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大好きな祖父がくれた言葉「ぶれるんじゃねぇぞ」

自分の軸ってなんだろう?
悩んだことのある人、けっこう多いのではないでしょうか。
わたしは30うん年わからないまま、ようやく最近見えてきた感じです。

自分の頭と言葉で

恥ずかしい記憶として残っているのは、就活生のOG訪問を受けた時。
色々な質問におぼろげな記憶を辿りながら答える中で、精一杯カッコいい先輩に見えるようにドヤ顔でこうアドバイス。

まぁ、軸がちゃんとしてれば大丈夫だよー

そして「じゃあ先輩の軸って何ですか?」と聞かれ、即座にナナメ上に視線を逃がして固まったわたしは、きっと彼女の当社への志望度を大きく下げてしまったことでしょう。

小学校までは、授業で率先して手を挙げて発言していたし、学校から1人の代表に選ばれて子ども会議なるものに参加したし(何の自慢だろう)

人前でスピーチをすることも好きだったし、誰に頼まれてもいないのに勝手に学級新聞を作って配っていました。
要は、子どもながらにすごく自分の頭で考え、それを言葉にして伝えていたなぁと思います。

今でも忘れないスピーチの内容は
“ビュッフェでの食べ残し問題について”
先生から花丸をもらって、大人になるまで大切にとっておいた作文の内容は
“流行とは流されて行くものではなく、自分流に行くことである”

それが、気づけば人前で意見を言うのが怖くなり、間違えたらどうしよう、これを言ったらどう思われるだろう、と周りの目が気になるようになりました。

素直で共感性が高いのは自分のいいところだと感じていたけれど、色んな人の気持ちを考えてしまうあまり、結局自分はどうしたいのか?わからなくなることもしばしば。
自分の頭で考えて言葉にすることが苦手になっていました。

そんなだから、就活の為に絞り出した、すぐに忘れてしまう軸しか持ち合わせてなかったわけです。

祖父の言葉

わたしには大好きで尊敬する祖父がいて、あのプロジェクトX(世代がわかりますね)にも出たほどの偉業を遂げたすごい人なのですが、家族の前ではただただ愛に溢れた、優しくてかっこいいおじいちゃん。
自分のことは多く語らない祖父でしたが、そんな祖父がくれたある言葉が、ずっと心に残っていました。

自分が何を大切にしたいのか、ぶれるんじゃねぇぞ

大事に大事に胸の中にあった言葉。でも、自分が大切にしたいものって何だろう?
長い間、よくわからずにいました。

それから娘を出産し、半年ほど経って少しずつ気持ちに余裕がでてきた頃。
「わたしはこの子に何を残してあげられるだろう?」と考えるようになりました。
そうしたら、はっとしました。

わたし、この子に世の中のこと何も教えてあげられないかも、、

娘がもう少し大きくなって、色々なものに興味を持って「これはなに?」「なんで?」「どうして?」そう聞かれるようになった時。
わたしはまともに答えてあげられない気がする。

何にでも“正解”を持ち合わせておく必要はないし、一緒に考えて、一緒に成長していくことも素敵だと思う。そこには伸び代しかない。
でもわたしは、圧倒的に知らないこと、考えたこともないことが多すぎる、、

母親になってようやく、長いこと自分の頭で考えること=知ろうとすることすらサボってきてしまったことに気が付きました。

そして、世の中ともっと向き合って自分なりに動くこと、その姿を娘に示すことが、自分の軸となっていきました。

頭と心と言葉、そして身体も

もっと社会のことを知ろう、とする中で<気候変動>という大きな問題を知って危機感を抱いたこともあり、今までの自分とは別人のように情報収集したり、新たなコミュニティに飛び込んだりするようになりました。

絶え間ない情報の波に混乱したり、多様な価値観に衝撃を受けたり、その中で自分は何を選択するか悩んだり、、頭も心も大忙し。
それを自分の言葉で伝えるのは、とても難しい。自分の行動で示すのは、さらに難しい。

家事に育児に仕事にすでに手一杯な中で、新しいことを始めるのはなかなか目まぐるしいけれど。多くの人に伝えたいことができ、体現したいことができました。

“娘の未来のために、できることをしたい”という自分なりの軸が見えてからは、頭も心も言葉も、そして身体もフル回転させる日々が、心地よかったりもしています。

立ち止まった時は、「ぶれるんじゃねぇぞ」と祖父の言葉を自分に問いかけてみる。
社会のために、家族のために愛情たっぷりに奔走していた祖父のDNAが、少しはわたしにも受け継がれているかな。そうだったら嬉しいな。

祖父との思い出が詰まった葉山の地。
コロナでしばらく行けていないけれど、そろそろ深呼吸しに行きたいです。

お読みいただき、ありがとうございました☺️

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