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【ピリカ文庫】あの子と口紅(2560文字)

 ああ、あの子を見ているとイライラする。

「なにあれ。うける」「ね」「ブスが頑張っちゃって」

 人の容姿を貶す権利が自分たちにはあると信じて疑わない友人たちの言葉に曖昧に頷きながら、彼女らの視線の先――クラスメイトの中島きなりに目を遣る。注目を浴びることを恐れない彼女らの声は大きい。ただし体育の授業のあとの着替え中など男子の目がないところに限られるが。

 声が聞こえたのだろう。きなりは手に持っていた口紅をそそくさとポーチにしまい、うつむきながら更衣室を出て行った。

 まだメイクを直している友人たちに購買に行くと伝え、一足先に更衣室を出た。斜め前にとぼとぼと廊下を歩くきなりの姿が見える。簡単にまとめられた一つ結びが左右に小さく揺れている。コテやアイロンの熱で痛めつけらていない黒髪は赤子の髪のような透明感を残している。髪をおろせばきっと目を惹くだろうに。

 きなりと私が同じ中学に通っていたことをクラスメイトのほとんどは知らない。所属しているグループが違うし、教室でもめったに話さないから。

 中学はよくあるバカ校でほどほどに荒れていて、低レベルないじめが横行していた。私は幸いそのターゲットにはならなかったけれど、ねっとりした意地の悪い視線が飛び交う教室で、その視線を受け取り横に流す自分自身にもウンザリして、中三になるやいなや必死に勉強を始めた。もちろんこっそりと家で。

 その結果、地区では1番の進学校に入ることが出来た。その中学から今の高校に入れたのは創設以来きなりと私のふたりだけで、喜びを我慢できなかった学年主任は、「祝! 錦ノ上にしきのうえ高校合格!」の文字とともに私たちの名前を職員室前の掲示板にでかでかと載せた。ほんと勘弁してほしい。

 勉強していることをひた隠しにしてきた私は学年主任の厚意を恨みもしたがもうすぐ卒業だ。「ガリ勉w」という陰口にも負けずに残りの学生生活を粛々と過ごした。

 面倒なすべてから逃れられると思ってやってきた進学校でも似たような陰湿さは存在した。これまで自分が標的にならないよう上手く立ち振る舞ってきたのに、何故かいま進んで面倒ごとに首を突っ込もうとしている自分がいる。

「濃すぎ」

 突然背後から掛けられた声にきなりの肩がびくっと跳ねた。私のことを怖がっているのか無意識に一歩後ずさっている。微妙に傷つくんだけど。

「かりんちゃんか……。びっくりした。濃いって?」
「口紅。塗った後にティッシュで軽く拭き取ってみ。あと他のメイクしてないからそこだけ派手で浮いてる」
「やっぱり変だった?……ねぇかりんちゃん、今度一緒にコスメ選んでくれないかな?」
「私ブスと街歩きたくないから」
「う、ごめん」
「言ってる意味わかる?」
「え?」
「一緒に行ってほしいなら服装とか髪形だけでも可愛くしてこいってこと。あんた見てるとイライラすんの。なにその特徴のない目、鼻、口。宝じゃん。メイク次第でどんな顔にもなれるよ。なに『私はブスです』みたいな顔してんの? 100年早いんだよ!」

 思わずまくし立ててしまった。恥ずかしい。だってあまりにも自分を分かっていない。きなりは一瞬あっけにとられた顔を見せた後、堪えきれないといった様子で顔をほころばせた。

「ふふっ。褒められてるのか貶されてるのか分かんない。かりんちゃんは中学から変わってないね。いつもクラスの意地悪な女の子とつるんでるのに、なんだかんだ優しい」

 一瞬嫌味を言われているのかと思ったがそうでもないらしい。そうだ、私中学のときこの子のこと結構好きだったんだ。だから虐められても反抗しないで小さくなっている姿に苛ついていた。

 苛つきの理由が判明してすっきりしているところに、後方からスリッパを鳴らす音が制汗剤の香りとともに近づいてきた。

「かーりん! 何してんの? そいつと仲よかったっけ?」「虐めてんでしょ。中島サンかわいそー」「でも意外とお似合いじゃない? かりんちょっと陰キャなとこあるしぃ」

「ねえ、もうやめときなよ。流石にガキ臭い」と、軽く受け流すつもりだったのに自分の口から滑り出た言葉に驚いた。場の空気が凍ったのが分かった。目の前の3人の顔色がじわじわと赤くなる。

「は、うざ。調子乗ってんなよ」「せっかくうちらのグループ入れてあげてたのに」「これからはぼっちだね〜おつ」

 3人が順番に話すのが面白い。新喜劇のローテーショントークか、と内心ツッコミを入れる。最後に人数分の舌打ちを残して数分前まで友人だった人たちは去っていった。

「うわ……こわあ。ていうか私のせいだよね、ごめんね」
「ん、平気。思ったより全然平気だった」
「かりんちゃんはかっこいいね。それに可愛い」
「知ってる。私、誰より可愛くないといやなの。でもあの子達といる自分、なんかすごいブスな気がしてた。だからちょうどよかった」

 嘘。半分強がりも入ってる。人からの悪意が平気な人間だったら最初から”意地悪な女の子”とつるんでなんかいない。

「気持ち悪かったらごめんね、この口紅かりんちゃんの真似して買ったの。かりんちゃんが『秋の新色買った』ってあの子たちと話してるの、つい聞き耳たてちゃった。口紅を真似たってかりんちゃんみたいになれるわけじゃないのにね」

 きなりがポーチから口紅を取り出した。確かに私のものと同じだ。友人たちと会話を合わせるために大枚をはたいて買ったブランドコスメ。その口紅の色はやっぱり派手で、きなりには到底似合いそうにない。背伸びして使っていたけれど多分私にも似合っていない。だけどいつかは、と思う。

「それ、もっと合うやつ選んだげる。今は色付きのリップクリームにしとけば? その口紅が似合う日は多分くるから」
「私にもそんな日がくるかなあ」
「あんたの努力次第じゃない?」
「よーし頑張る! かりんちゃんみたいに強くて可愛い女の子になるぞ!」

 あまりにも素直なきなりの返事につい笑みが零れる。

「ばーか。……私も頑張る」

 誰よりも可愛くなりたい。誰よりも綺麗になりたい。誰よりも強くなりたい。欲望は溢れて止まらないけれど、高校一年生の私たちにはそう望む権利があるように思える。

 私たちが鮮やかに花開くのはもうすぐそこだ。そのとき一緒に笑い合う最初の口紅は、できればこの色がいい。

ピリカさんからお声がけいただき、「口紅」というテーマでお話を書かせていただきました。ピリカ文庫へのお誘いメールを見逃すというポカミスにも優しくご対応いただきありがとうございました。

https://note.com/saori0717/m/mdd63130311b0

 


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