「再現性」の罠
サッカー界で近年よく聞く言葉「再現性」。
「安定した結果のためには再現性を持つことが大事だ」なんてよく聞くけど、最近それについて違和感を持ったから記事にしてみる。
記事の内容をざっくり言えば、「不自然な再現性を求めることは安定した結果からむしろ遠ざかるのでは」みたいな話。
再現性といえば、「ビルドアップでは相手プレスに対して数的優位を作って〜」とか「5レーンの攻撃には5バックを形成してこう対応して〜」とか、いわゆる戦術的な行為がよく挙げられると思う。
この戦術的な行為は、人工的な行為とも言えるでしょ。
でもさ。
その人工的な要求をしない場合に自然発生する現象もあるわけだ。
というか人工的な要求をしても「どうしても自然発生してしまう現象」ってのもある。
例えば。
ブラジルはカウンター狙おうがポゼッション狙おうが、ブラジルらしく「なんだかんだで勝つ」でしょ?そしてそういうブラジルらしい選手が多く輩出されている。
スペインはスペインらしく、どうやっても荒々しいサッカーにはならずにロジカルなサッカーをするでしょ?そしてそういうスペインらしい選手が出てくる。
「特定の選手と特定の選手を近くに配置すると、どんな戦術を与えても破壊力抜群のコンビネーションを見せる」というのもあるだろうし逆もしかり。
自由にやらせると必ずカウンターサッカーになる、なんてのはサッカーやり始めの子たちならあるあるの自然現象。
こういう自然発生する現象も「再現性」と言える。
だから大きく分けると「人工的な再現性」と「自然的な再現性」の2つになる。
でだ。
この記事で言いたいのは、『「自然的な再現性」を無視した「人工的な再現性」の要求』、つまり『不自然度の高い再現性の習得』を狙っても高いレベルは望めないんじゃないかということ。
だって、「不自然度の高い再現性」は実現するのにリソースを喰うじゃん。
高いレベルでのプレーはそれに見合った「早さ」が必要なのに、不自然度が高いことを無理にやらせ続けたらその「早さ」を殺すことになってしまう。
だからね、見逃されがちだけど自然に再現されていることはちゃんと認知しなきゃいけないと思うんだ。
商売だってそうでしょ。
コンビニが地域によって品揃えを変えるのは、自然的な再現性に合わせるからよね。
例えば巣鴨で不自然なタピオカ屋を流行らすのは大変じゃん?(例えが古いし実際は知らないけど)
サッカー界に話を戻すと。
たぶんアンチェロッティ監督とかは、この「自然的な再現性」を活かすのがとてもうまい監督だと勝手に思ってる。
選手の組み合わせやクラブのカラーなどで自然発生する現象を尊重して、効果的な組み合わせを見つけたらそこに「人工的な再現性」を少し足す。
つまり「不自然度の低い再現性」を実施するから選手達の実行に無理がなく、監督固有のこだわり戦術を感じるわけでもない。
スタイルらしいものが無いのにどんなクラブでも結果を出すのは、そういうことなんじゃないかと。
それと比べると、自分が行っている指導は「けっこう不自然な再現性を要求しているな〜」と思うことが多々。
で、せっかくのワールドカップでちょっと考えてみたいのが、「じゃあ日本代表はどうなのか」というところ。
先日こんなツイートをしたけど、この「オープンな展開での確率勝負」みたいな、日本も「日本らしい」自然的再現性があると思う。
勝負強さはあまりない
でもたまにジャイアントキリングはする
得点に対して決定的な仕事をするタイプの選手はあまりいない
でも強引に切り込んで行ける選手は多数
シングルタスクを徹底して実行する能力は高い
でも試合中の臨機応変さは苦手
自分たちのサッカーを実行したがる
でも相手のペースに合わせがち
雑に考えて上げたけど、この辺は「日本らしい自然的再現性」と言えるかも知れない。
(実際には他国が日本サッカーに抱くイメージがそうかもね)
その通りだと仮定するとどんな人工的再現性の要求をしたら無理なく効果的なサッカーをできるようになるだろうか。
これに逆らうような人工的な再現性を要求したところでパフォーマンスは上がらないだろうし、「オープンな展開での確率勝負」が自然的再現性なら、それに合わせた人工的再現性をどこかで足さなければならない。
個人的にはこのツイートのサッカーが現状の日本にとって不自然度の低いサッカーだと思ってるけどね。
それに人工的なものを足すなら、マンマークしやすいフォーメーションと基準を与えてあげる、とかかな。
以上、雑感でした。
終わり
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