見出し画像

「愛される商品なら良いんじゃないですか?」と言い切れる人の強さを知った話

~前置き~
最近思うことがあって、表現するにはどの話が良いのだろう…と考えたときに思い出したのが大好きな人のエピソードだった。

「このエピソードありきで書いた話だと思われると、受け止められ方も違うのではないか?」と思ったので、決してその人の話だけをしたいわけではなく、本筋は別部分にあることを無駄に前置きで弁明しておくことにする。

「愛される商品」になりきれる人は多くはない

とある芸能人が「仕事が忙しすぎて、自分を商品のように感じることはないか?」と聞かれたとき「愛される商品なら良いんじゃないですか?」と答えた、というエピソードが好きだ。

彼は、アイドルで俳優でアーティストである。

テレビの中の彼は、グループの末っ子キャラとして兄貴分を弄んだり甘えた姿を見せる。
大口でごはんを平らげたり、お酒を呑んで横暴に振る舞うこともある。
時には女装姿で全国の「お母さん」の味方になったりしたこともある。
急にシリアスな映画でダークサイドの役をやってのけたりもする。
そしてライブで見る彼は、キラキラの笑顔で多くの人に幸せを与えてくれる。

とはいえ全ての仕事を「彼自身が望んで」やってきたわけではない、と思う。
本人に聞けるわけがないので完全に私の想像でしかないが、おそらくこれまで彼の方向性や理想とすることに合わない仕事は山程あったはずだ。

でも彼は彼は自分がどうありたいかよりも、世の中が自分に求めるニーズに応えることを徹底する人だ。
愛される商品であり続けようと、人に求められることを続けるからこそ彼は多くの人に愛されている。

世の求めるニーズに応えるサービスであり続けることは難しい。
ましてや自身を商品としている場合、他人の求める自分であり続けることは難しい。

さすがにここまで自分を徹底できる人は、多くないのではないだろうか。

求められていることをやらないという選択肢について

比較すると、最近は無理をしない風潮が後押ししてるのもあって「求められていてもやりたくないことはやらない人」の例が多い気がする。

たとえば、
・彗星のごとく現れて人気絶頂の中、突然活動を終了したアーティスト
・「別のことに集中したいのでいったん仕事を辞めます」と宣言するクリエイター
・本来やりたいことと方向性が違うためにキャラチェンジを図るインフルエンサー
などがその例だ。

※例として挙げただけで、彼らを誹謗中傷の対象とする内容ではないことご了承ください

前提として無理は禁物なのでやりたくないことをして精神を病んでしまうのなら、やらないほうが良い。

とはいえ「求められていることをやらない」のは、世の求めるニーズに応えられていない状態をつくっているのに等しい。
ニーズに応えられないと、そのままついてきてくれる人は多くない。

例として挙げた方々は皆、失う覚悟を持った上で選択しているのでおそらく問題ないのだろう。

たとえば音楽活動をセーブしながら新しい挑戦をするだとか、仕事の量を調整して他のことを始めるだとか、他の人に求められることをやりつつ自分のやりたいことを推し進めていくだとか、今のニーズに応え続ける方法はいろいろある中であえてやらないことを選んでいるからだ。

でも彼らのように失う覚悟がない限り、「求められていることをやらない」選択肢を選ぶのは危険ではないだろうか。

今求められていることをやらずに、新たなニーズを探していくのは0→1の状態だ。
それが得意な人ならば良いと思うが、今求められているニーズに応えることができないまま、自分のニーズを探していくなんて到底無理なのではないか?と一度立ち止まって考える必要もあると思う。

しかし最近は個人の感情で「もうやーめた」と言っている人が結構いる気がする。(もちろん本人らからしたら深く考えた上での決断なのかもしれないが、こちらからはそう見える。)

今はどんな選択も多様性により認められる時代だし、どんな生き方をしようが一定数の評価を得ることは昔よりは容易いのかもしれない。
現にやりたいことだけをやって、イキイキと生活している人がいる様子もたくさん見ている。

でも本当に求められていることをスッパリとやめてしまっていいのだろうか?
他人のこととはいえ、私にとってはゴミじゃないものをゴミ箱に捨てている人が目の前にいるような気分を感じている。

「愛される商品」は幸せなのか?という問い

ここで最初にお話した芸能人の話に戻ろう。

常に「愛される商品」であることを自分に徹底している彼は幸せなのだろうか?

これも本人に聞けるわけがないので想像でしかないが、おそらく半々よりも少しくらいは幸せが大きい気がする。

もちろん自分の方向性や理想とすることに反する仕事をするときは苦痛であるに違いない。
「なんでこんなことしてるんだろう」と悲しみに暮れる日もあったかもしれない。

でも彼は今「愛される商品」になれたからこそ、相変わらず居場所がある。

数年前、彼は都合により芸能界で活動の場が制限される可能性があった。
そんな中で今でも彼が活躍しているのは、多くの人が「愛される商品」である彼を求め続けたからこそだと思う。

さらに彼が幸せなのではないかと思う理由はもうひとつ、彼自身が本当にやりたかったことを実現できたことだ。

オリジナルブランドのプロデュース、パリと日本での芸術展開催がその例だ。
さらに、もともと本業であったが都合により休止していた音楽活動も精力的に開始し、来年にはアルバムを発売する。

彼の場合、時間をかけて「彼がやりたいこと=ニーズとして求められていること」に変化させてきた傾向がある。
「愛される商品」としての立場を活かして、存分に自分の夢を叶えているのだ。

彼こそが「愛される商品」としての人生を華麗に生きている代表例なのではないかと思う。

踏まえて、私個人としては誰かに求められているニーズがあるのならば、たとえやりたくないとしてもいったん頑張って「愛される商品」を目指してみるのが良いのではないか?と考えている。

求められている自分でいることは誰かのため、引いては将来の自分のためになるのではないか。

彼が活躍する姿を見ながら、そんなことを思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?