見出し画像

短編小説/KINTSUGI

2年ほど前に書いたものです。小説投稿サイトのコンテストで佳作に選んでいただきました。☆全文無料公開中☆

KINTSUGI

 あたしの仲良しグループは調理実習室でお弁当を食べる。
 あたしとアイとマイとミー。ちなみにあたしの名前は悠里ユウリ。みんなからは「ユウ」って呼ばれていて、だからあたしだけ仲間はずれなんだ。
 アイ・マイ・ミー。「マインだったら良かったのにねー」なんて冗談交じりに言われるのはいつものネタ。実際に仲間はずれにされてるわけじゃないし、特にアイとは気があう。音楽の趣味も好きなタレントも似ていて、体育の準備体操はいつもアイと組んでいる。だから、まさかアイの口からあんな言葉を聞くなんて思ってもみなかった。

 その日の朝、手を滑らせてお気に入りの茶碗を割ってしまった。パックリと真っ二つになった茶碗は祖母に買ってもらったものだ。姉弟お揃いで、弟は「ダサい」と言ったけれど、あたしは軽くて手に馴染むその飴色の茶碗が好きだった。
「皿が欠けるのは縁起が悪い」というし、だから、あたしは朝から気分が少し沈んでいた。

 学校で友達と喋っていると沈んだ気持ちもいつのまにか忘れていたけれど、やっぱりあの割れた茶碗は縁起が悪かったんだと思う。

 いつもどおり調理実習室で四人集まってお弁当を食べて、そのあとあたしだけ文化委員の集まりでその場を抜けた。委員の途中でスマートフォンを調理実習室に置き忘れたことに気づき、あたしは慌てて実習室へ向かったのだった。

 すると実習室の扉の前に立つカナミの姿が見えた。
 カナミは一年のとき同じクラスで、進級して教室が離れてしまうとまったく顔を合わせなくなった。いつもバッチリメイクにゆるふわ巻き髪、キラキラネイルのカナミ。一年の頃、本人はクラスから浮いてることを気にするでもなく、屈託なく誰かれ構わず話しかけていた。陰口を言われていることにはまったく気づいていないようだった。
 二年になった今も、見た目はどうやら相変わらず。「もう少し都会のガッコだったら友達もできたのに」とあたしは心のなかで彼女に同情した。

 あたしの足音に気づいたカナミが振り返り、彼女はなぜか焦ったように口をパクパクさせていた。「久しぶり」とでも言おうとしたのか、彼女はぎこちない笑みを向けたけれど、それより先に実習室の中からアイの声が聞こえた。カナミの動きは一時停止し、アイの声はどこか投げやりだった。

「班替えでユウと離れてホッとしたよー。あの子全部私に頼りっきりじゃん? 手際もわるいし、しかも私が尻拭いしてあげてるって気づいてないもん。体育の授業も、たまにはミーかマイが組んであげなよ。私ばっかりに押し付けてないでさあ」

 ドアにはめ込まれた四角いガラス越しに、ミーと目があった。ミーは隣のマイを肘で小突き、二人の目があたしとアイのあいだでウロウロしているのが分かる。
 あたしはどうしていいか分からず、ミーからもマイからも目をそらした。そしてカナミがすぐ傍にいることを思い出した。

 いたたまれなくなったあたしはその場から駆け出し、「ユウ」と呟くようなカナミの声が聞こえた。あたしの足音は実習室まで聞こえていたはずだ。あたしがあの場にいたことを、マイとミーはアイに話すだろうか。

 予鈴が鳴りはじめ、あたしはそれを無視して階段を駆け上がり、最上階の五階へたどりついたとき、自分の足音の他にもうひとつ足音が響いていることに気づいた。全然関係ない人なのか、マイかミーか、カナミなのかもしれない。きっとアイじゃない。アイに合わせる顔なんてない。

 五階から屋上へとつづく階段を上がり、ドアノブを勢いで回した。けれど、ガチッと鈍い音がしただけでそのドアが開くことはなかった。
 追ってきた足音は次第に忍ぶような小さな音になり、その足音の主は踊り場であたしを見上げた。
 本鈴が鳴りはじめ、それが鳴り終わるまで彼女はじっとその場に佇んでいた。
 あたしは今さら授業に出るつもりもなかった。この授業の合間にスマートフォンを取りに行って、そのあとのことまでまだ頭が回らない。

「ユウ……」
「授業行きなよ、カナミ」

 うん、と彼女は頷いたけれど、それとは裏腹に一段ずつゆっくりと階段を上がってくる。そして、立ったままのあたしの隣に腰を下ろし、ツンとあたしのスカートを引いた。

「あたし、実習室にスマホ取りに行かなきゃ」

「ユウ、スマホ置き忘れたの? あたしもノート忘れちゃったから、あとで一緒に行こ。今動いたらサボってるのバレちゃいそうだし」

 バタバタと廊下を走る足音が聞こえた。遅刻した生徒が教室に向かっているのだろう。
 足音が聞こえなくなると、四階の音楽室からピアノの音と、続いて生徒の歌声が聞こえてくる。あたしはカナミの隣に座り、何のおしゃれもしていない自分の爪を見つめた。

 真っ黒な黒髪は太くてまっすぐで、薄いピンク色のリップクリームをつけるくらいで化粧はしていない。田舎の学校とはいえ、みんな眉を書いたり透明なマニキュアを塗ったり、ファンデーションくらいは塗っているけれど、うちの母がそういうのを嫌った。「お母さんが高校の頃は」が口癖で、アルバイトもさせてもらえないから化粧品も買えない。地味なあたしが一人きりにならずにいられたのはアイがいたからだ。アイもマイもミーも派手な方ではないけれど、人並みにおしゃれに気を遣っている。

 本当は知っていた。あたしはたぶんお荷物で、「仲間はずれ」になるのを同情で構ってもらってるだけ。そんなあたしがカナミに同情してみても、同じ穴のムジナ。あたしもたぶん他のクラスメイトから見たらダサくて「浮いたヤツ」。

「カナミまであたしに付き合ってサボることないよ。忘れもの取りに行ってましたって言ったら今からでも授業出れるでしょ」

「うん。でも……」

 あたしを見るカナミの瞳には憐れみが浮かび、惨めさがじわじわと心に広が。朝の出来事が思い出された。やっぱり今日はツイてない日。

「カナミが気にすることじゃないよ。アイとあたしのことだし、自分でも鈍くさいの知ってるから、『やっぱり』って感じ。陰で言われたのはちょっとショックだけど」

「ユウは鈍くさいんじゃなくて、人より丁寧なだけだと思うよ。アイはパパっと手際よくやっても細かい部分が雑だったりするし。アイとユウが一緒にいるの、なんとなくバランスとれてるなって一年のとき思ってたんだ」

「でも、さっきアイが言ってたこと、カナミも聞いたでしょ。アイはあたしといるの嫌なんだよ。カナミも、あたしといない方がいいよ。今日、あたし最悪にツイてないんだ。朝からお気に入りの茶碗割っちゃうし。ホント最低な日」

 真っ二つに割れた益子焼の茶碗を思い出した。祖母にも申し訳が立たないし、それよりなにより、あの茶碗でご飯が食べられないことに思いのほかショックを感じている。
 あれをもらったのはあたしが高校に入った直後のゴールデンウィーク。祖母の家に遊びに行ったときだった。
 そういえばアイたちと仲良くなったのもゴールデンウィーク明けの遠足のときから。そう考えると、割れた茶碗があたしとアイの関係を暗示しているようにも思えてくる。

「ねえ、ユウ。そのお茶碗、直してあげよっか」
「……へ?」

 カナミの思わぬ言葉に間抜けな声が漏れていた。

「あ、もしかして粉々になっちゃった? それだったら無理なんだけど、ちょっと欠けたのとか、こう、きれいに割れちゃったのだったら金継ぎで直せるよ」

「金継ぎ?」
「うん。割れたのと割れたのをくっつけるの」
「金で?」

「金でじゃないんだけど。漆でくっつけたあとに、そこを金とか銀とか、そういうので継ぎ目をキレイに飾るの。割れなければいいけど、でもカタチあるものはいつかは壊れるっていうじゃない。でも、壊れても直せば、それまでよりキレイになったりすることもあるよ」

 カナエはそんな風にいいながら、キラキラに飾った自分の爪を指で撫でていた。まるで、それが金継ぎした器だというように。

「カナエ、金継ぎできるんだ」

「うん。そんなに難しくない。親戚のおばさんがやってて、教えてもらったんだ。材料もあるし、友達価格で安くしてあげる」

「お金とるの?」

「ハッピードーナツのチュロスとフレンチクルーラー。それにバニラシェイクでどう? 安いもんだよ。普通に金継ぎ頼んだら五千円くらいするんだから」

「逆に不安になる。カナミ、上手くできるの?」

 カナミは「ジャジャン」と笑顔で自分の両手の爪を私の目の前にかざした。

「あたし、細かい作業大好きなんだ」

 あたしはカナミのその言葉でするっと納得してしまった。「じゃあ……」と言ったあとに、カナミと二人ハッピードーナツで向かい合っているところを想像して言葉を続けるのを躊躇った。カナミは交渉成立と理解したようだ。

「ユウ、いつでもいいからお茶碗持ってきて。ハッピードーナツは仕上がりを見てからにする?」

「ごめん、カナミ。やっぱハッピードーナツじゃなくてちゃんとお金払う」

「えー、お金は逆に貰いにくい」

「でも……」

「……ユウ。もしかしてあたしとハッピードーナツ行くの嫌?」

「じゃなくて。カナミは嫌じゃないかなって。あたしみたいなダサい女と一緒に行くの」

「えー?」と目を丸くしたカナミは本気であたしの言葉に驚いたようだった。

「あたしとカナミじゃ、なんかデコボココンビな感じじゃない。お互い悪目立ちするかなって」

「あー……。どうかな。学校じゃあたし浮いてるみたいだけど、別に学校の外だと関係ないよ」

 今度はあたしが目を丸くする番だった。カナミは少しバツが悪そうに小さな笑みを作る。

「一応ね、一年のときに陰で何か言われてたのは知ってる。今も似たようなものだけど」

「それで。浮いてる者同士だからあたしに声かけてきたの?」

「ユウは浮いてないよ。ちゃんと仲良しの友達いるじゃない」

「『いる』じゃなくて、『いた』だよ。上辺だけの友達」

 しばらくの沈黙のあと、カナミは「実習室行こうか」と立ち上がって階段を降り始めた。追いかけてきた時と同じようにまた踊り場であたしを見上げる。

「ドーナツにするか、現金にするかは、仕上がりを見てからユウが決めていいよ。だから、とりあえずお茶碗持ってきてね」

 あたしはカナミと一緒に実習室にスマートフォンを取りに行った。次の授業は遅刻ギリギリに教室に入り、アイとは視線を合わせないままその日のホームルームを終えた。
 帰り際にミーが何か話したそうにあたしのを呼び止めたけれど、「バイバイ」と手を振って教室を出た。

 もっと心が広かったら、何も聞かなかったような顔をしてアイとマイとミーの中にいられたかもしれない。でも、あたしはそんなオトナじゃないし、あのときアイの言葉を否定しなかったミーとマイも、アイと同じような気持ちであたしと接していたはずだ。
 上っ面だけ仲の良いふりで一緒にいて、陰で悪口を言われるくらいなら離れてしまったほうがいい。

 そう思う一方で、どうやって明日マイとミーに話しかけようか考えている。はっきりと悪口を言ったのはアイだけで、マイとミーはそれに合わせていただけかもしれない。アイの口にしたあたしの悪口に、心のなかでは「良くない」と思いながら、このあとの学校生活を考えて口を噤んでいただけかもしれない。色々考えているとアイへの怒りがふつふつと湧いてきて、朝の沈んだ気分とは一転、家に着く頃には腹立たしさが心のなかで膨れ上がっていた。

 アイはいつも被害者ぶって、恩着せがましい言い方をする。手の遅いあたしは実習ではアイに色々と教えてもらったりしていたけれど、いくら遅くても自分の作業は自分でしたし、「尻拭いをしてあげてる」なんて言われる憶えはない。
 体育の授業で一人きょろきょろとあたりを見回していたアイに、最初に「一緒にしよう」と声をかけてあげたのはあたしの方だ。
 早とちりで設問内容を勘違いするアイの宿題。授業前に「答え合わせしよ」という彼女にあたしは一度も文句を言ったことはない。

 しばらくアイとは話したくもない。そんな風に思いながら寝て起きて、けれど学校でアイと顔を合わせたあたしは何もなかったように「おはよう」と口にしていた。
 口元と胸のあたりがムカムカするけれど、アイもいつもと同じで、こっちだけが動揺するのは悔しくて何も言わなかった。もしかしたら、あたしがあの時あの場所にいたことをアイは知らないのかもしれない。
「あたしの悪口言ってたの聞いたよ」そう言いたい衝動は、ホッとした表情で「おはよう」と声をかけてきたマイとミーのおかげで和らいだ。

 たぶん、これで正解なんだと思う。波風を立ててクラスで一人ぼっちになるより、表面上でも仲良しグループにいたほうがクラスでの居場所が確保できるし、それにマイとミーは悪くない。

 いつもどおり調理実習室で四人揃ってお弁当を食べた。あたしがいないところでまた何か言われるのが嫌だったから、お昼休憩ではなく、午後の授業のあいまの十分休憩でカナミの教室に向かった。

「あ、お茶碗真っ二つだね。これならキレイに直せると思うよ。出来たら持っていくから楽しみに待ってて」

 カナミはあたしが手渡した紙袋を大事そうに抱え、窓際の一番端の自分の机に戻っていった。前の席の女の子と何か会話している。
 カナミが思っているほど彼女はこのクラスでは浮いていないように思えた。けれど、似たような光景を一年のときも目にしていたのにあたしはカナエを「浮いている」と思っていたし、表面だけ見ていても本当のところはなかなか伝わらないのかもしれない。今のあたしとアイの関係のように。


 班替えがあったせいというか、あったおかげというべきか、気まずい思いをしながらアイに手助けしてもらうこともない。あいかわらずアイは「答え合わせしよ」と言ってきたし、体育の準備運動も変わらず一緒にやっていた。

 あたしは「もういいか」と全部水に流したくなる気持ちと、「やっぱり許しちゃだめだよね」という怒りの気持ちを波のように交互に感じながら、お弁当を持って調理実習室へ行った。アイもマイもミーも以前と何も変わらないけれど、変わらないはずなのにあたしは彼女たちとのあいだにある溝が少しずつ広がっていくような感覚をおぼえていた。それは、あたしの勘違いではなかったみたいだ。

 体育のあと、更衣室に入った直後だった。二列並んだロッカーの奥の方から、アイのため息が聞こえてきた。

「あー、もう。めっちゃ気遣う。やっぱり知らないフリなんて私には無理だよ。マイからさりげなく聞いてよ。ホントに聞いたのかな、ユウ」

「分かんない。聞こえたかもしれないけど、聞こえてないかもしれないし。それになんて聞くの? もし聞こえてなかったらヤブヘビじゃん」

「ユウもさあ、聞こえてたなら言ってくれたらいいのに。ユウってほんと何考えてるのか分かんないよね」

 今朝は来客用の茶碗でご飯を食べた。その茶碗はちゃんと割れずに食器棚にあるし、別に縁起の悪そうなことはなかったはずなのに、どうしてこんなにタイミングが悪いんだろう。あたしの隣には一緒に入ってきたミーがいて、彼女はいつかと同じように何か言いたそうだったけれど、結局何も言わないまま居心地悪そうにあたしの顔を伺った。

 惨めで、情けなかった。他のクラスメイトもいるから声を荒らげるわけにもいかなかった。もしこの場に四人しかいなかったとしても、あたしが大声で何か言い返したりすることはないだろう。そんな風にできればいいけど、いつも人に合わせてきたからそのやり方がわからない。
 あたしは更衣室の奥へ顔を出し、「アイ」と彼女の名を呼んだ。制服に着替え終わった彼女はリボンを結ぶ途中でその手を止め、あたしの顔を凝視した。

「聞いた。ごめん」

 口にしながら、自分の唇が震えているのに気づいた。悪く言われたのにどうして自分が「ごめん」なんて謝ってるのか、そんな自分が嫌で、無理やり作ろうとした笑顔はたぶん歪んでいた。

 カナミに割れた茶碗を渡してから二週間も経つのに、彼女は何も言ってこない。カナミもやっぱりあたしと関わるのは嫌になったのかもしれない。茶碗は割れたままで、やっぱり元には戻りっこないんだ。

 ロッカーから制服を引っ張り出し、着替えもしないまま体操服で更衣室を出た。階段を駆け上がって、屋上のドアの前でしゃがみこむと涙が滲んできた。誰の足音もしない。誰も追いかけてきてくれない。やっぱりあたしはいないほうが良かったんだ。

 すると、抱えた制服のなかでスマートフォンが振動した。それはカナミからのメッセージだった。

『金継ぎできたよー。今からそっち持ってく』
『ごめん。移動教室でいない』
『どこ?』

 返信しないまま画面を眺めていた。手元に戻ってくるのを待ちわびていたあの飴色の茶碗が、今ではそれを手にすることが虚しく感じられる。茶碗が戻ってきたら、あたしとアイの関係も戻る。そんな気がしていたのだ。でも、それはどうやらあたしの単なる思い込み。今あの茶碗を手渡されたら衝動のままに割砕いてしまいそうだった。

「あ、いた」

 足音に気づかなかったのはなぜだろう。気づけばあたしの頬はぐしゃぐしゃに濡れていた。

「ユウ、その泣き声はやばい。五階まで聞こえる」

 踊り場にいたのはカナミ。それにミーとマイと、そしてアイだった。一番後ろにいたアイと目が合い、彼女は「ごめん」とハッキリした声で言った。

「今さら言い訳するのもアレなんだけど、あれは言葉のアヤっていうか、あれがすべてじゃないし、ユウを仲間はずれにしたいわけじゃない」

「でも、一緒にいるの嫌なんでしょ?」
「そんなこと言ってない」

「言ったよ。あたしなんて鈍くさいお荷物なんでしょ。だから一緒にいたくないんだよね。尻拭いするの嫌なんだよね」

 そうじゃなくて、と叫んだアイの気持ちは正確には分からないけど、彼女の必死さに少し心が揺らいだ。ぐらぐら、ぐらぐら。あたしの気持ちは揺らぎながら出口を見失っている。
 マイとミーは心配そうにこちらを見上げていて、カナミはアイの顔を見つめていた。

「好きなとこばっかりじゃないよね。友達でも。でも友達なんだからいいじゃん」

 あっけらかんとした口調でそういったカナミは、「はい」と手に持っていた紙袋をアイに手渡す。

「じゃあ、あたし移動教室だから先に戻るね。それ、ユウに渡しといて」

 カナミはひらひらと手を振って階段を駆け下りていってしまった。間をおかず本鈴が鳴りはじめるけれど、誰もその場を動かない。アイが踊り場から階段に足を欠けたのはチャイムの余韻がすっかり消え去ったあとだった。ゆっくりと階段を上がってきたアイは、あたしの三段ほど下に立って紙袋を差し出してくる。

「カナミも聞いてたんだってね」
「……うん」

「私のぜんぶじゃないよ。あのとき言ったのは。ユウは本音言わないからたまにイライラするけど、でもそういうのもひっくるめて、それでも一緒にいたいって思うから一緒にいるの。ユウだって、私の全部が好きなわけじゃないでしょ。嫌なとことかもあるよね」

「……まあね」
「じゃあ、お互いサマ。ってことにならない? お互いさまってことにしようよ」

 アイの手から紙袋を受け取ったあたしは、彼女の言葉を受け入れたことになるんだろうか。胸のモヤモヤがすっきりと晴れたわけではないけれど、家に帰って真ん中に一本金色の線が入った茶碗にご飯をよそったときにはずいぶん気持ちが軽くなっていた。そして、たぶん明日も調理実習室で四人一緒にお弁当を広げる。とりあえず、それでいいのかもしれない。

 夕飯を食べ終えて洗った茶碗を水切りかごに伏せたあと、自室のベッドでスマートフォンを手に寝っ転がった。あたしからメッセージを送るのははじめてだ。

『金継ぎバッチリだったよ。ありがとう。ところで、ハッピードーナツはいつにする?』



#短編小説 #小説 #金継ぎ  


ここから先は

1字
この記事のみ ¥ 100

よろしければサポートお願いいたします。書き続ける力になります!🐧