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note内の評価は、外での評価と一致しない

半年くらい前にライターの方とこんなやりとりをしたことがあります。

「noteでいくら人気が出たとしても、外の仕事につなげるのはむずかしいよね。」

「AKB48の選抜メンバーに入ったからと言って、芸能界で生き残れるわけじゃないみたいなことですか?」

「そうそう。そこの戦略を考えないとねー。」

当時、私は(そんなこと言われてもAKB48の選抜に入るのがめちゃくちゃ難しいように、note内で読まれることも大変なんだよ…)と思ったのですが、今になって、この会話を思い出します。

たしかに、note内で評価されるかどうかに左右されすぎているかもしれない。いつの間にか、外の感覚とズレたりしているんじゃないのかな…と。

noteは小さなコミュニティの集合体みたい

他のブログサービスは「一部のスタープレイヤーが活躍する場所」というイメージがありますが、noteはネット上の小さなコミュニティの集合体みたいだなぁと感じます。

特に、ここ半年の間でnoteにはサークルができたり、個人の企画や私設賞が増えたりしていることも後押ししています。最近ではZoomのようなクローズな空間でのおしゃべりも活性化してきました。

個人的に、最近のnoteは色々な試みが出てきて楽しいです。居心地がいいし、他の人の刺激を受けて書くペースも上がっています。

ただ、外から見たら「内輪な会話」が増えてより閉ざされたコミュニティ感が強くなっているのかなぁという気もします。

note文化に対して、違和感を覚えなくなってきてしまった

noteを始めて半年くらいのころは「noteの文化」に違和感を抱いていました。たとえば、褒めることの多さ、「スキの多い人=文章力のある人」とは限らないこと。

当時よく感じていたのは「noteはAKB48のシステムと似てるなぁ…」ということです。圧倒的に手の届かない雲の上の存在より、会いに行けるアイドル。歌唱力や、美貌、ダンスのうまさなどよりも、人柄、握手会のようなファンとのコミュニケーションを楽しめる人が強いイメージです。

最近は慣れてきたのか、あまり違和感を抱かないのです。むしろ、居心地がいいし、楽しい。私も接しやすい人の方が好きですし、仲のいい人にスキを押すのは自然なことな気もします。

違和感が無くなってきたことは、適応している言うこともできますが、若干危機感もあります。cakesコンテストに応募すらしなかったのは、忙しかったからだけではありません。チャレンジというものを、しなくなってきてしまいました。

いくら内側の居心地がいいからと言って、古い自分を壊せないのはマズイ。それは、停滞につながります。井の中の蛙になってしまうこともあるでしょう。

内輪な文章と、外に向けた文章の割合

最近の自分のnoteを見返すと、企画に参加しているものが多いです。連帯意識は高まるし、顔の浮かぶ人に伝えたいのは、すごいパワー。だからこそ、コミュニケーションとしての文章を無くすつもりはありません。

一方で、「初見の人からしたら、わけがわからないだろうな」とも思います。内側の連帯意識が強ければ強いほど、外からは入りづらい。外の人を疎外することにつながりかねないのです。

そろそろ、noteを始めて1年が経ちます。今まではnoteの中しか見ていなかったけれど、noteの外も視野に入れていきたい。まっさらな人の目から見た、自分の文章への評価を受け入れたい。きっと優しい意見ばかりじゃないしキツイだろうけど、聞く耳を持つチャレンジャーでありたいのです。

別にnoteを卒業するつもりはなく、これからも書いていきます。企画に参加するのも大好きですし、今度、Zoomを使ってnoteの人たちと読書会もします。このつながりも大切にしたいです。ただ、ちょっとした転機が訪れたようです。

半年くらい前からずっとモヤモヤと抱えていたものが、ようやく形としてまとまりました。自粛期間に時間があったからこそ、できたものです。

みなさんはどの方向を目指して、書いていますか?どんな自分でありたいですか。

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