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掌編/フィクション

 悟がくしゃみをした。厚手のカーディガンを着ているし、風邪かもしれない。

「のど飴いるか?」

 昼休憩に教室を出たあと、おれは彼の顔をのぞきこんだ。額に手をあてると少し熱っぽい。悟は飴を受けとって「圭、心配し過ぎ」と笑ったけれど、おれは強引に彼の手を引いて保健室に向かった。

「真は風邪なんかひかないのに」

 悟が覇気のない声を漏らした。真というのは隣のクラスにいる悟の双子の兄だ。

 曲がり角の手前で激しい足音が近づいてきて、端に避けようとした瞬間正面から突き倒された。男子学生がおれの体の上で呻き声をあげる。ぶつけた額に血の感触があり、片目を開けて隣を見ると悟は尻餅をついていたが怪我はないようだった。

「なんだ蕪木かよ、どんくせえな」

 悟がおれを見て言った。いつにない乱暴な口調に頭が混乱する。蕪木、と名字で呼ぶなんて、まるであいつのようだ。

「圭?」

 上にのしかかっていた男子が、耳に馴染んだ声でおれの名を口にした。驚いて振り向くと、そいつは悟と同じ顔をしている。

「久木」

 悟の兄である久木真。彼がおれの上で困惑気味に首をかしげている。自信なさげな顔は悟にそっくりだが、悟ではない。肘まで捲り上げられた黒のパーカーから突き出た腕は、悟のものよりわずかに筋肉質だ。

「え? あれ? おれ……」と、カーディガンの袖を捲りながら、悟の視線がおれと久木の間を行き来した。

「あ、あれか! おれたち、入れ替わっちゃってる~ってやつか」

 悟の口調は明らかに久木真だった。彼は立ち上がって咳をすると、手に握ったままの飴に気づいて口に放り込んだ。予鈴が鳴って周囲が慌ただしくなる。

「悟、上着替えようぜ。授業始まる」

 言われるがままパーカーを脱いで差し出したのは、本当に悟だろうか。彼は受け取ったカーディガンのポケットからハンカチを取り出すと、座り込んだままのおれの額に当てた。

「なあ、ドッキリじゃないのか?」

 おれは黒いパーカーを着た方の彼に聞いた。

「こっちが聞きたいわ」

 そう言う彼は熱のせいか頬が上気しているが、悟ならこんな人をバカにしたような表情はしない。彼は背を向けて立ち去ろうとした。

「おい待てよ、久木。熱あるんだから保健室行け」
「これくらい寝たら治る。保健室行くのはお前だろ」

 血、と吐き捨てるように言って彼は去って行った。

「圭、保健室行こう。立てる?」
「大丈夫。立場逆転だな」

 おれは悟に腕を引かれて立ち上がった。その力強さが悟のものではなく、思わず体が強張る。

「圭、どうかした?」
「いや、なんでもない。お前、本当に悟だよな?」

 目の前の彼は「たぶん」と自信なさげに微笑んだ。

 保健室で絆創膏を額に貼ってもらい、二人で教室に戻ると授業は始まっていた。先生もクラスメイトも、悟と久木の体が入れ替わっていることにはまったく気づかなかった。

 帰りに隣のクラスの前を通ったとき、久木の姿を見かけた。久木は悟と違って自信過剰で、弟と付き合っているおれをいつも汚物を見るような目で睨む。その目が今ぼんやり潤んでいるのは、きっと熱のせいだろう。

「圭、ごめん。心配だから、あいつ連れて帰る。先帰っていいよ」

 悟が躊躇いなくドアを開けて隣のクラスに入っていく。その背中は悟のものより逞しく、おれは後を追うこともできないままその場に立ち尽くした。

 あいつが「クション」とくしゃみをする。


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