「あるがまま」と「そのまま」と「甘やかし」の違い
瞑想の指導を通じて多少なりとも言葉を取り扱いながらお仕事しています。今日は言葉の「本当の意味するところ」を結構気にしながら使っているという話についてです。
「あるがまま」は最初は一定の努力を伴って初めて触れられる領域
「あるがまま」と「そのまま」と「甘やかし」の捉えられている意味がごちゃ混ぜになっている場合が多くて、ここは慎重に言葉を選んでクラスをしています。
瞑想では「あるがまま」を実践しているのですが、「そのままでいい」と捉えられることもあります。
一般的な言葉の定義がほぼ同じなので、言葉遊びのようになりますが、
実は指導をする上で全く違う意味で使っています。
私たちが使っている言葉の意味は
「あるがまま」・・・リアリティとそのものと関わっている状態
「そのまま」・・・評価判断をくわて物事を認識している状態
「甘やかし」・・・なんでもかんでも許される状態。放置。
おそらく「あるがまま」と「そのまま」の境界線がとくになく
場合によっては「甘やかし」の対応をとっている場合もある。
「全部大丈夫だよ、そのままでいいんだよ」という甘やかしとも言える「そのまま」に対して、
「あるがまま」というのは「認識の偏りを超えて実際の状態を見る」
という感じで、誤った認識に気づく余地を含んでいます。
それはなんでもかんでもオールOKということではなくて、どちらかというと努力の匂いがするものです。
つまり「あるがまま」というのはリアリティと関わるために一定の努力を通じて培う感覚のはずなんです。
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