大丈夫?ねんねする?~アンチリプに傷つく人へ~

私もドはまりしているゲーム「あつまれ!どうぶつの森」の公式ツイートに、とても激しいアンチリプライがついていたのを、私は偶然みつけた。

憤りがひしひしと感じる文章で、ゲームシステムが醜悪であると主張し、更新されるゲーム内容を甘い罠と例え、決して屈するものかといった、ほのぼのゲームのプレイヤーとは思えないリプライだった。

アンチリプへのリプは、大概が「嫌ならやめたらいい」というものだった。そりゃそうだな、わかるわかる。そんな辛い気持ちになるならやめたらいいじゃない。けれど、そのなかでひとつ、とても短く、けれど私の心を強くうったリプライがあった。

「大丈夫?ねんねする?」

目から鱗だった。
大勢のファンが「うるせぇ!」と臨戦態勢をとっている中、ひとり相手までおもむき「どうしてそんなこと言うの?なんかあったの?疲れてる?」と、寄り添ったように私には見えた。

なるほど、このアンチは、心からゲームを楽しもうとしてたんだと思うし、わざわざ公式ツイートを読む、めちゃくちゃにハチャメチャに大ファンだ。そして期待しすぎて裏切られたと感じたんだねきっと。その傷の痛みは、たぶん誰にもわからない。だからといって、誰かを傷つけていいわけではないけどもさ。もしかしたら、誰かを傷つけたいわけじゃなかったのかもしれないなって、このリプライをみてそう思えるようになった。

アンチリプに悩むことはない。その発言がその人の全てじゃないし、その発言はあなたの全てじゃない。まあ私にはアンチリプくるほどの知名度ないからまだ悩んでないけど。

この「大丈夫?ねんねする?」がどんな意図でツイートされたのかはわからないけれど、間違いなく私一人の心は平和になった。優しくなった。この人に感謝したい。お礼がしたい。

もしこの「大丈夫?ねんねする?」と言った人が、2つ目のハーゲンダッツに手を出すか悩んでいたら迷いなく私は背中を押すだろうし、何でもない日の外食で寿司や焼肉をチョイスしても、そんななんでもない特別な日があってもいいに決まってると笑顔で肯定する。

Twitterでは最近過激な発言が制限される傾向にあるけれど、本当に必要なのは発言者よりも受信者の教育なのではないだろうか。言論は自由であるべきだと思う。けれど、攻撃しあうのは嫌。だれもが「大丈夫?」と思い合える世界であってほしい。

そして、もしあなたが「大丈夫?ねんねする?」という言葉が皮肉に聞こえ、めちゃくちゃ煽ってるやないか!と腹を立てたのだとしたら、それはもうねんねした方がいい。

誰かの幸せの種になれたらと思って活動しています。まだまだ未熟ですが、応援していただければ嬉しいです。