光が開いて、散って、また開く
昨日、彼と花火大会に行きました。
今年、花火大会に行くのは初。
肌に染み込もうとしてくる暑さは和らがなくとも、
もう夏が終わってしまう時期に入りました。
この時期の夕方の空を見ていると
自分は去年となにか、変わっただろうか、変わってるといいなと、
不安と期待がかき混ぜられた、どちらかといえば焦りの気持ちが強くなります。
他の季節よりも水分が多く、
はっきりとはしない空が、寝ぼけたような水色や赤や、黄色、薄紫色に染まり、それはとても美しいのだけれど、
そんな綺麗な空を見ていると、つい去年の自分と比べてしまう。
蝉の声と相まって、
もう夏が終わってしまうのだと喪失感に似た感情に陥って、
でも同時にその空の美しさに心が間延びする、不思議な感じ。
焦りなのか、しみじみとした感動なのか、本人もよく分からない感情の波に飲み込まれます。
花火大会の駐車場につき、車を降りて、空を見ていたときも、
その波がちらりちらりと、わたしの中で現れてきました。
でも、花火大会の会場へと歩き、
会場のアナウンスが聞こえてきたり、浴衣姿の人たち、仲間と笑っている人たちを目にすると、自然と、今は隣にいる人と花火を見ようと、この高揚感に心をまかせたくなりました。
屋台で焼きそばやじゃがバターを買い、ラムネも買って、腹ごしらえを済ませました。
レジャーシートに座って、打ち上げまでの時間まで待ちます。段々と夜が深い海の底のような色をして、わたしたちの肌の上に降りていきました。周りのそわそわとした空気も、熱となって、風に運ばれます。
時間になると、最初、大きな花火が3発ほど、打ちあがりました。
橙にも、金色にも見える大きな光は、わたしたちのほぼ真上で開き、
散って、また開きます。
煙はヒトデみたいな形になって、奥の方へと消えて行きました。
その後も、立て続けに花火が打ちあがり、久々に間近で花火を見たわたしは、周りの人と一緒に「おお」と歓声を上げ、拍手をしました。
どーん、どどん、どーんと、
心臓にも届きそうな音は、
たくさんの光と共に、
隣で一緒に見ている人の横顔とか、
屋台の匂い、足首に伝わる草むらの感触、
しょっぱい焼きそばの味、ラムネの冷たさも一緒に、
記憶に残っていきます。
花火を見ていると、夏のあの焦燥感は花火と共に打ち上げられて、
一瞬だけかもしれないけれど、散っていくような気がします。
暗闇の中で目を閉じれば、
花火は残像として、瞼の裏に残り、強く強く光ります。
その強い光は、前に進もうともがいている自分を鼓舞してくれているような、そんな光でした。
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