りやすい。また、かがんだ状態だけど
動きが小さいので疲れにくいのだ。

そして掃除のあとは、水道で雑巾をとにかくゴシゴシと洗って固く絞り
先生に見せにいく。雑巾をきれいにするところまでが、掃除なのだ。
ちなみに、わたしはいつも先生にダメ出しされていた。
「shioriさん、ちゃんと洗えてないね。やり直し」

最初こそ誰もがいやいやしていたけれど、すぐに状況は変わった。
トイレが臭くなくなったのだ。
しかも先生のチェックを受けている雑巾は、さほど汚れず臭わない。
授業ではつまらなそうにしていても、掃除のときは元気いっぱいになる子も
多かった。

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あれから20年。
あの日々はどこへやら、すっかり縁遠くなっていた雑巾だけど
わたしのなかで再びブームが来ている。

床を端からきゅっきゅと磨く。
靴は表面から底まで、玄関の三和土も。
拭いたところがきれいになるのはもちろんだけど
不思議とわたしの心までが洗い清められた心地になることに気づく。
拭いたところが目に入ると、心がほわんとあったかくなる。
一体、なぜ?

たぶんそれは
自分のなかで、その存在が後ろめたくなくなるから。
雑巾がけをする部分って何かと汚れやすいところ。
そういうところは、つい見て見ぬふりをして、それでも心の奥では
そうやっている自分を責めていたりする。
だから逆に、雑巾がけをしてきれいに清めたところを見ると
自分を褒めようという気持ちになる。

身の回りのモノは、どんな経緯であれ、自分と縁があってここにある。
モノは自分の人生の一部なのだ。
だから
目の前のものを大切にしてあげるということは
自分を、自分の人生を大切にしてあげるということ。
だからわたしは、平日の疲れが出やすい週末を雑巾がけの日と決めた。
床をぐいぐいと拭いていると、その週にあったいろんなことが
頭のなかに浮かんでは消えていく。
それを受け入れながら、ただ黙々と手を動かす。
気づけばピカピカの床がそこにあり、気持ちも晴れやかになっているのだ。


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あの頃、先生はどんな思いで私たちに雑巾がけを伝授していたのだろう。
きっとただ掃除をする、ということ以外に先生なりに感じていた
何かがあったのだろうと、今更ながら気づく。

答え合わせの日は来るだろうか。
そんなことを考えながら、さて、今日も雑巾がけをしよう。


2020.5.17   shiori




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