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視点の話。#呑みながら書きました

明日は呑み書き!

って、あれ??ずいぶんとnoteの使用が変わっている!ワードプレスみたいになっている!より本格的!見出しとかつけられるようになったの?え、これはいつの話?どれだけ長く書いていなかったかがよくわかるわ…。

今日は前日だから前夜祭かなー?
昼間なのでお酒ではなく、アイスカフェオレを飲みながら書きます。

そう、これはインスタントコーヒー。

今日は視点の話を書く。ここのところ、noteは書いていなかったけれど、私はお仕事で週1日は自分で文章を書いたり、他の人の書いた文章を編集したりしているので、文章には触れ続けておるよー。

さてさて。私は半年に一回、編集長と「ここ半年どうだった?どんな風に成長して、これからの課題は何?」って振り返りをしています。その振り返りをしていて「おー、これは大事なことだな」ってことがあったので、書くね。

昔から「今の社会について書いてほしい」って言われていたのです。それはもう5年くらい前から。私が書いているのは障害とか、福祉、雇用とかの話が多いから。それはすべて個人の話でもあるけれど、大きな社会の流れもあって。

個人的なエピソードを書ける人はいるけれど、社会について書ける人はなかなかいないから、そういうライターになってほしいって言われていて。

すごく苦労したんですよ。お恥ずかしい話ですが、私はそれまで社会についてなんて考えたことなくて。社会福祉士の資格はとっていたけれど、「今の社会ってこういう特徴があるよね」とか「こういう風潮がある」みたいなのは全然とらえられなかった。

たぶん、知識も経験も足りない上に、長期的な変化をとらえるみたいなのができなかったんだと思う。今でも社会を主語にした文章は書けなくて、それが課題でもあるんです。

たくさん文章を書いて、他の人の文章を読んで、編集をさせてもらって、どこでどんな文章の反応が大きいのかを見て…。そんな繰り返しをしてきた。

自分にないものを持っている人はまぶしい。仕事を通じて色々なライターさんに出会った。noteを自分で始めたことも大きかった。

「この人すごいな。絶対に真似できない。これはこの人にしか書けない。」って武器を持っている人って何人かいる。そういう人は強い。

この流れで名前を出していいのかわからないけれど、小野ぽのこさんもそう。

『顔を隠す人』を読んだとき「こんなにバタートーストについて書けるのか」と衝撃だった。

隠し味にこだわったスパイスカレーとか、皮から手作りしている餃子とか、なんていうか描写しやすいそうな料理じゃない。毎朝食卓に上がっていて当たり前になっているような、シンプルなバタートースト。

一回の食事について、私はこんなに丁寧に描写することはできない。せいぜい、2,3行で終わらせてしまう気がするし、そのときに主役にバタートーストを持ってこない気がする。

たぶん、食べているときからそうなんだと思う。こんなに一口ずつ味わっていない。私は料理は好きだけれど、そこまで食にこだわりはなくて。

最初の一口「おいしいな」と思っても、たぶん料理の途中で考えごとをしちゃう気がする。「五感をフルに使って、料理を堪能したことあったっけ?」って思った。

ぽのこさんは、近距離でものを描くのが上手。ズームで書ける人。

どの視点で書くときに自分の持ち味が活きるのか知っておくことは大事だと思う。これは、なんというか…。文章のときだけじゃなくて、普段のものの見方でもある。

同じ景色を見てもどこに焦点をあてるかが人によってちがうように。

説明のうまい作家に共通するのは、遠くから、巨視的・一望俯瞰的に見たかと思うと、一気に微視的に、顕微鏡的な距離にまでカメラ・アイが接近する、この焦点距離の行き来の自在さです。

『街場の文体論』 内田樹 p.14

この焦点距離の行き来ってめっちゃむずかしいんだよなーーーーー。街全体まで映してから、徐々にズームしていって人の小さなくせまでわかるくらいぐっと寄る。映画でも小説でも見かけるけれど、むずかしいんだよなーー。

大体、ものの見方って、意識しないと固定しちゃうというか…。広い視野でものを見る練習をしていると、細部を見落とすようになる。いちいち小さなところを拾っていたら全体をざっくり見れないから、スルーするくせがつく。

近くで見る練習をすると、色々なところが気になってしまうようになって広く全体を見渡すことができない。細かいザルみたいで、全部キャッチするから広い視野にしようとすると溢れてしまう。ってものじゃない?両方を行き来できるってすごくない?

絵を描く人はデッサンを学ぶときにこういう練習しているんだろうな。リンゴを近くで描く練習と、風景を描く練習。通った上で、得意な絵やタッチがあるんだろうなぁ。これって、感情の解像度から繰り返し考えているなぁ。私にとって定点観測なテーマなんだろうな。

以前、ぽのこさんが私の文章を「空飛ぶ鳥の目」と表現してくれたことがあって。すごくうれしかった。

私はどんなくせがあるだろうって考えてみると、私の文章はほとんどが事例検討。日常の中の細かいことをキャッチして、そこから他の人たちにも当てはまりそうな話までぐいっと広げるのがお得意のパターン。

まあ、何が言いたいのかっていうと。私はぽのこさんに対しては「近くで描写する力があってうらやましい」と思うし、社会や時事問題とかについて自分の考えを持っている人には「視野が広くてうらやましい」と思う。

そのことを編集長に話したら「どっちもできたらいいけれど、自分の個性はそのままでいいんじゃない。たとえるなら、短距離走の選手はきっとマラソンも走れるし、マラソン選手も短距離を走れる。けれど、短距離走の選手は、短距離を磨くことに力を注いだ方がいい。」って言われたのです。

それはそうだ。というか、このnoteたとえ話のオンパレードでごめん!伝わりやすくはないな。

何をしていても、他の人を見ていてやっぱり「これはすごい。絶対に真似できない。」ってことはたくさんあって。その人のよさを見ることはあっても、同じことをできなくていいんだろうなぁと。

自分の道を行くしかないんだなーと。

まぁ、だからって苦手なことをやってみることも、表現の幅を広げるきっかけになるだろうし。なんでもやってみたらいいし、それはそれで引き出しが増えると思うんだが。

みんながまぶしく見えるし、自信喪失しているときとかは目をそらしたくなるけれど笑 自分のことに集中しようと思ったのです。

もう、5年半くらい書き続けているし、自分の大事にしている価値観や文体も定まりつつある。

ただ、私はそこまで強烈な「森本しおりと言えばこれ!」な、個性の強い文体じゃないと思うんだよなぁ。個性がないわけじゃないけれど、そこまでわかりやすくもないので、イマイチ自信を持てなかった。

ここのところ、積み上げてきた自分らしさみたいなのを壊しまくっていたのもある。まぁ、何でもいいんだ。ブランディングには「こういう人!」がわかりやすい方がうけるんだろうけれど、私はこれからいろんな視点を行き来することを楽しむんだ。

わたしはわたしをこわしたい、ってね。これ、大好きなんだ。何回も読み返した。

久しぶりに書けて楽しかった!!ごめん、久しぶりすぎてちょい見直したしノンアルだから誤字もない!でも、まあ許して。またね!

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