習慣の腕力。
瞑想の練習をやりたいけど機会がない、時間がないからできない、
大事で優先すべきことがあるから今は練習できなくてもしょうがない。
時には緊急事態的な状況もあるが。
けれど大抵の場合はいろんな言い訳を作って私たちは練習をしない方向性に舵を切っていく。
これは最初に訪れる1番の障害になるのではないだろうか。
気がつけばいろんな理由をつけて練習をしなくなってしまう。
「今の時期は忙しいから」
「落ち着いたらその時に」
多分それを言っているうちは落ち着いた時間なんて一生こない。
そこから抜け出すのには何はともあれ努力が必要だということについて。
●元カレ元カノとヨリを戻す
習慣の腕力は強い。
慣れ親しんだルーティーン、誰かとの競争、朝から晩までずっとやってる仕事、なんとなく手に取るビールと野球中継、お菓子や甘いもの、誰かやシステムへの不満、愚痴、喧嘩。
心地の良いものも、不快なものもあるけれど、慣れ親しんでいるという点ではそれが不快なものであろうと強力にそちらの方に私たちは引き寄せられる強力なクセがある気がする。
間違っていると分かっているのについつい元カレとよりを戻していたりとかw
分かっちゃいるけどやめられない的な。
たとえ不快な状況だろうと、それでもよく知って慣れ親しんでいるということは何よりきっと安心なのだ。
だから瞑想の練習を始めようと思う方の難関は
・練習を始められるかどうか
・練習を継続できるかどうか
ここに尽きる。
それらを克服するにはまずは練習を継続する努力が必要だ。
今までの強力な習慣腕力に対抗するには、新しいルーティーン自体を強力な腕力にまで育て上げていくことだ。
そう、腕力には腕力で。
初心者向けの瞑想体験会を開催しているので、初めて瞑想を体験しますという方にお会いする機会が多くなった。
そのうちどのくらいの方が継続してくださっているだろう。
理論は理解した。少しやってみていいものだとわかる。
いいね!となっても問題はそこからだ。
問題は練習を始められるか、そして継続できるかどうかだ。
科学的データもでている。有名企業やトップアスリートも取り入れている。
ヨーロッパでは小学校の義務教育に入れている国もある。
瞑想は良いものだと知った。
ほとんどの方が良さを理解されて納得される。
そして練習を実際にはしない。
そういうものだと思う。
1日15分の練習をスケジュールの中に入れられないほど私たちは忙しい。
練習を始めたとしてもこれを継続することはかなりのエネルギーが必要だ。
まず最初にこの練習をスケジュールに入れ込むという点で、自分の忙しい生活習慣を克服する必要があるからだ。
今までの生活のパターンにはないことを入れるのだからハードだ。そしてやらなくても誰も困らない。
まずは騙されたと思って最初は信じてやってみるということが結構重要。
これがないと何も始まらない。
●練習を続けたとしても
そして練習を続けていくと陥るの事態が、大抵の人が興味を失っていくということ。
最初は目新しくて新鮮な体験だったかもしれないが、慣れてくると徐々にその行為自体、そしてその行為をしている自分自身に興味がなくなってくる。
瞑想に対するキラキラした期待がなくなってくる。
ただ坐っているだけで退屈だし。
嫌なことが思い浮かぶし。
というかほぼ寝てるし。
重要な案件について考える時間を少しでも増やした方がより生産的じゃないかと思えたり。
そうするとだんだんイライラしてきたり。
なんだかほんとに騙されたような気になってくる。
そういう時は。
なぜそれを始めたのかをよく思い出すことが助けになる。
そして何をしているのか。
なぜやっているのか。
今までの慣れ親しんだ習慣の腕力は強い。
別にメディテーションの練習に限った話じゃない。
どんな練習だって最初は辞めたくなる。
練習を始める時はとはそいうものだと思って諦めよう。
始めると決めたらさっさといろんなことを諦めて、あれこれ考えるのをやめて黙って坐ろう!!
そのためにサポートする先生や教えや、練習仲間がいる。
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