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短編小説/空蝉

祖母が他界し、誰も住む人のいなくなった田舎の一軒家へ引っ越した准。そこへ向坂と名乗る青年が訪れる。祖母と一緒に写る写真を見せられ、成り行きで彼を泊めることになる。

2017年に書いた短編です。2万字。


空蝉§1

 数年ぶりにその空気を胸に吸い込んだ。夏の空気。土の匂いだろうか。土というよりは泥に近いかもしれない。青々とした稲穂は音もなく吹きぬける風に優しく撫でられ、目の前に広がる一面の緑のうえを濃淡の筋が走った。

 エアコンの冷風に、運転席の窓を開けて入り込んでくるむんとした熱風が混じる。日差しがジリと肌を焼き、青と緑の世界で車の走行音だけが耳に流れ込んだ。静寂を際立たせるように、ただその音だけが響いていた。

 遠く田圃の向こうにはいくつかの民家が立ち並んでいた。集落から外れ、湾曲しながら山あいへとつづく道の傍に、ぽつんと取り残された一軒の家があった。主を失ったその古い日本家屋は、幹にとりついたまま朽ちていく蝉の抜け殻のように、ひっそりとそこに佇んでいた。何のためにそこにあるのか、この家もたやすく壊れてしまえば両親の心痛の種になることもないのに。


 形ばかりのものに責任や権利、お金も他人も絡むものだから、この空蝉(ぬけがら)は親戚一同から邪魔者扱いされている。売り払っても二束三文。買い手のつくような場所でもなく、かといって放置すれば荒れ果てるのが目に見えている。折に触れ屋敷に風を通し、庭の草木を伐採しなければ獣などすぐに棲みついてしまう。人間が勝手に入り込むことだってあるかもしれない。離れ小島のようなその家に、昼間に出入りするなら見咎められようが、深夜であれば誰も気づきはしない。

 抜け殻とて、そこに居場所を求めるものはいる。だがしかし、それが厄介だ。いや、厄介者しか抜け殻に棲みつこうなどと思いはしないのだ。いっそ倒してしまうかという話になったのは必然だろう。

 とはいえ、倒すなら倒すで数百万の費用がかかる。更地にしても支払う税金が増えるだけで、やはりあそこに建て替えたら良かったのだと、祖母の遺影を気にしながら父も母も嘆息していた。

 ないものねだりだ。いくつかの分譲地を巡り歩いていた両親が、通勤するにも何をするにも街中のほうが便利だと、「希望」という言葉そのものの笑みを浮かべていたのを今でもはっきりと覚えている。准(じゅん)が高校に通うのにもちょうどいいしね、と自分のことをダシに使われたのが気に食わなかった。


空蝉§2

 祖父は私が小学校に上がったばかりのころ他界した。その頃はまだ私も両親もこの家に住んでいて、祖父の死から数年後、何度も改築を繰り返すならいっそ建て替えようという話が出た。その両親の提案を退けたのは祖母だ。

 祖父(じい)さんが育った家だからと、頑として譲ろうとしない祖母の態度に説得は断念し、中学を卒業するころ両親とともに市の中心部に建てた新築の家へと引っ越した。祖母は納得していたのか意固地になっていただけなのか、ひとり田圃の中の一軒家に住み続けた。

 裏の小さな畑とご近所との物々交換、それに週に一度の移動販売車。三週間に一度かかりつけの病院まで車で送る以外、祖母の生活は家族の助けがなくとも成り立っていた。病院までの送り迎えすら、◯◯さんちの誰それが町に出るから乗せてもらうと言って断ってくることもあった。

 そんな祖母が畑で転んで大腿骨を骨折し、入院した先で熱に浮かされ訳の分からない事を叫んで点滴のチューブを力任せに引き抜き、そのあと肺炎をこじらせあっさり他界してしまったのは去年の晩秋のことだ。

 父は祖母ひとり置いて街へ出たことを心苦しく思っていたのだろう。セレモニーホールで、という母の言葉をさほど考える間もなく遮り、通夜も葬儀もあの道端の一軒家で執り行うと決めた。その集落ではまだ自宅葬も珍しくなく、知ったような知らないような顔の中高年たちが当たり前のようにその家に集まって来た。私はワンピースの喪服を母に借り、あっちにふらふらこっちにふらふらと、忙しなく働くふりをしながら現実感のないかつての我が家を彷徨っていた。

 ひどく寒い日だった。電気ストーブを自宅から持ち込み、それだけでは足りず祖母が使っていた石油ストーブにも火を入れようと近くのガソリンスタンドまで灯油を買いに行った。

 山並みは雨に煙っていたが、草鞋を履き柩を担いだ男衆が縁側から沓抜石に足を下ろしたとき、唐突に雨音が途切れた。さし掛けようとしていた傘がバサバサと折り畳まれ、「ばあさんのおかげだなあ」という妙に明るい声が庭先に響いた。年齢的には大往生と言っていい。悲しみや寂しさは確かにそこにあり、と同時に温かな空気が人々のまわりに満ちていた。

 けれど、四十九日も明けてあの家に集う必要もなくなれば、そこには何も残されていなかった。あの悲しく温かな空気は祖母の魂だったとでもいうように、現世(うつしよ)ではないところへと全てが旅立ってしまった。

 以来あの家は主を失ったまま、朽ち果てることもなく形だけを留めている。「倒してしまうくらいなら」と両親に願ってこの抜け殻に棲みつこうとする私は、やはり厄介者なのだろう。

       

蝉時雨§1

 縁側のサッシと二間続きの和室を仕切る障子、それに裏庭に面した窓を開け放つと黴臭い空気が外へと押し出されていった。窓から入り込んでくるのはぬるく土臭い風で、時おり混じる冷やりとした山の匂いに次第に汗が引いていく。

 座布団を枕代わりに大の字に寝そべると、ささくれだった畳の感触が妙に懐かしく心地よかった。真っ黒な天井の所々には蜘蛛の巣が張っていて、吊るされた電気からは一本の紐がゆらゆらと目の前に垂れ下がっていた。何度もジャンプして電気を消そうとした、小さな頃の記憶が蘇った。

 リン、と澄んだ音が耳を掠め瞼を閉じた。

 准ちゃん、そんなところに寝てないでこっちいらっしゃい、胡瓜がもう大きくなり過ぎちゃうから手伝って。はあい、と体を起こし、裏庭から網戸越しに手招きする祖母の元に駆けよったのは小学校の夏休みだ。ラジオ体操から帰ってすぐの頃で、まだ熱のない空気が家のなかを満たしていた。

 裏口からサンダルを突っかけ畑に行くと、そこかしこの蔓に胡瓜やトマト、茄子がぶら下がっていた。にょきにょきと天を突くオクラの脇を抜け、地面から伸びた茎に一枚ずつ広がるつるりとした葉の上には、朝日を反射した水滴が宝石のように輝いていた。私はそれを眺めるのが好きだった。

 つんと葉を揺らすと水滴は生き物のようにゆらゆらと動き、そしてまた元の場所に戻る。そのうち水の玉はするりと地面に流れ落ちた。それが里芋の葉だと知ったのはずいぶん後になってからのことだ。

 あの風鈴はまだ吊るされていただろうか。裏の窓を開けてすぐ庇の下、あれはきっと真鍮製だった。またリンと鳴り、世界がふっと静寂に包まれ心臓がどくりと反応した。と同時にザッという雨音が耳を覆い尽くす。

 ――ばあさんのおかげだなあ。

 ああ、あれは叔父の声だったのだと今更のながら気が付いた。わんわんと鼓膜に響くその雨音が、蝉の鳴き声だと分かるのに時というほどの時は必要なかった。

 首元をなでる一筋の風にぶるりと肩が震え、風邪でもひいては今後が思いやられると体を起こす。投げ置いていた鞄からタオルを取り出し、当座の生活スペースとなる台所と居間、それに風呂場の掃除を始めることにした。その前に冷蔵庫の中を拭き上げコンセントを差す。電気は今日から使えるが、業者がガスの栓を開けに来るのは明日の予定だった。カセットコンロと未使用のガスボンベがあるのを確認し、夕飯はカップ麺にすることにした。


蝉時雨§2

 押入れにあった布団を二階の窓から屋根に干し、折角だからと屋根に並べられるだけ敷き詰めた。色とりどりの布団はすべて花柄で、写真に撮ってSNSにでもあげようかと頭を掠めたけれど、スマートフォンを居間に置きっぱなしだと気付いてやめた。おかしな自己嫌悪がじわじわと腹に滲み出してくる。

 私は何と繋がっていたいのだろう。すべてから距離を置くためにこうして辺鄙な田舎に一人引っ越して来ようとしているのに、心のどこかでまだ「過去」に分類した人々と繋がりたいと思っている。空(うつ)ろな安寧に縋りながらも、確かに実感できる痛みを求めている。

 いつの頃からだろう。陰で他人を悪く言う人たちのことが酷く苦手だった。裏の顔と表の顔を平然と私に見せ、踏み絵のように同意を求められることが苦痛だった。要は、私自身の悪口も言われていると、そんな疑心暗鬼に陥りたくなかったのだ。

 曖昧に「そう?」と答えるだけでは満足できない、そんな人たち。離れてしまえばいいのだろうけれど、彼らの全てが嫌なわけではなかった。中途半端でいる自分の、偽善者じみた振る舞いが何より一番嫌いだった。

「そんなの誰でも我慢してることよ」と言われればそうかと思う。「気にし過ぎ」と気遣いの笑みを浮かべてくれる友人はいても、私は彼らほど器用に社会生活に馴染めず、会社を辞めると告げた私を引き止めなかった友人たちを、やはり私は嫌いにはなれなかった。怒りも悲しみもなく、ただ諦めだけがそこにあった。

 彼らの目に映る私はよほど不器用だったのだろう。気遣わしげな目で「准はまっすぐだからね」と言った友人の、その瞳に憐憫の情が浮かんで見えたのは、きっと私の被害妄想だ。

 一人で考え込んでいても思考はぐるぐると同じ場所を回るばかりで、落ちることはあっても上がることはない。数少ない友人に愚痴を吐けばその時は楽になる。けれどそうしたらそうしたで相手は内心鬱陶しく思っていたのではないかと、家で一人になった途端後悔に苛まれることになる。

 八方塞がりだった。袋小路に逃げ込んで、誰にも分かりはしないのだと、孤独に浸る自分が気持ち悪かった。本当は知っていたのだ。袋小路で四方八方に聳(そび)える壁。そんなものどこにもありはしない。殻も壁も己の作り出した幻なのだ。

 思い返せば昔から一人でいることが多く、集団で行動することも、誰かとペアになることも苦手だった。小学校の体育の授業で「誰でもいいから二人組になってください」と言われ、私を含め仲の良かった三人で顔を見合わせた。探るように視線を交わしたあと「二人で組んだら」とその場を離れて先生と組んだ私のことを、彼女らはどう思っていたのだろう。

 私が我慢すれば丸く収まると思ったあの時、あれは痩せ我慢をしていたのだろうか。いい子だから我慢しなさいと、そんな言葉で育った子どもはきっと私だけではない。ジャンケンでもして、私以外のどちらかが弾かれれば罪悪感に苛まれる。であれば、自ら身を引くか、他人から弾かれるか。できれば傷が少ない方を選びたい。自分に向けて手が差し伸のべられるなど、微塵も思いはしなかった。

 ふとした瞬間にその光景を思い出すことが、社会に出てから幾度となくあった。その度に頭に浮かぶ体操着姿の自分に、どうしようもなく「偽善者め」と吐き捨てたくなる。

 逃げているのだ。今も、昔も。逃げ込んだ先の脆い殻が壊れてしまわないよう、ただじっと身を潜めているのだ。

 ジジ、という鳴き声とともに、目の前を一匹の油蝉が横切っていった。

 二階からの景色は昔と変わらず、田圃と畑が広がっている。目に映るのは花柄布団と冴えた緑のグラデーションばかりで、柱に手をかけ窓の外に身を乗り出せば、少し離れたところに辛うじて民家が見えた。

 ああ、それに空も見える。雲ひとつない真っ青な空と夏の匂い、――そして蝉時雨。それは唐突に止んだ。

「こんにちは」

 世界にその音しか存在しないかのように、くっきりと耳に届いた。庭先を見下ろすと、一人の男性が私の軽自動車の横でこちらを見上げている。知った顔ではなかった。

 彼はもう一度「こんにちは」と会釈をし、私も条件反射のように頭を下げる。前の道には一台のSUVが停められていた。


蝉時雨§3

 網戸には無数の小虫が張りついていた。げこげこという蛙の鳴き声にリリリと忙しない虫の音が混じる。

 日が暮れてから少し風が強くなったようだ。ひゅうっという重苦しい風音とともに、母屋はみしりと音をたてる。ピシッという家鳴りが何度も響いた。

 蒸すような湿気を感じたのは、先刻ラジオで天気予報を聞いたせいだ。台風がこの地域に到達するのはまだ一週間も先だというのに、鳩尾のあたりからひたひたと不安がこみ上げてくる。

 古い建物とはいえ、さすがに壊れはしないだろう。けれどその中に一人で過ごすことを思うと、不必要なほどに様々な心配事が頭をもたげる。懐中電灯と非常食、あとは何を準備しておけばよいのだろうかと考えていると、風呂場の方でガラス戸を開ける音がした。人の気配にほっと安堵が広がる。今日初めて会ったばかりの男が、そこにいるはずだった。

 その青年は笑顔のまま、向坂(こうさか)と言います、と頭を下げた。彼をこの家に招き入れ、あまつさえ泊めようという気になったのは、ある写真を見せられたからだ。

「農学部のとき井田さんに色々教えてもらったんです」と彼が示したスマホの画面には、少しやんちゃな顔つきの向坂自身と同年代の学生らしき数人、そして祖母、少し道を下ったところに住んでいる井田さん夫婦が映っていた。背景はこの一軒家だ。

 もう何年も前に撮ったものです、と向坂は笑みを浮かべたが、そこには僅かに憂いがあった。私が「祖母は昨年他界しました」と伝えると、写真が表示されたスマートフォンを見つめたまま、「井田さんに伺いました」と堪えるような長い溜息を吐いた。一縷の望みが絶たれたような諦めがそこに滲んでいて、鼻をすする音が聞こえ彼が泣いているのだと分かった。

 焼香させて下さいと頭を下げた向坂に、仏壇はすでに他所に移したと伝えると、彼は愛おしむようにまだ蜘蛛の巣の張った天井をぐるりと見回し、では代わりに草取りをさせて下さいと、私の返答も聞かないうちに腕まくりをした。ついでのように、玄関先に立てかけてあった箒で数カ所の蜘蛛の巣を払った。

 門のあたりの雑草を刈り終えた向坂は、躊躇いもなく裏庭に向かおうとした。流石にそこまではと固辞し、私は彼を夕飯に誘った。もちろんカップ麺などではなく、車で十分ほどの駅前にある定食屋のつもりだった。夕飯は井田さんに呼ばれたからと、向坂は車に乗り込み坂を下っていったが、二十分ほどしてから「すいません」という彼の声が聞こえた。私は屋根に干していた布団をしまい終え、汗でも流そうかと服を脱ぎかけていたところだった。脱いだばかりの服に袖を通し、慌てて玄関口へと向かった。


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