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自分で自分をほめたい

自分はとても怠け者だと認識している。

学生時代に部活をしたこともなく、好きな仕事に就いて情熱を傾けたこともない。何かにつけて「マジメだけど真摯じゃない」というか、自分の内なる情熱にしたがってことを成したことがないと言うか…「やらされている感」が付きまとっていたように思う。

「私、がんばった!」

そう断言できる経験がなかった。バルセロナオリンピックの女子マラソン。銀メダルを手にした有森選手が「自分で自分をほめたい」と涙を流した時、私はその10倍の涙を流した。

その頃は深く考えることもなく、ただただもらい泣きをした愛国者のひとりにすぎないと思っていた。今はわかる、彼女が羨ましかったのだということ…。「私、がんばった!」私も言いたい!って思っていたのだと思う。そして、そう思うそばから諦めていたということも想像に難くない…。

「私、めっちゃがんばったかもしれん…。」
そう思ったのは長女をこの世にひねり出した数時間後のことだった。がんばるも何も出てこようとする人の子パワーに抗うことなどできないのも確か…。それでも、途中視界がぼやけるほどの痛みに「あ、ギブギブ!もうやめます。はい、どうも…。」(陣痛の凪に分娩代を降りようとする)と叫びたいのも飲み込み耐え抜いたあれは何かと問われたら「がんばり」と言って罰は当たらんだろうと思う。「それは義務でしょう」とかいうヤツ、放課後体育館の裏来い!ボッコボコにしてやんよ!

湿ったフニフニの長女を胸に抱き授乳しながらも「長女専用の出口」は今まさに針と糸で縫合されてつつあり…つらかった。痛かった。そして、取り戻した感情…「恥ずかし」かった。(陣痛の痛みが大波の時は羞恥心はない)

「はい、ひとりっ子決定」

秘かにそう思った。にもかかわらず、その後一人ばかりか二人もの人間を世にひねり出したのだから「がんばった」と自分をねぎらいたいのだ。

因みに、私は難産体質であるようで、三人の子どものどの出産も長丁場になった。最も時間がかかった第三子の出産時には、看護師さんの日中勤・夜勤の時間帯を超越した長丁場となって体力もヘロヘロに奪われたものだった。

陣痛が始まりかけたことに帰宅した看護師が再び出勤し、「静かやし、もう生まれたと思っとったー(笑)」陣痛の痛みのピークを迎えた私に言った。

「静か」というのは陣痛に身をよじる妊婦のうめき声如何についてで…。どんな大波にも無言で耐える私に、優しい優しい天女のような助産師さんが「痛いって言っていいよ!」と言った。ついに「い、痛い・・」口に出して言ってみた。

するとどうでしょう!

残念ながら、余計痛く感じた気がしたのだった。そんなわかり切ったこと、わざわざ口に出して言わにゃよかった。第一子・第二子で確立した『痛み逃しの自分スタイル』を貫くべきだったと己を律したものだ。「もーほんまに勘弁。4人目は産まない。」と思いながら。
※「イタイ―!」と絶叫するスタイルが合う方もいらっしゃる。

末っ子など4,000g近くまでお腹の中で育ててしまったため、頭はやっと出たものの肩が突っかかってもうなかなか…という面白いことになった。新生児室でスヤスヤと眠っている末っ子は、そのクリニックを訪れる1か月検診のどの赤ちゃんより大きい新生児だった。沐浴で後頭部を手で支えつつ耳を抑えようにも、親指と小指が耳に届かず里の母が大笑いしたのも今となっては良い思い出だ。

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