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教育実習で学んだこと

この前終えた実習について、はやいうちに書かないと忘れちゃいそうなこの内容についてぱぱっと。


授業したり、生徒とおしゃべりしたり色んなことしたけど、その中で一番大事だと思ったことについて。
学びが多すぎる三週間だったからたぶんまた何回かnoteを書きます✐


ということで本題の一番学んだというか気づかされたこと。


生徒の前に立つのは、先生ではなく21歳の自分だったこと。

なにそれ?って感じなのでちゃんとかみ砕いていきます。

簡単に言うと、教壇に立ったからって、別の人間になれるはずもなく、先生になれるなんてことなかった。

生徒の前にいる自分は、普段の自分と変わらない同じ人間で、身にまとってる服がスーツなこと以外なんにも変わらない自分だった。

そこで試されるのは、50分間の授業でも、大学の講義で学んだことでも、その場で考えていることでもなく、自分の21年間だった。

この21年間で何を考えてきて、どんな行動をしてきて、どんな人と関わって、何をしてきたのか。
発する言葉の節々にそれが出る。

だから、その自分が正面から生徒にぶつかっていかなくちゃいけない。


って上にかっこよく書いたほどの堅い人間ではないので、結局何かとゆるーくなった。

先生ゆるくて楽しかったよ

っていう褒め言葉なのか貶されてるのか分からないことも生徒に言われた。

たぶんそういう人間なんだと思う。


実は、15日間中最初の数日間だけ、ちゃんと真面目になろうかなと迷走したときがあった。

完璧な板書、シナリオ通りの授業、教室を完全に静かにしてから授業を始める真面目な先生。

やっぱり無理だった。

というより、自分に合ってなかった。

なんかうまくいかないし、生徒のノリも良くなかった。


だから、少しテキトーになってみた。

字は汚いし、生徒に流されて話は脱線しちゃうし、休み時間は本気で遊んだ。

内容が早く進んだからちょっと早く終わらせちゃおうって言ったり、疲れたからって言って生徒の椅子に座ったり、ほとんど授業に関係ない旅の話とかもしたり。

そっちの方がみんな生き生きしてた、というか間違いなく自分は生き生きできた。何も着飾ってない普通の自分。

そんなテキトーな自分は、たまに手を抜きつつ、全力でやるときはとにかくやりすぎるくらい頑張っちゃう21歳の自分だった。

立場が変わったからって、自分の持っているものを変えることはできないし、なんなら変わらない自分でいる方が生徒に面と向かって話ができた。

というか、真面目に完璧に生きてこなかった自分に、真面目で完璧な授業はできなかったし、できるはずもなかった。


もしかしたら、数十年後教師になってからある程度時間が経ったときには、また違う自分が生徒の前に立っているのかもしれない。

たぶん真面目になれることはないけど。

40歳になったら40年間生きてきた人がそこにいるわけで、20歳の今の自分とは違うはず。

もっと先生として色んなことを知って、考えて、勉強して、今の自分がこうなりたいと思ってるような人になれているのかもしれない。

ただそうなるには、それっぽくするんじゃなくて、そうなろうとして行動していかないと何も伝わらない。先生を演じているだけ人の言葉に心が動かされることなんてない。



身ひとつで生徒にぶつかっていく先生は、自分がそれまでに手に入れたものだけでしか生徒にぶつかって行けない。

そんなことを学んだ。

大学生活は残り一年半。この一年半で積み重ねられるものはたくさん作れる。そして、その後だって永遠に自分は成長できる。


ゆるーく貪欲に生きてこ。



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