見出し画像

短編小説/一億色の光

1.

 幼稚園か、それとも小学校に入ってからだろうか。

 はっきりとは覚えていないけれど、健康診断で色覚異常だということが判明した。自分の見ている景色と友だちの見ている景色が違っていたという事実に、幼い僕は熱を出して寝込むくらいには衝撃を受けた。

「異常だなんて、まだそんな言い方をする人がいるの? まったく腹立たしい」

 鼻息荒く母に文句を言ったのは、たまたま家を訪れていた祖母だった。

 祖父母が暮らしている景観保護地区は、僕らが住んでいる山間居住区とは違い、体を反り返らせてもてっぺんが見えないほど高いビル群が立ち並んでいる。祖父母が十代だった頃は人で溢れ返っていたらしいが、僕の親世代に地方への移住が加速して維持が困難になり保護地区となったらしい。

 景観保護地区に暮らしているのは祖父母と同年代の高齢者がほとんどで、おそらく2100年以前に生まれた人ばかりだ。僕は祖父母に会いに行ったついでに何度か景観保護地区を散策したことがあったし、修学旅行で訪れた時はオブジェのようなビルに出入りしながら昔の人々の暮らしぶりを学んだ。

「四色型色覚が正常だなんて、まったくおかしい話よ。人間はもともと三色型色覚だったんだから」

 祖母の苛立たしげな声が聞こえ、僕は氷枕に頭を埋めた。

「お母さんはそう言うけど、昔も女性の中には四色型色覚があったらしいのよ。色覚異常って言ったって、差別や偏見じゃなくて単なる分類なんだから」

「差別や偏見じゃないなんて嘘っぱち。景観保護地区に観光に来る若い子たちなんて、まるで珍獣を見るみたいに私たちを見るのよ」

 ああいやだいやだ、と祖母がため息をつくのを、熱にうなされながら聞いていた。色覚の話になると、たいてい祖母と母は言い合いになる。

「どうせあんたたちには分かりはしないよ」と祖母が投げやりに言い、「分かろうとしないのはそっちの方でしょ」と母が言い返し、二人の足音が遠ざかっていった。

 僕はこの日まで両親と同じものを見ていると思っていたが、実は祖父母の側だったのだ。両親は僕の見ているものを理解できないのかもしれない。そして、僕は両親の見ているものを見ることができない。

 悲しくて、僕は声を押し殺して泣いた。


2.

 景観保護地区に住んでいる人は、僕と、そして僕の祖父母と同じように色覚異常なのだと母親に教えられた。教えられたのは、僕の色覚異常が発覚した年の夏休みだったと記憶している。

 祖父母の家を訪ねるからと景観保護地区に行くことになったのだが、両親の目的は色覚治療専門のクリニックに僕を連れて行くことだった。

 医師は色々と説明をしてくれたが、そのほとんどが僕には理解できず、治療を受けることもなかった。落胆する両親とは対照的に、祖父母が「遺伝子治療なんて怪しげな。別に病気じゃないんだから」と嬉しげに僕の頭をなでたのを覚えている。

 あの医師が両親に何を説明していたのか僕が理解したのは、小学校六年の時だ。

 僕の色覚異常が発覚した当時すでに遺伝子治療が確立されていたらしいが、日本ではまだ認可されていなかった。そして、日本でも認可されたというニュースが流れたのが小学六年生の時だったのだ。

 僕はすぐにでも遺伝子治療を受けて四色型色覚を獲得したかったが、誰にも言い出すことができなかった。

「やっと日本でもできるようになったのか」
「でも保険は適用されないのよね。いくらくらいかかるのかしら」

 夕飯のとき、ニュース映像を見ながら両親が話していた。

「まあ、焦ることはないよ」と父から向けられた眼差しに、僕はうなずくしかなかった。

 景観保護地区だけでなく、山間居住地区もその他のエリアも前時代の建造物を利用しており、三色型色覚でも問題なく生活を送れるようになっている。社会インフラに限って言えば、日本はどこにいっても三色型色覚に優しい社会だった。

 僕は遺伝子治療が日本でも保険適用になるまで待つことにしたが、その間にこの色覚異常についてちゃんと調べてみることにした。


3.

 四色型色覚を持つ子どもが急増したのは2100年。僕の祖父母がまだ学生だった頃のことだ。

 2099年生まれの子どもでは2〜3%だった四色型色覚が、2100年生まれだと98%。そして2100年の2月以降、ほぼすべての新生児が人種も性別も関係なく四色型色覚として生まれた。原因は未だに調査中らしい。

 2105年から数年間、四色型色覚の子どもがマスメディアでもてはやされた時期があった。しかし、あちこちに同じような子どもがいることが発覚し、世界的な大規模調査が行われた。その結果明らかになったのが、2100年2月という転換点だ。

 四色型色覚をネットで検索すると『オーロラ満月』という言葉が目にとまる。2100年1月26日の満月の夜に世界各地でオーロラが観測されたらしく、その前後で四色型色覚の出生率が激変しているために両者を結びつけてオカルトじみた噂が流れたようだった。某機関による大規模なバイオテロだとか、宇宙人侵略説といった怪しげなものがほとんどで、信じているのはごく一部のオカルトマニアだけだ。僕も当然信じていない。

 生まれてくる子どもがほぼ確実に四色型色覚を持つと判ると、メディアでは『四色型色覚問題』として報じられるようになった。

 主に混乱が生じたのは教育現場だ。大人たちは当然のごとく自分たちの方が正常だと考えている。そして、なんらかの理由で異常な子どもが産まれるようになったと理解していた。

 僕が読んだ教員経験者の回顧録にこういうものがある。

『私たちはこの事態を公害のように捉えていました。子どもたちは被害者なのだと。そして、彼らにこう語りかけました。
「君たちの見ている色はみんなと違うけれど、心配しなくていい。悲しむこともないんだ。生活していくのには何の問題もないのだから」
 私たち教育者は三色型色覚に矯正するRBGグラスを度々使用しました。けれど、子どもたちはみなつまらないと言ってそのメガネを外すのです。
 あるとき、一人の女の子が珍しくRBGグラスをかけて色鉛筆で絵を描いていました。彼女はメガネを外して景色を見ると、今度はメガネをかけて画用紙の上で色鉛筆を走らせます。描き終わったものを見せられた私は雷に撃たれたようでした。
「◯◯さんはいつもこんな景色を見ているの?」と私がその女の子に聞くと、彼女は
「この色鉛筆じゃ、描ききれない」ともどかしそうに言いました。
 そのあと、私は何人かの生徒にお願いしてこの女の子のように見ている景色を描いてもらいました。そして、ようやく気づいたのです。四色型色覚は子どもたちの才能であり個性なのだと。けれど、私の気づきは教育者たちに共有されませんでした。なぜなら、子どもたちよりも自分たちの世界がくすんでいると認めるようなものだからです』

 一般の大人たちが考える以上に、四色型色覚は複雑だった。2162年現在、四色型色覚は4種類に分類されていて、場合によっては数十種類に分けられることもある。両親から昔の話を聞くと、当時の大人たちのほとんどが四色型色覚についてまったくと言っていいほど理解しておらず、むしろ理解しようとしなかったらしい。それは祖父母と両親のやりとりを見ていても明らかだ。


4.

 僕はどうやって世界の色を見ているのか。

ここから先は

4,141字
この記事のみ ¥ 100

よろしければサポートお願いいたします。書き続ける力になります!🐧